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新刊案内

既刊案内「糸谷流全開の一冊」

2014.09.12 | 島田修二

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皆さんこんにちは。
(A+B)の2乗がAの2乗+Bの2乗+2ABであるのがなぜだったのか
全く思い出せないで悩んでいる編集部の島田です。

今日は新刊案内でなく、趣向を変えて既刊案内いきます。

皆さんご存知の通り、糸谷先生が羽生先生を破って見事に初タイトル、竜王への挑戦権を手にしました。いやー、興奮しましたね。左右挟撃が見事に決まった感じで。

糸谷先生といえば、マイナビから一冊書籍を出していただいています。
皆さんご存知の「現代将棋の思想 ~一手損角換わり編~」です。

正直申し上げまして、原稿を読んでこれほどの衝撃を受けた本はありません
ちびりそうになりました。

まず、だまされたと思ってまえがきをどうぞ。


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 本稿においてのメインテーマは題目にもある通り一手損角換わりである。となれば、本稿の目的は一手損角換わりについての説明となるわけだが、その目的は何をもってすれば満たされるのだろうか? 単に戦術的な面について述べるに留まるのでは、一手損角換わりの一面についてしか描写出来ておらず、研究書ならばともかく解説書を名乗るには不満があるのではないだろうか。研究手順のみをつらつらと書き述べることもまた必要なのではあるが、研究手順は時代時代においてすぐに変革されていくため、本の価値を長く残そうと思うのであれば、研究手順の前に、「どうして一手損角換わりを指すのか」「一手損角換わりという戦法はどのようなことを狙っているのか」ということをおろそかにしてはならないだろう。
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かっこいい。かっこ良すぎる糸谷先生。
大学では哲学を専攻されているということですが、物事の本質に迫ろうとする姿勢はまさに哲学者そのものです。巻頭から糸谷流全開です。カントだけに。

この本の見どころは何といっても第1章でしょう。(私が好きなだけですが)

本書の構成はこんな風になってます。
第1章 後手の戦法の比較検討
第2章 一手損角換わりの発展
第3章 一手損角換わり△3二金の衰退
第4章 一手損角換わりの工夫△8四歩不突
第5章 一手損角換わり△8八角成型・前
第6章 一手損角換わり△8八角成型・後

第1章は「後手の戦法の比較検討」ということで、現代将棋の全部の戦法について糸谷先生の所感が述べられております。ちょー面白いです。

こんな感じで、横歩取り、矢倉、角換わり、さらに振り飛車の各戦法についても言及してます。

そして、第1章の最後、ここが私の一番好きなところ。将棋を理論化して伝えることは大事だよ、といった後の部分。

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◇理論化の方法
 ここまでで、理論化の必要性について説明することが出来たと思うが、今度は理論化がどのように行われるべきかについて考察したい。というのも、先程感覚は言語化出来るわけではないと述べた口がどのように理論化を正当化出来るのかと言われかねないためである。
 然り、理論は感覚そのものではないし、また感覚を完全に模倣し得るわけではない。が、理論は感覚そのものを親とするわけではない。理論と感覚の源は相似している。
 棋士の感覚はそれまで棋士がその局面に対して、そして将棋に対して培ってきた経験がその棋士に語りかけるものであるのに対して、理論はそれまで行われた多くの将棋からその共通部分を抜き出して明言化して出来たものである。感覚がより細かい部分をカバーするのに対して、理論は大雑把にその戦法を把握するに過ぎないが、しかし明言化される分伝達されやすい。
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どーですか、皆さん。
特に最後の「感覚がより細かい部分をカバーするのに対して、理論は大雑把にその戦法を把握するに過ぎない」というところが面白い。
普通は感覚は大雑把なもので、理論が細かい部分をカバーしそうなもんですが、そうじゃないよと。

将棋の、特に未知の局面に出会った場合、感覚をつかんでいることこそが大切で、
「感覚的なものを学ぶことの一助として理論が有用であるということが言える」と先生は言ってます。

へー。ほー。にゃるほど。

とにかく、異色の一冊。読んでみる価値は十二分にあると思います。

また、タイトル戦が落ち着いたら糸谷先生本書いてくれないかなーと思いつつ。