野呂エイシロウの「ケチの美学」第55回|MacFan

アラカルト ケチの美学

野呂エイシロウの「ケチの美学」第55回

文●野呂エイシロウ

人気放送作家が語るケチとアップルの交差点。

やらされていることに意味はない

今、お風呂の排水溝に洗浄剤を流し込んで、待っている。待ち時間は20分ほど。その間に、この原稿を書こうと思った。そしてこれは、「なんとなくスキマ時間を使おう」というわけでは決してない。

昨日、排水溝のトラブルが起こった。その後、ちょっと考える。業者を呼ぼうか? それとも自分で直そうか? 結局自分で直すことを決意し、掃除道具を買うためにドン・キホーテに行ってみると、さまざまなアイテムが並んでいた。そして、ワイヤーの付いたブラシと、パイプ詰まりを解消する洗浄剤の両方を購入した。

そのとき、ふと思った。「ボクは主体的にこの店に来て、この道具と洗浄剤を購入したのだ」と。

今、傍らでiPhoneのタイマー機能がカウントダウンを続けている。あと17分で洗浄完了だ。ワクワクしている。一見面倒くさそうなお風呂の排水溝掃除だが、主体的にやれば、非常におもしろい案件だと思っている。

ワイヤーの付いたブラシを使うと、詰まりの原因となる物は簡単に取れた。シャワーカーテンの金具が排水溝に詰まっていたのだ。

これで水は流れるようになった。排水溝をきれいにすれば、もっと水の流れが良くなるかもしれない…という仮説のもと、洗浄剤を流し込む。ボクからすると、これは実験だ。これも主体的にやっている。誰かに頼んでもよいが、チャレンジしたい気持ちなのだ。

この原稿だってそうだ。主体的に、書きたいから書いているのだ。誰かに言われて「面倒くさいな」と思って書いているわけではない。今感じているものを、そのまま書いている。

買い物もそうだ。損得勘定だけで買ったものは、大したことがない。「欲しい」ともちょっと違う。「買いたい」という主体的な気持ちが、一番大切だ。つまり「“買う”という行為をしたいかどうか?」ということである。「お腹が空いた」という生理現象と「食べる」という主体的な行動と似ている。なんでもそうだ。主体性を持って行動するか? それとも、受け身でやるか?

わかりやすいのが、スポーツである。基本的に受け身でやるスポーツはない。主体性がなければ、バットやクラブも振れないし、シュートも打てない。走ることだってできないだろう。

仕事もそうだ。やらされている仕事は、うまく行かない。主体性を持って、やりたいことだけをやればよい。やらされていることに意味はない。それは、結果を生まないだろうし、自分の心の中で何かが解消されることもない。力もつかないし、明日にもつながらない。本当にやりたいことだけをやる。それが満足につながる。さあ、20分経った。ガツンと汚れを流そうと思う。楽しみだ。主体性をもって行動しよう。

 

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EishiroNoro

放送作家、戦略的PRコンサルタント。毎日オールナイトニッポンを朝5時まで聴き、テレビの見過ぎで受験失敗し、人生いろいろあって放送作家に。「元気が出るテレビ」「鉄腕DASH」「NHK紅白歌合戦」「アンビリバボー」などを構成。テレビ番組も、CMやPRをヒットさせることも一緒。放送作家はヒットするためのコンサルタント業だ!と、戦略的PRコンサルタントに。偉そうなことを言った割には、『テレビで売り上げ100倍にする私の方法』(講談社)『プレスリリースはラブレター』(万来舎)が、ミリオンセラーにならず悩み中。