予定の用件と予定外の出会い
藍染めの手ぬぐいを10本、スーツケースに入れた。面会する人たちへの手土産である。和紙で作った小銭入れだった時代もある。紐のついた鈴だった時代もある。毎回何かこういう小物をきちんと個別に紙の小袋入りにして用意していく。言葉で上手に愛想を言えない分を補うのに、こういった手土産は有効である。別段それでなんのトクがあるわけではないが、顔つきが違ってくる。それで十分である。
セントアンドリュースではまた18番ホール横のルサックス・ホテルだった。早朝起き出してオールドコースを散歩した。まだ明けていないのにキャディ・パビリオンにはスタートの空き枠を取るための5、6人の人影ができていた。
朝食時、食堂の反対側で日本人夫婦と日本人女性の元気な話し声が聞こえたが、柱の陰で姿は見えなかった。
約束の9時半、R&A裏の英国ゴルフ博物館にキュレーターのサム・グローブス女史を、寄贈品1セットと土産の藍染めの手ぬぐいを持参して訪ねた。日本でなら遠来の客を迎えるのだから応接間に通し、お茶を出すことになるはずだが、まだ30代半ばと見える若くて小柄でにこやかな女史は、しかし極めて事務的で、所蔵する書物を持ってきた著者夫婦をフロント脇で立たせたままでの出迎えであった。しかも、私のほうから何かの書類に署名するでもなし、受け取りのペーパーをくれるでもなしだった。
受け渡しは2分もかからなかった。「ミュージアムをご覧になっていきますか」でもなく、挨拶をして中へ戻っていった。こういうものなのかと異文化に驚かされた思いだった。そこは入口の外だったから、雅代がミュージアムを見てみたいと言うので、大人2人分を払って入らなければならなかった。ま、それが当たり前といえば当たり前なのだが(日本に帰ると、R&Aのアシスタント・キュレーターのエンマ・J・マクダムから封書の感謝状が届き、「サム・グローブスより届けられた貴著は、当倶楽部のライブラリー・コレクションに加えました」とタイプされていた)。
それから同じ道沿いの書店クァールトへ行ったが、女主人が見えないので、その先の角を右へ曲がったところのリンクス・ゴルフ社にクリスティーヌ・シートン女史を訪ねた。ジョン・スタークからのメッセージのためにしてくれた世話に感謝を述べてから、こちらにも藍染めの手拭いを1つ。彼女はその場で広げてみて、その色柄を気に入って、「日本の民芸的なデザインは親しみが持てて素敵だわ」とまで言ってくれた。しかし、こちらも立ったままで「ソファーにどうぞ」がない。こういうものなのだろう、と思えてきた。
肝心のジョン・スタークの件だが、今日明日にこの町へ来る話はない、と言う。「クリーフを離れてから彼はワンダラー(風来坊)だから、私たちも連絡をとるのに苦労するの。クリーフに立ち寄ってみたら、会えるかもしれないし、会えないかもしれない。グッドラック」とまことにもっともなことを言われた。彼はすでにすんだ春のゴルフ・ウイークのパンフレットをなぜ送るように言ってくれたのだろう、と聞いてみようと思っていたが、要領よく英語にならないし、答えは「私にも分からないわ」に違いないと思えて、聞くのをやめて辞した。
だいじな順に2つの用件はすませた。次はオールドコースのキャディ・パビリオンであった。キャディ・マネージャーのリチャード・マッケンジーに再会した。そこで起こった彼の著書の不思議なトラブルは本書「一の旅」に書いた通りである。
パビリオンの前に日本の女性がいた。竹入博子さんといって、子育てがすんで英語の勉強をするためにロンドンに留学中の人だった。バスでセントアンドリュース見物に来たが、せっかくだからゴルフをしていこうと思って、1人で入れるところがないか交渉中だという。朝ルサックス・ホテルの食堂で聞こえた声の主はこの人だった。昨日の午後着いて、空き部屋がないか片端から電話したのだそうだ。前日の空き部屋予約はかなり割安になる。旅慣れた人の知恵である。
その晩、名物レストランのクラレット・ジャグで一緒に食事をした。そこで聞いたのだが、私たちがニューコースを回っていた時、1人の空き枠が出たので、急いで18番脇のトム・モリスのショップで貸しクラブを借り、スパイクもなしにスタートした。キャディもなしの担ぎだった。度胸のある人である。1番、2番はチョロやダフリの連発で、一緒のアメリカ人紳士3人はいささか困惑顔をしていたが、3番から調子が出て、パーも出始めたため、3人の態度が変わったと言う。落ち着きを取り戻して会話をしたら、1人は米国マクドナルド社のプレジデントだった。3人の紳士の彼女を見る目が変わったのも当然、竹入さんは名門桑名CCのシングルハンディキャッパーだった。
竹入さんとは帰国後も連絡をとりあっているが、私のほうの予定がうまくいかず、再会して桑名をご案内いただくプランはいまだ実現していない。
ニューコースを回った後で書店のクァールトに立ち寄ると、こんどは女主人のマーガレット・スクワイアーがいた。ただの客かと思っていて「ハロー」程度の挨拶だったが、私が以前棚のあそこに迫田耕の訳本を見つけて買い、以来、彼とはゴルフと酒の友だちになっていることを話し、私自身の自己紹介をし、著書2冊を差し出すと、彼女は立ち上がって趣味のいいドレスを纏った美しい長身をしっかりと私に向けて、応対してくれた。彼女はゴルフ史、とくにゴルフ文献史の研究家で、著書もあって、棚に並んでいるその本を取り下ろして見せてくれた。
耕さんの本は何冊もここで売れたらしい。売れたたびにあらかじめ取り決めておいた小売マージンを差し引いたものを耕さんの口座に振り込むのだと言った。「あなたは何冊置いていくのですか」と聞かれて、そこまで本気で考えていなかった迂闊に気づいて慌てた。「いやいや、この2冊はあなたにさしあげます」と言った。すると、デスク兼カウンターの彼女の席に戻り、背後の棚1面は彼女自身の所蔵本の棚なのだと説明し、「あなたの本はここに置きます」と言ってくれた。聖地のこの名店に置かれることだけで十分名誉なことである。
1日目はニューコースを、2日目はオールドコースを、幸運にもベテランのアラン・ダンカンと若手のアントニーについてもらってラウンドできた。この日のことも別な篇で書いた。
オールドコース18ホールズの感動を綴るのは、サクラダ・ファミリアを限られた字数で描写せよと言われるのと同じで、不可能である。よく「神が創り給うたと言われる18ホールズ」「街から出て街に帰る18ホールズ」と言われるが、感動するのは随所に見られるグリーンとバンカーの在りようの巧み、18ホールズのストーリーの絶妙、そういったコースそのものの出来だけではない。それらはセントアンドリュースというゴルフ・タウンの一部分だ。全体がゴルフの街になっていて、ゴーイング・アウトの人たちとカミング・インの人たちが一面のグリーンを共有する、そのことが素晴らしくセントアンドリュースを象徴しているように、街全体の人々がともにゴルフを営み合っている。ある人はプレーする。ある人は待つ。ある人はルールを考える。ある人は保存の仕事をする。ある人は管理する。ある人はゴルフの本を売る。ある人はここへ来る巡礼者たちの滞在を手伝う。門前町といえば門前町。
街から離れた11、12番ホールから街を遠望すると、そういう街が愛おしく見えてくる。戻ってくるにつれてその意識は強くなる。18番ホールのすぐ脇が街の道であり、商店が並ぶ。周辺の建物には、R&Aをはじめとしてスタート枠を時間帯でシェアしてとり、ここをホームコースとしている数々のゴルフクラブのクラブハウスがある。ゴルファーやキャディがグラスを傾けるバーがある。並ぶ1番と18番を公道が串刺ししていて、人が通る、クルマも通る。いまでこそその風景は見えないが、横切る川が昔は洗濯場だった。
街全体がゴルフの公園になっている。ここにしかない在りようである。それゆえにゴルフの聖地と呼ばれるのだろう。