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ゴルフのおかげで、旅、友、嬉し涙 五の旅 念願 ~ジョン・スタークに会いたい~

【第1回】地図を広げて四つの願いを ~スコットランド~ ―(1)

2017.05.19 | 鈴木康之

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旅の醍醐味はコースづくりから始まる

 

 2004年夏、二度目のセントアンドリュース詣でとなった。

 きっかけは私の本である。思いがけず版を重ね10刷となった『ピーターたちのゴルフマナー』を英国ゴルフ博物館が所蔵してくれることになった。「昔あなたの国の新聞に、ゴルフを悪くしたのはアメリカ人だが、最悪にしたのは日本人だ、と私たちはひどい言い方をされました。名誉回復のために日本の多くのゴルファーが全うなゴルフに努めています。私が著したゴルフのマナーブックが10プリンツにもなり、多くの読者がマナーをだいじにゴルフを楽しもうとしているのも、そのひとつの現れです」というメッセージが功を奏したのかどうかは知れない。

 上梓した時同書にはR&Aのセクレタリーだった有名なマイケル・ボナラック卿が推薦文を寄せてくれたこともあって、キュレーターのサム・グローブス女史が「お隣のR&Aの資料室にも所蔵されるように働きかけてあげましょう」と言ってくれた。それに、オールドコースのすぐ脇にクァールトというゴルフ書の本屋がある。その棚に前回訪ねた時迫田耕さんの訳本、アリスター・マッケンジー著『ゴルフコース設計論』を見つけた。なるほどここに日本人の客は少なくないのである。私の本も置いてもらおうと思った。

 

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 『ピーターたちのゴルフマナー』と日経ビジネス人文庫『ゴルフはマナーでうまくなる』と、その文庫のカバーに写真が載っているピーターズクラブの目土袋の現物をセットにして、つごう3セットをスーツケースに詰めていくことにした。

 この旅には四つの目的があった。二つ目の目的は、1999年アラン島のホテルで劇的な出会い(旦那が朝、炭坑節を歌い出した)をして以来つきあいが続いているベック夫妻に会うことであった。夫妻とも海軍だったから悠々自適のシニア・ライフを楽しんでいる。北の古都アバディーンに近いストーンヘブンに住んでいたが、最近少し南の小さな町ローレンスキャルクに引っ越した。「セントアンドリュースから北上してクルーデンベイを経てドーノックまで行く予定だ」と手紙を送ったところ、「ローレンスキャルクのわが家に数日ステイしなさい」との返信が来た。

 第三の目的は、雅代にドーノックを見せたい。私は1996年に夏坂さんに連れていってもらって以来の二度目となる。

 四つ目の目的はクリーフである。昔から夢だったリンクスランドに実際に足を運ばせた大きなモチベーションは、ゴルフ旅行記の名作、マイクル・バンバーガー著『リンクスランドへ』にあった。その後半部に老プロ、クリーフGC専属のジョン・スタークが登場する。極めて哲学的で神秘的なことを口にする幻のプロのように描かれていた。著者のマイクル・バンバーガーが滞在中レッスンを受けるのだが、最後にアウフナフリーというこれまた不思議なゴルフ場に連れていかれる。

 私は地図で漁った。クリーフは比較的早くに見つかった。セントアンドリュースの西、直線にして60キロ、道にして80キロの内陸にあった。アウフナフリーがなかなか見つからなかった。『リンクスランドへ』 にはAuchnafreeとスペルまで書いてあった。スコットランド全土を1枚にした地図には載らない小さな地名なのだろうと思われた。

 そのうち私は向こうで、OS/Landrangerという地図を見つけた。1:50000スケールの地図で、スコットランド全土を約70枚でカバーしている。すべての道が載っている。路地も私道も線が引かれているほど詳しい。私の関心のある沿岸部を中心に十数冊を買い込んだ。その中の1冊、Landranger58/Perth & Alloaの左上にCrieffがあった。クリーフGCに間違いないピンフラッグの記号も見つかった。

 そこからあらゆる道をたどってAuchnafreeを探した。目を皿にしたが、見つからなかった。

 

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 やがて私は遅ればせながら英国の地図サイトStreet Mapに出会った。Auchnafreeを検索したところ、やっぱりCrieffのすぐ北にあった。私の手元のLandranger58/Perth & Alloaの記載エリアの少し上なのだった。その上のLandranger52/Pictlochry & Clieffを取り寄せた。クリーフGCからA822を約11キロ北上したところで川を渡る。ニュートン橋の脇から左に川を遡ると、その川に点線の道が沿っている。凡例によると、囲いのない道の表記である。点線をたどると7キロ先にAuchnafreeがあった。

 ベック宅の次の宿泊地ネアンからハイランドの山中を下りてくればクリーフに出る道がある。旅程は決まった。エジンバラを発つ前の日クリーフの近くに1泊して、ジョン・スタークを訪ねてみよう。

 以上がこの旅の四つの目的となった。

 手元にあるR&Aの分厚いガイドブックGOLFER' S  HADBOOK  2002でクリーフGCを調べた。1891年設立。コースは名選手、ジェームズ・ブレードの設計だ。プロの項になぜかジョン・スタークの名はなかった。デビッド・JW・マーフィーの名が記されてあった。その名前宛に「旅の途中でジョン・スタークを訪ねたいのですが、ヘルプしていただけますか、何かサゼスチョンをいただけないでしょうか」とメールを送った。すぐにシニア・アシスタントのスコット・モリスンから「ジョン・スタークはすでにリタイアしています。ごく稀にここに立ち寄ることがあるだけで、あなたが来る日に彼が来るとは限らない」との返信が来た。

 現在の所属先は書いてなかった。ということはフリーなのだろう。メールかせめて電話がないのだろうか。電話で伝えておきましょう、ぐらいのことを書いてくれてもいいのに、と思った。しかし、体を弱くしていてレッスン客やマスコミなどとはコンタクトを控えているのかもしれない、とも思った。重ねて「なんとか連絡をとっていただきたい」と迫ることは遠慮して一言お礼を書いて返信した。さりとて別ルートでのコンタクトの名案があるわけではなかった。何かいい方法を考えようという意欲はあったが、ジョン・スタークに会える望みは8割か9割がたしぼんだ。

 成田発6月27日、帰国7月6日でエアチケットが決まり、コースのブッキングとホテルのチョイスはいつものエージェント、ウィルキンソン・ゴルフ&リゾートのバリー・ヒンドに頼んだ。

 出発3週間前のある朝、パソコンのメールボックスに知らない女性から「ジョン・スターク」という件名のメールが入った。セントアンドリュースのリンクス・ゴルフ社のオペレーション・マネージャー、クリスティーン・シートンという人だった。「ジョン・スタークからあなたのメール・アドレスを教わりました。毎年行われているセントアンドリュース・ゴルフ・ウイーク、彼はそのティーチング・プロの1人ですが、彼がそのパンフレットをあなたに送るよう言っています。郵便のアドレスを教えてください」。

 さあ、たいへんなことになった。ことは急展開。セントアンドリュース滞在中にジョン・スタークに会えるどころか、レッスンを受けられることになるのだろうか。クリーフにジョン・スタークが現れたのもベリー・ラッキーだが、スコット・モリソンが忘れずに伝えてくれたこともありがたい。

 郵便物は出発1週間前に届いた。セントアンドリュース・ゴルフ・ウイークとはリンクス・ゴルフ社が主催する約1週間のゴルフ教室で、3人のレッスンプロがいて、ジョン・スタークはチーフになっていた。その紹介文によると、彼は1932年生まれ(私より5歳上)。およそ40年間クリーフGCに所属。スコットランドでもっとも傑出したゴルフコーチの1人として、2000年度のヨーロッピアン・クラブプロ賞を受賞した、とあった。

 ところがである、開催期間が4月25日から5月1日までとなっているではないか。もう過ぎたイベントのパンフレットだった。なぜこれを送ってきたのか、その真意が摑めないまま私は次のようにクリスティーヌに返事を出した、「ことしの春にゴルフ・ウイークに参加できなかったのがとても残念です。ともかく私は予定通り出発します。下記の旅程のように28日と29日はまるまるセントアンドリュースに滞在します。28日の午前中にあなたのオフィスを訪ねるつもりです」と。全旅程の宿泊先の電話や予約したコースのティオフ・タイムなど詳細を記した旅程表をそのまま添付した。

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