【第3回】ちょっと歓迎される訪ね方 ~スコットランド/アイルランド~ | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

ゴルフのおかげで、旅、友、嬉し涙 四の旅 感動 ~ミケルソンからお先にどうぞ~

【第3回】ちょっと歓迎される訪ね方 ~スコットランド/アイルランド~

2017.05.09 | 鈴木康之

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 eメール時代になって楽になった。海外のコースのブッキングはふつうセクレタリー宛になる。英国の由緒ある倶楽部では、いまだに役職者個人への正式な通信手段は郵便書簡らしいが、いまどきはたいていの倶楽部がホームページを開いているから、ネットで飛ばしても失礼はない。

 ラクチンになったので、私は旅行の直前にオマジナイをする。自分で予約をとった場合でも、エージェントに頼んだ場合でも、直前に短文のメールを送信しておくのだ。たとえば「何日の何時に予約してある者です。あなたとあなたの難コースに会える待望の日が近づいてきました。1ラウンドにつき1ダースのボールを用意して行きます」。

 最後のお愛想の一文はなんでもいいのだが、リンクスコースの場合はだいたいウチこそ最難コースという誇りがあるから、こんな文例が効き目があるのではないかと思っている。

 ノースべリックでは、キャディマスターとは別にクラブハウスのコンシアジーのような老人がいて、ここが初訪問だと書いてよこした小柄な日本人夫婦を愛おしく思ってくれたのだろう、クラブハウス中を、なんと調理場まで案内して回ってくれた。

 アラン島のシスキーンでは、日本人は珍しいらしく、わざわざ数年前の署名台帳から漢字のサインのページを探し出しておいてくれて私に見せ、「知っているだろう」と言う。「知りませんよ、日本はでっかい国なんだぞ」と言ってあげたかったけれど、心遣いの見えるその迎えられ方は嬉しかった。

 

 

プレストウィックのアレグザンダー

 

 プレストウィックGCでは、キャディマスターのロジャー・アレグザンダーに連絡が下りていて、大男の彼が駐車場から歩いてきた私たち日本人夫婦を見つけ、十数メートルも先から「ミスター&ミセス・スズキ!」と両腕を広げて迎えてくれた。この人なんでおれたちがスズキだって分かったんだ、と狐につままれたような気になったが、考えてみれば本日のスタート表にSUZUKIという日本人名と、歩いてきた小柄・短足の2人の男女を結びつけるのはいとも簡単なわけだった。

 プロレスラーのような顔で「ロジャー・アレグザンダー」と名乗るから、「アレグザンダー?」と発音を確かめると、やっぱり濁らせて「アレグザンダー」と言う。そして「スコットランドの代表的な姓なんだ」と威張っていた。「アレキサンダー」ではいけないらしい。

 そして、クラブハウスが改築中だったためもあるだろうが、道を越えた臨時の女子のロッカールームをわざわざ歩いて案内してくれたり、キャディマスター・デスクの周辺の改造計画を話してくれて、こんど新しいコンピューターが入るんだ、ここにこういうふうに、と説明してくれた。私には興味もないし、訳も分からない話だが、しばらく「イッツ・グッド」などと言いながら聞いてあげた。私たちを歓迎してくれたことへのお礼である。

 前日に訪ねたノースベリックGCのスタートハウスには、「ラウンド3時間以上をかけてはいけない」のボードがあった。ここには見当たらないので、「ここの時間規定は」とアレグザンダーに尋ねると、答えは明快、「速いほどベター」。

 アレグザンダーの「速いほどベター」には続きがあった。私とワイフの組を「もっとも好ましいパーティだ」と言う。ほめられたのかと思ったらそうではなかった。ここでゴルフする旅行者は、2人がいい、しかも2、3回目まではキャディをつけるのが、コースの流れを乱さないいい形だという意味だった。2人なら追いついた4人の組をパスすることもできる。

 

 

 好ましくないのは旅行者4人だけの組だ。ここは、コースの難度SSSが73、スコットランドで最難のクラスである。全英オープン初期10年間の会場だったクラシック・リンクスをキャディつけずに一見の客が4人で歩くのは、闇夜に提灯なしである。200ヤードのパー3「ヒマラヤ」も、パー4「アルプス」のセカンドショットも、グリーンは旗の先すら見えない丘越えになる。キャディの案内なしには方向も番手も分からない。密生するブッシュとうねるラフ。私たちの目では球が消えた地点を見誤り、ボール探しで後の組を待たせる。キャディはすぐに見つける。また、キャディたちは互いに目で交信するから、パスを促したり譲ったりして、流れに淀みをつくらない。

 1番ホールに沿って鉄道がある。小さな駅の脇が1番ティになっているので、列車を待つ人たちがギャラリーである。前の組がティオフした。アレグザンダーが「スペア・ボールは1ダース持っているか」と笑って聞いてきた。私は笑って「イエス・トゥルーリー」と答えた。「1個で足りるさ。グッド・キャディだから。ハバ・ナイス・ゲーム」と彼は部屋に戻った。直前メールの効き目を確信した。

 私とワイフのキャディは2人ともあまりシャキッとしたサービスをするクラスではなかった。それに私のボールを1個は探せなかった。先行の4人組を1回パスしたが、3時間と約15分だった。マスター室の前でアレグザンダーが「エンジョイしたか」とあちらのコースお決まりの言葉をかけてくれた。「十分に。しかし楽しんだ分15分遅れた」と言うと、「ノー・プロブレム」と笑って首を振った。

 結構足にくるアップダウンもある18ホールだった。せっせと歩いた後は、快い疲労感と達成感に浸りながらの19番。アレグザンダーが食堂のほうに手を向けて言った、「プレーイング・ゴルフが速いほど、ドリンキング・ビアが、ゆっくりできるのさ」。

 プレストウイックの信条は「リラックス&フレンドリー」だと書いてある。その通りのホスピタリティであった。

 

カウンティダウンのピーター

 

 北アイルランドのロイヤル・カウンティダウンでは、セクレタリーのピーター・ロルフがようこその握手で迎えてくれた。

 ここでは2夫婦4人だった。私を除く3人にキャディを頼んでおいたのに、大人のキャディが出払っていて、3人の子供がつくことになった。子供のフィーは半額近くになる。その額の北アイルランド紙幣を用意していなかったので、ラウンド後、手持ちのアイルランド紙幣で払った。換金手数料分もつけたのだが、子供たちは換金は面倒だから嫌だと抗議してきた。訳を話したが納得してくれない。

 甲高い子供たちの声がオフイスの中に届いたらしい。窓から私たちの姿を見たピーター・ロルフが出てきて、子供たちに叱るように何か叫んだ。子供たちは急に黙り、帽子を脱ぎ、お辞儀をしてすごすごと帰っていった。

 「おまえたち遠来の客に失礼だぞ。無理を言うな」とでも言ってくれたらしい。そしてギネスを1杯ずつご馳走してくれた。

 これには訳がある。私のジャケットにはピーターズクラブのエンブレムが縫いつけてある。ピーターズクラブとは拙著『ピーターたちのゴルフマナー』に共感してくれる仲間たち60人ほどの倶楽部なのだが、キャプテン役のグラフィック・デザイナーの副田高行さんが倶楽部エンブレムのデザインをした。倶楽部だから創立年度を入れたいということになって考えたのだが、いつが起源かはっきりしない。ならばいっそのこと、ゴルフのエチケットが明文化された年にしちゃうべぇ、ハッタリとジョークでやっちまえ、ということに落ち着いた。夏坂さんの調べによると、エジンバラのオナラブル・カンパニーのキャプテン、ジョン・テーラーが『ゴルフ憲章』なる、いまの公式『ゴルフ規則』の第1章エチケットの原型となったものを書いた年が1828年だそうだ。ピーターズクラブのエンブレムには「SINCE 1828」の刺繡がある。

 その朝、ピーター・ロルフに挨拶をした時、彼が私のジャケットのエンブレムに目をやって、「ピーター」同士で気をよくし、創立年度に驚き、このジョークに笑ってくれた。そんないきさつがなくてもセクレタリーは子供たちを追い払ってくれただろうが、効果がまったくなかったわけではないだろう。

 なんでもやってみるもの、言ってみるものである。一言の挨拶は地球のどこででも決して無駄にはならない。

 

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン