【第01回】 | マイナビブックス

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今宵、虫食いの喪服で

【第01回】

2016.12.08 | 柏原弘幸

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八月も半ばを過ぎたというのに真夏日は、まるでいやがらせのように延々と続いていた。細い路地の入り組んだこの窮屈な住宅密集地にも、傾いた太陽がじりじりと照りつけている。
その一角に、一見廃墟と見紛うアパートがあった。朽ち果てた外観は、河口に近いこの界隈の風景の中にあっては、浅瀬に打ち棄てられた廃船の趣おもむきすら漂わせている。共同玄関らしき場所にある粗末なドアは閉まりが悪く、いつも野良猫が通れるくらいに開いていた。
ドアの中には、木枠で仕切られただけの、どうぞご自由に盗んで下さいと言わんばかりの郵便受けと、蓋こそついているものの、一足しか入らない下駄箱が部屋の数だけあった。
二階に続く階段を上がると、廊下を挟んで左側に六部屋、右側に五部屋、鶏小屋のように四畳半の部屋が並んでいる。右側の薄暗いどんづまりには、悪臭の漂う共同トイレが配置されてあった。
横山健一はこのトイレ横の自室で、片方のレンズがひび割れた銀縁メガネと、よれよれのトランクス型パンツ一枚の姿で仁王立ちしていた。
骨董品のような扇風機の奏でるカラカラという音だけが、今自分が生きていることの証明に思える。歳月は横山だけを置き去りにして容赦なく流れていた。二○○○年代に入って数年が過ぎ去っていたが、今が西暦何年なのか、横山の中では曖昧なままだった。
横山は後退した額から噴きだした大粒の汗を拭うと、一八五センチの巨体を折り曲げ、昭和の空気を閉じ込めたような押入れ深くに上体を突っ込んだ。長い腕を振り回し、ショベルカーのようにガラクタを掻き分け、見当をつけた辺りをまさぐると、喪服を掴んで乱暴に引き摺り出した。
――頼む・・・・・・
横山はつぶやくように言った。
一抹の不安を抱きながら、勢いよく広げてみる。西陽さえ当たらない四畳半に埃が舞い散り、四十九歳の汗ばんだ横山の裸体に襲いかかった。
――やはりだめか・・・・・・
横山は埃の渦に顔をそむけながら、唇を歪め大きくため息をついた。
――俺のようにエアコンも使わない、地球にやさしいエコな人間が、なぜこのような悲運に見舞われなくてはならないんだ! 不条理だ! 神様は何をしている! どこまで俺をいじめれば気が済むんだ!
横山は天に向かって悪態をついた。

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