実は、榎本がこの嘆願書を英仏に託した際の意識としては、当時、函館に駐留する各国の代表や船長らに「事実上の政権」であることを認められたのに気を良くして、「外交力と海軍力の2つを背景に各国を味方につけて、蝦夷地を手に入れる」という期待が込められていた。
しかもこの時、榎本は〝鳥を割くに牛刀を用いる 〟ために、意気揚々と「開陽」に乗り込み、江差へ向かっているのである。つまり、榎本の嘆願書に込められた期待には、「開陽」という1隻の艦が健在であることが前提となっていた。
一方、歳三をはじめとする旧幕府軍の中には、この蝦夷地に死に花を咲かせるつもりで流れて来た者が多かったわけだから、自ずと、この嘆願に対する期待度に違いがあることは当然であった。