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世の中すべては営業である① 営業実践編その1

【第02回】ここで少しだけ自己紹介にお付き合いください

2016.12.22 | 安倍幸志

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経歴に触れておくと、大学を中退し23歳までフリーターのようなものでしたが、当時付き合っていた彼女が妊娠したのを機に入籍、先方の親の手前もあり、慌てて正社員の募集に応募して採用されたのが、外資系保険会社のA社。やったこともない営業に配属されるが、そこが飛び込み専門の部署。来る日も来る日も、ガン保険を企業やその従業員さん、商店主に売るという仕事で、飛び込み営業の辛さは、当時ベトナムの最前線に例えられるほどでした(半年で50人入って45人は辞めるようなところ、まさに新兵がどんどん前線で倒れていく)。
右も左もわからない若造でしたが、若くてパワーがあったことと、鬼軍曹のような上司のもと、飛び込み営業のコツを掴んだことで、半年で30人ほどいた営業所でトップを取り、24歳でマンションを買い、2年目には全国1000人ほどの営業マンの中で常に30位以内の成績を残していました。会社からは、最年少のマネージャーの誘いを受けるなど順調な営業人生でした。
転機は3年目、営業先の会社の社長から、オーストラリアの支店長候補にという甘い言葉に誘われて、海外の不動産を売買する会社に転職。しかし、入社してみるとその会社の販売手法が詐欺まがい(詐欺的商法で訴えられていて、裁判では勝訴していた)で、ハワイやオーストラリアには出張出来たものの、良心の呵責に苛まれ退社したのが27歳。
法律的には問題なくとも、違法スレスレで結果的に人を騙すことに加担するような営業にはコリゴリしたのと、ちょうど子供がまだ小さく、当時の奥さんの仕事が、海外出張が多く月に10日しかいないということもあって、今でいうイクメンになって、家で出来る仕事を探していました。
ちょうど良く住宅設備の修理やメンテナンスを自営で出来る会社があり転職。ドライバーのプラスとマイナスくらいしかわからないまま、トイレやお風呂の修理や蛇口の取り換え、しまいにはガス給湯器の修理までしていました。考えてみると、この時が過去では一番(どんなことをしても子供を食わせていくんだという)覚悟があった気がします。
その住宅設備のメンテナンスの仕事ですが、当時はまだ、修理屋さんは黙って寡黙にものを直していき、終わったらハンコとお金を貰って帰ってくるのが普通でした。技術系の人と違い、私は元営業マンですので修理しながら施主様といろんな話をするうちに、時には外壁の塗り替えの仕事や、部屋のリフォーム、ある時は子供の家庭教師まで頼まれるようになり、本当に中学生の英語や数学をみてあげるような、変わった修理屋さんになっていました。
しかし、外壁の塗り替えやリフォームは、会社に紹介しても一円にもなりませんでした。家庭教師はキチンと報酬がいただけて、時には夕飯までごちそうになれるので、なかな良い待遇でしたけど。
そしてまたもや転機がやってきます。10年ほど経ち、子供も中学生になり少し手が離れた時に、あるアパートオーナーの家の修理を終えて、世間話をしていると、そのオーナーが僕の顔をじっと覗き込んで、真顔で言うのです。「あなた、営業やったほうがいいんじゃない? もったいないわよ、向いているのに」。なんだかその一言で、そうか私のやっていることは修理の範疇を超えて営業だったんだ、とハッと閃いて、もう一度営業をやってみようかという気持ちが湧いてきました。すると、最初に思い浮かんだのが、なぜか苦しかったけど楽しかった飛び込み営業だったのです。過去に生命保険分野は経験したので、損害保険がわかれば保険のエキスパートになれるに違いない、何より簡単に転職試験に受かるに違いないと、入社したのが外資系損保会社のA社。
 
歩合も付くし、以前の経験もあったので嬉々として飛び込み営業を始めたものの、最初の3日の営業研修では全く取れず、もう飛び込みでは保険は取れないんじゃないかと、自信を失いかけ不安になる中、夕方5時過ぎに入ったのがカウンター10席あまりと、テーブル席が3つほどの小さな小料理店。60過ぎかと思われる、酸いも甘いも噛み分けたようなママに対して、セールストークも箸にも棒にも掛からないまま、開店間近の7時近くまで2時間近く粘りに粘り(全く迷惑な営業マンでしたが)、最後は土下座まがいの泣き落としまでして年間わずか1500円の保険に、無理やり入っていただきました。
お客様が根負けして入ってくれたに違いないのですが、でも、それで開き直れたのです。お客様からお金を頂戴するというのは、例え100円でも難しいんだということに気づき、教えられ、それからは不思議と毎日契約が取れて、気が付いてみると研修期間の2か月間の中、合計14日の営業実習があったのですが、普通の人が2件取れれば合格点というところ、私は26件成約をして、その記録はA保険会社で未だに破られていないようです。
そんなわけで順調に成績を残して、営業所ではダントツのトップ、一年終わってみると今度は1200人の中の10番以内という成績を残しました。勿論、今度は若くはないですから営業手法も、飛び込みから電話アポイントや紹介営業という風に、変化していきました。このままで行けば、普通の人が5年掛かるところを特例で2年で独立というのが見えて来るところまできました。
ところが生まれて初めて受けた会社の人間ドックで、肝臓がんがみつかってしまいます。まさに、ガーンです。まだ、38歳で子供は中学生、今でも告知された日のことは忘れられません。
夕暮れ時の診察室、30そこそこかという若い先生、椅子の背もたれに深く寄りかかり、パソコンの僕の肝臓の画像を見ながら、バックには夕日に照らされたオレンジ色のブラインド。芝居がかっているようにも感じる、少し低めの声のトーンで「安倍さん、おいくつですか? 38歳かぁ、お子さんは? 中学生かぁ。フゥー。」と大きくため息までついて(笑)
「肝臓ガンです、テニスボール大の腫瘍があります。悔いのないように治療してください」
まるで、間接的にほとんど絶望ですと言ってる(笑)。当時は笑い事ではありませんでしたが。
その日は、病院から車で30分ほどの道のりを、どうやって運転して家に帰ったのか覚えていないほど、頭の中は真っ白でした。しかし時間が経つにつれ、なんであんな若造の医者に、しかも生まれて初めてあった奴に、人の人生の大事なことを、ため息交じりに告知されなきゃいけないんだよ、と怒りがこみあげてきて、病気と戦うパワーの源になりました。これもある意味ブラックモチベーション。結局その病院ではなく、国立がんセンターで手術をしてもらい、それから12年生かしてもらっています。
その後ひと月ほどで、仕事に復帰してみたのですが、肝臓を三分の一と片方の副腎を取ってしまったせいなのか? どうも疲れやすく、以前のようには身体が動きません。また、無理をすると週末はベッドから起き上がれない日々が2年くらい続きました。そして何より、仕事へのやる気が出ないのです。やはり、肝心要という言葉にもあるように、大事な臓器を切り取ってしまったせいでしょうか?
見た目は元気なので、毎日やる気もなくぐずぐずしている様子が、当時の奥さんには、ただ怠けているようにしか見えなかったのでしょう。手術の1年後には無理を言って独立させてもらったのに、家庭内別居から始まり、その後は本当の別居へとなってしまいました。当時の奥さんには、本当に悪いことをしてしまいました。本来なら、大病を克服して家族も夫婦も強い絆で結ばれてもおかしくないのに、全く逆の方向に向かってしまったのだから。
その後も僕は、多少の保険金がおりたこと、独立した会社を一緒にやってくれた仲間からは、やる気が出るまで遊んでいいと言われて、給料だけは払ってもらっていたので(本当にありがたい会社です)、好きなゴルフを中心にチャランポランに人生を過ごしてきました。そんな生活を8年近く続けてみると、会社の売り上げは減り続け、仕事のトラブルを同僚が起こすたびに、自分の報酬をカットしていきました。なぜなら、まともに働いていなかったからにほかなりません。
そして、二年前決定的な事件が起こり、我々代理店の手数料が三割カットされるか、もしくは営業停止というところまで、追い詰められました。気がつけば報酬はピーク時の五分の一以下になり、色々なものを節約してもギリギリか、少しずつマイナスが増えていく生活になって、やっと重く揺るぎない覚悟ができて、そこからは見違えるようにV字回復していきます。
もう一つは、時期を同じくして、新たな人生を共にしていく人と出会い、残りの人生を悔いなく、楽しく歩んでいこうという、覚悟をすることができたのも大きかったように思います。それまで独りよがりだった自分が、多少人よりも営業ができたことを通じて、従業員だけでなく周りの人にお返しできればと、2年前から始めたミーティングと研修の内容が、拙書のもとになっています。
考えてみると、覚悟は追い詰められたり、切羽詰まったり、大ピンチに陥った時には、できてしまうのかもしれません。もちろん、諦めさえしなければですが。また、愛する人に告白する時、結婚して子供ができた時、親や大切な人が亡くなってしまった時、就職した時などなど、覚悟を決めるチャンスは意外と沢山あるのです。開き直ることや、腹をくくることも、人生一度や二度ではないはずです。ただ、折角したはずの覚悟を多くの人達は忘れてしまうのです。または、賞味期限が切れ、曖昧になってしまうのです。この本を読むことを機に、もう一度自分の覚悟を確認し、磨き直すか、新しい揺るぎない覚悟を見つけていただければ幸いです。年収1億とは行きませんが、1500万円ならば覚悟一つでどうにでもなるものなのです。