【第3回】第一章:回天の土方―(3) | マイナビブックス

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龍馬、蝦夷に征く! (上)

【第3回】第一章:回天の土方―(3)

2017.01.05 | ナリタマサヒロ

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「一度、負けちまった方がいいんだよ、国も人も。」

歳三はふと、ある人物が言った言葉を思い出した。

「そうか、勝さんが言っていたのは、このことだったのか?」

あれは、たしか、近藤さんが流山で捕らえられた慶応4年4月3日の晩に江戸に潜入した歳三が、その翌日に、勝海舟の元へ助命嘆願の願いを出してもらうように頼みに行った際の会話だった。

歳三の願いを一通り、聞いた後、勝は独特の江戸っ子弁のべらんめい調で長々と語り始めた。

「いいかい、もはや、近藤の命は、いくら俺でもどうすることも出来ねえよ。第一、大久保大和なんて旗本の名前が偽名であることなど、京都に居た連中に首実検させれば、すぐにバレちまうだろう。近藤には悪いが、ここは一つ、徳川のために犠牲になってもらうしかねえんだ。でも、それは近藤ばかりじゃねえよ。おそらく、今後、会津の容保公も無傷では済まされめえ。なにせ、お前さんたちは京都で散々、〝不逞浪士〟改め、〝勤皇の志士〟たちを斬りまくったからなあ。その新撰組を預かったのが京都守護職の会津藩主となりゃあ、藩主もろとも、薩長がこれを許す筈がねえんだよ。俺はこれから、薩長と掛け合って、なんとか、徳川家を大名として存続させ、かつ江戸の町を戦火から回避させなければならねえ。そうなると、薩長にしてみても、振り上げた拳を降ろす先が必要なわけで、それがお前のところの近藤と、会津藩って訳なんだよ。それによお、近藤が処刑される理由ってのが、ほかならぬ、あれよ。『回天維新の立役者、坂本龍馬の暗殺容疑』ってんだろう。大体、〝馬鹿も休み休み言え!〟ってんだ」

「お前さんたち、新撰組は、当時、不逞浪士の取り締まりが役目だったんだから、百歩譲って、坂本に手を掛けちまったにしても、それを今更、隠す必要なんて、これっぽちも無えんだろうによう。それに、坂本を殺ったのは、佐々木只三郎の京都見廻組ってのは、当時、京に居た連中は、皆、判ってだろうにな。とはいえ、佐々木只三郎をはじめとする、京都見廻組の坂本暗殺の実行犯らは、ほとんどが鳥羽・伏見の敗戦で死んじまっているから、まあ、〝死人に口なし〟って訳だな。しかし、よう。それじゃあ、俺たちが困るんだ。坂本にあそこで死なれちゃよう。何故かって? そりゃ、お前え、薩長の奴らが坂本の考えというか、今となっちゃ、遺志を踏みにじっているからだよ」

「いいか、そもそも、あの慶喜公が『大政奉還』をしたのは、坂本が考えた『船中八策』ってのが、下敷きになっているんだ。その中じゃ、坂本は慶喜公を新しい政府の閣僚に加えた新体制を考えていたんだな。なにせ、この国を300年もの間、舵取りしてきたのが徳川幕府である以上、徳川家の協力なしには国も立ち行くめえと心配してのことだったんだ。それに何より、坂本はこの国で内乱が起きることを最も懸念していたんだ。あの鳥羽伏見のような戦さがよう。坂本は外国との付き合いも多かったから、列強がこの日本を虎視眈々と狙っていることも判っていたんだ。阿片なんぞを持ち込まれた日にゃ、清国みたいな体たらくになりかねねえとな。そんな、列強につけ入る隙を与えねえ為にも、是非、必要と考えたのが、坂本の『大政奉還』だったんだよ。坂本はなあ、徳川家が自ら、政権を手放すかわりに、新政権にも一大名として参加出来るようにと、考えていたんだ。つまり、徳川家そのものは存続されながらも、倒幕は実現出来るという、まあ、『大岡捌き』みてえな構想だわな。その目論見は慶喜公にも利するところあって、土佐の山内容堂公からの建白書に飛びついた」

「まあ、俺自身、二度目の長州征討の停戦交渉の際には、あの慶喜公には一杯、食わされたからな。こっちとらが、命賭けで単身、宮島に乗り込み、毎日、死ぬ覚悟でふんどしまで替えて交渉に臨んでいたのに、あっさりと停戦の詔勅を引き出して、俺が約束した『幕府政治を一新する案』を反故にした。あのお方は、そういうところは油断ならねえ。これで、長州は『もはや、倒幕しかねえ!』と、腹を決めたんだから、ある意味で、慶喜公の〝身から出た錆〟ってことになるわな。とはいえ、最初の長州征討の頃に、張り切っていた西郷隆盛に、『遅かれ早かれ、滅びる幕府に手を貸すより、雄藩の手で新しい日本を切り開いてはどうだい?』と、目を覚ましてやったのは俺自身だし、その西郷と長州を結びつけたのは坂本だから、倒幕されちまった責任は俺たちにもある。しかし、倒幕はこっちも望んだこととはいえ、徳川家の処断までは希望していねえ訳だから、あの「王政復古の大号令」つーのは、いけねえよな。結局、玉を長州派の公家に奪われたわけだ。それにしてもよ、一所懸命に戦ったお前さんを前に言うのも気が引けるんだが、あの鳥羽伏見の戦いで、まさか徳川方が負けるとは意外だったよな。何しろ、数じゃ、3倍くらいの1万5千兵はいたんだろう? まあ、これも、さっきの話と同じで、何度も幕府や列強に痛めつけられていた薩長の方が、徳川300年の太平に胡坐を掻いていた旗本より強かっただけのことだろうけどよ」

「そもそも、『大政奉還』をしたと言ってもな、考えてみりゃ、東照宮様が大政を奪ったわけじゃねえんだよ。それを言い出すなら、それこそ、鎌倉将軍の昔に立ち返って、武家が政権を握って、申し訳ないということになるんだろうがな。何が言いてえかと言えば、徳川ってのは、征夷大将軍に命じられて幕府を開いただけで、『大政』なんぞ、奪った覚えもねえから、仰々しく『大政奉還』をしたところで、そんなものは紙切れ一枚でしか在り得ねえ。それを言っちゃあ、『王政復古の大号令』にしても、同じようなものなんだよ。だから、慶喜公もタカを括っていたんだな」

「どうせ、『大政』を『奉還』したところで、まつりごとなんぞは、徳川にしか、行なうことはあるめいと思し召していたんだ。そりゃ、そうだろう。石高で言っても、日本一の大大名だし、海軍力をはじめとする兵力も最大、最強の筈だったんだ。そう、そのはずだったんだよな。鳥羽伏見で負ける前までは……。事実、『大政奉還』をした後も、慶喜公は大阪城で諸外国の公使に謁見され、引き続き、日本の舵取り役であることを認めさせていたんだからな。ところが、まさかの負け戦で、慶喜公も驚いて、味方の兵を置き去りにして、船で江戸に逃げ帰っちまったわけだけど、可愛そうに、あの将軍様は一度も千代田のお城に入っていねえんだよ」

「それで、だ。そんな上さまでも、日本の新しい政府の一員として、残してやりてえ! ってんで、坂本は『大政奉還』を最初に描いたんだが、それを倒幕派の公家や薩長に横取りされちまった。坂本って男は、優しい男でね。慶喜公が自分が発案した『大政奉還』をしてくれたと、後藤象二郎から聞かされちゃ、日にゃあ、」

『大樹公、今日の心中さひそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん』

「と、誓ってんだよ。まあ、もっとも、そのちょっと前までは、もし、慶喜公が『大政奉還』をなされなかった時は、」

『建白の儀万一行はれざれば、もとより必死の 御覚悟故、御下城これなき時は、海援隊一手を もって大樹参内の道路に待ち受け、社稷のため 不倶戴天のあだを報じ、事の成否になく、先生に地下に御面会仕り候』

「なーんて、恐れ多くも上様暗殺をほのめかすような手紙を後藤に渡しているのだから、いかにもあいつらしいよな」

「なにせよ、上様が『大政奉還』をしなけりゃ、海援隊を率いて待ち伏せして暗殺奉ると書いたその日によ、今度は『大政奉還』したら、その上様に命を捧げます! ってんだ」

「その辺の融通無碍は、奴の真骨頂だな」

「こればかりは、幾ら戦さ上手とはいえ、近藤やお前さんには出来ねえ芸当だろうな」

「そんな調子で、一介の浪人の身でありながら、薩摩と長州の見合いを成功させたんだからな。それが、坂本龍馬って、男よ。俺もいい弟子を持って、鼻が高けえよ」

「おっと、また話が横道にそれちまった」

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