【第2回】好きな音楽を仕事にしたい! | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

音楽の力① 音楽との出会いと就職編

【第2回】好きな音楽を仕事にしたい!

2016.12.22 | 前田融

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

大学3年生になるとそろそろ進路を考えなければなりません。

ミュージシャンとして自分が出来るのか考えてみました。ギタリストは多いので活躍出来る可能性は低いし、それ以前に音楽理論も分っていないし、顔はダサい上に背も低い(笑)ので、プロにはなれないと思いました。

それに親からは「ミュージシャンになるようなら親子の縁を切る!」とまで言われてました。まあなれるとは思っていませんでしたけど。

しかし、当時私の回りにはプロを目指そうとする友達が何人かいました。

自分に何が出来るだろうと考えたとき、ミュージシャンとして無理なら彼らをサポートし、音楽を作る側に回ろうと考えるようになり、レコード会社に入ることを目指そうと思いました。

1970年後半に細野晴臣さんが書いた「レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす」や吉野金次さんの「ミキサーはアーティストだ!」を読み、自分がレコード会社に入って何をしたいのか考えました。

結論は、「レコーディング・エンジニアになり、音作りを理解してからディレクター、そしてプロデューサーになろう」でした。

当時人気絶頂だったビリー・ジョエルのプロデューサーであるフィル・ラモーンが、レコーディング・エンジニアとしても活躍していたのを知った私は、無謀にも日本のフィル・ラモーンを目指そうと考えた訳です。

 

レコーディングに関する本を見つけ読んだりすることで自分の夢の実現を夢見る日が続きました。

しかし、私の周りには当時レコード会社関係の知り合いなど全くいません。どのようにしたら自分の目指す道に近づけるのか皆目見当もつきませんでした。

たまたま高校時代のバンド仲間が、ソニーの秘書をやっていて、彼女にCBSソニーの秘書(なんと大賀さんの秘書です)を紹介して頂き、そしてCBSソニーの信濃町にあるレコーディング・スタジオの課長の連絡先を教えてもらいました。

すぐにその課長へお電話して会って頂けることになり、緊張して信濃町のスタジオへ向かいます。そして、素晴らしい最新設備のレコーディング・スタジオを見学させて頂きました。こんな訳の分からない若造を快く案内して頂けたことに今でも感謝しています。

そして、ミキサーになりたいのですがどうしたら良いのかスタジオの課長に尋ねてみました。

その返事は、「新卒でミキサーは取りません。ほとんど経験者を採用していますよ」でした。

経験者でないとミキサーになれないという現実が目の前に立ちはだかります。レコード会社にコネも何も無い人間がどうやってスタジオの仕事に関われるのだろうと考えましたが、当時インターネットなど無く情報も少ない(探さなかっただけかも知れません)のと頭も回っていない私は、安直にも身近で探し、当時私が在籍した大学の文化祭などでPAを担当していた会社の社長に「バイトとして雇ってください」とお願いに行きます。

本来であればレコーディング・スタジオなどのバイトに就くべきなのに、その頃は似た様な仕事に就けばどうにかなるのでは無いかという、いかにも学生らしい脳天気な考えでPAのバイトを始めます。

大学4年は、学校よりPAの仕事へ行く方が多くなりました。

大学の就職担当の先生には、「レコード会社に入りたい」と話しますが、面談するたびに考え直すよう説得されます。しかし、私のレコード会社に入りたいと思う気持ちは強く、それ以外何も受け入れない状況でした。教授からすれば困った学生だと思われていたでしょう。

 

PAのバイトは大変でした。ライヴがある時は朝5時ごろ起きて、機材を積んでいる2トンのジュラルミン・トラックがある駐車場まで行き、なるべく通勤ラッシュになる前に高速に乗ってライヴ会場入りをします。

午前中までにミキサー、アンプ、スピーカーなど機材をセッティングして音だしなどのチェックを行い、午後からはミュージシャンが入ってリハーサルが始まり、そして本番へ。だいたい夜9時ごろにはライヴが終了し、機材撤収し駐車場に戻るとすでに夜11時ごろになります。

その後、社長たちと熱い音楽談義をすることもあり、それは本当に楽しい時間でした。

夏のバイトは特に大変でした。ジュラルミン・トラックの荷台に入ると、中は暑さで蒸風呂の様で汗が滝の様に流れてきます。

時には、運転手もさせてもらいましたが、機材が後ろの方に積まれると前輪が浮いてハンドル操作がままならない時もありました。今考えると良く事故らなかったなと思います。

 

実はこのバイトで一番の収穫だったのは、コミュニケーション能力が鍛えられたことでした。PAと言ってもプロのミュージシャンのものはほとんどなく、学生向けのものが多かったので、機材の撤収を学生に手伝ってもらうのですが、重たい機材が多いので怪我をさせないように注意し、コミュニケーションを取りながら作業しなくてなりません。

それまで、どちらかというと内向的だった私にとっては、人とコミュニケーションを取る良い訓練になったと思います(今でも駄目だと思いますが、今思えば学生時代はもっとひどかった)。

このバイトは貴重な経験でしたし、ライヴの仕事が入っていないときにPAの機材を私の友達のレコーディングに無償で貸してもらえることになります。

レコーディング・エンジニアになるには遠かったかもしれませんが、PAのバイトをしたことが自分に取って今考えると本当にラッキーだったと思います。

音楽の仕事に関わりたいと思う気持ちが、自分の殻を破って新たな自分に挑戦するきっかけを作ってくれました。これも音楽の力があったからだと思います。