【第1回】音楽との出会い | マイナビブックス

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音楽の力① 音楽との出会いと就職編

【第1回】音楽との出会い

2016.12.12 | 前田融

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私が音楽を自らの意思で聴こうと思ったのは、1971年の中学3年生の頃でした。どちらかというと遅いですよね。

ラジオから流れてきたビートルズの音楽がまるで体中に電気を流したかのように感じ、それ以降音楽の世界に嵌まっていきます。

実は、私はそれまで音楽が大嫌いでした。幼稚園の頃から嫌々やっていたピアノ。先生が厳しかったので好きになれなかったのかもしれませんが、特にクラシックに対しては、嫌悪感がありました。それに輪をかけて父親は大のクラシック・ファンだったので、家では嫌いなクラシック音楽が流れ、益々音楽が嫌いになっていました。

中学校に入って部活動として野球を選びました。その理由は、小学校時代に体育の成績が1を付けられるほど運動神経が鈍かったので、人並みの運動神経をつけるためなのと、野球というのは突き指など手の怪我の可能性があるためです。

そうです、ピアノを辞めるきっかけのためでした。案の定ピアノの先生からは、「ピアノを取るか野球を取るかどちら決めなさい」と言われ、喜んで野球を取ることにしてピアノとおさらばしました。

 

中学生時代は、昼は野球部の練習に出て、夜は剣道の道場に通うという生活パターンで正に運動に毎日明け暮れていました。そのお陰で人並みの運動神経になることができました。

そして、中学3年生になると夜中に受験勉強をやるようになり、ラジオの深夜放送を聴き始めます。最初は歌謡曲やフォークソングなどを聴いて、「こんな楽しい音楽もあるのか」という感じでしたが、忘れもしません「みのもんたの『カム・ トゥゲザー』」という番組で流れたビートルズの音楽を聴いた時、身体中に電気が流れ、私はビートルズの音楽の世界に引き込まれて行きました。

その後中学校で、私はビートルズの曲名全てを机に落書きしたり、音楽の授業でビートルズを題材にした発表などもしたのを覚えています。ただどのような内容を発表したかは忘れてしまいましたが。

音楽を聴くだけでなく、演奏する方にも興味を持ち始めます。高校に入ると念願のエレキ・ギターを親に買ってもらい(過保護でしたね)、バンドを始めます。

当時ロックは不良の聴く音楽と言われていたので、残念ながら学校には軽音楽部などはありません。そこで部活動は中学校の頃からやっていた剣道部に入り、バンドは好きな者が集まって勝手に練習をやるようになります。

当時楽器を持っている生徒は少なかったので、楽器を持っているだけでバンドに誘われ、バンドを組むようになります。

家では、必死にレコードを聴きながら、ギターの演奏をコピーします。私が演奏するような曲の楽譜などほとんど存在しなかったので、耳で聴きながらまねるしかありません。その為、同じ曲を何度も何度も繰り返し聴きました。

演奏を披露する場は、高校の文化祭や合唱際や新入生歓迎会などでしたので、ライヴは3年間で10回程度しか出来ませんでしたが、今思い出しても本当に楽しい高校生活でした。特に高校3年の文化祭でやったライヴは、観客総立ちになった風景が今でも目に焼きついています。

 

一浪して大学に進学し、迷わず軽音楽部に入ります。部室は、大学の一番北に位置し、雨漏りもする様なオンボロの部屋でしたが、24時間練習出来るのが一番の魅力でした。しかし、多くのバンドが所属していたので、部室は練習時間の取り合いで大変でした。

唯一の問題は、すぐ裏が病院だったので、大きな音で夜中練習していると看護婦や時には警官が「病人を殺す気か!」と怒鳴り込んでくることでした。

大学生の4年間は学校には通いましたが、一番時間を費やしたのは、この部室だった気がします。授業中はバンドの練習をする連中は少ないので、暇な仲間が集まればすぐセッションが始まり、音楽三昧の日々を過ごしました。

音楽が嫌いだった私がビートルズを聴いて、人生は180度(360度ではありませんー笑)変わったのです。音楽はそれだけ人生を大きく動かすだけの力があるということを、身をもって証明した訳です。

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