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当たるも八卦当たらぬも八卦

【第6回】二章 卒業、就職 (2)

2017.05.30 | 久根淑江

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 3 高校卒業、そして就職

 

 高校最後の夏休みが終わり二学期に入ったが、体調は今一つで教壇や、黒板を前にしても何故か心が弾まなかった。

 それでも私は気持ちを集中させ、何とか恥ずかしくない成績で高校を卒業することができた。

 就職を希望する生徒には学校が就職先を斡旋してくれたので、希望すれば銀行や、一般企業の採用試験も受けられたが、銀行は良家の子女を採用する傾向が強いので何となく気が進まず、かといって、あまり大きくて堅実な会社も私の性分に合わなかった。

 父が疎開先で急死して母子家庭となり、もし行内で収支が合わないような事件でも発生したら疑われはしまいか、というようなことも気になった。それに、祖父は支店長まで務めた元銀行マンで、私が生まれたときはすでに他界していたが、家の中には銀行屋的な雰囲気がまだ強く残っており、私にはそれが馴染めず、もっと違った社会を経験してみたかった。

 担任の女性教師は進学して保育関係の仕事をしたら、とすすめてくれたが、家にはそんな余裕はなく、学校を卒業すればすぐ就職を迫られる立場にあり、小さな会社でもいいから少しでも収入の多いところを探さねばならなかった。

 すると一般の企業ではない、ある団体から学校の事務局宛に求人が一名、舞い込んだ。

 学校の先輩が勤めている役所と関係のある新しく創設された団体の事務局で、最初、先輩に話がきたのだが先輩は結婚を控えており、それで学校の事務局宛てに回してくれたのだった。

 銀行の初任給は当時三千円台だったが、その団体は設立後まだ日が浅いのに五千円台と条件はよかった。

 当時、社会は食糧はじめ多くの物資が困窮しており国がそれを統制していたが、官庁と生産会社をつなぐパイプの役目をするのがその団体の仕事のようだった。

 官庁から天下りの役員が二名、他はあちこちの会社から招ばれた人たちで、総務と経理の男性が各一名、タイピストの女性が一名、新規採用の女性が私を含めて三名、それに運転手一名の総勢十名足らずの職場だった。

 銀行より高給ということで私は勤め始めたが、しかし仕事は朝の始業前と、お三時、それとお客があったときのお茶出し、あとは上役が口述しタイピストが打った文書を封筒に入れ関連業者に発送するのが私の仕事だった。

 それらの文書が定例会議などの連絡事項だと、会議が開かれる日の茶菓や、果物の用意をする必要があったが、それらはいずれも雑用で仕事といえるようなものでなく、馴れてしまえば手持ち無沙汰の毎日で、通勤電車の中での読書だけがせめてもの慰めだった。

 

 4 夜間の英語学校へ

 

 そんなことから私は、残業がなく、毎日、定時で退社できたので、週三日、夜間の英語学校に通うことにした。

 すると、毎日の通勤が収入を得るための会社通いだけでなく勉強とも重なるので急に張り合いが出て、学校のある日は退社時間が近づくと心が浮きうきした。

 しかし、女の癖に英語の勉強なんてと思うのか、翌日に回してもいいような仕事を言いつける意地の悪い上司もいて嫌な思いをしたが、かと思うと、これからは女性でも英語を必要とする時代がくるから、と背中を押してくれる男性もいた。

 学校を卒業するまでは早く学業を終え、お金が得られる社会へ出たいという思いが強かったが、学ぶということは何て楽しいのだろうと思うようになり、逆に私は仕事にも張り合いが出てきた。

 また、英語学校には同じような年齢の女子たちが熱心に通ってきており、そんな人たちと接することができるのも新しい体験だった。学習のことばかりでなく、お互いの身辺のことを話し合ったり、自分の意見を述べたりするのはとっても刺激になった。

 いつも私が腰掛ける三人掛けの椅子に、同じ年頃のE子と、I子がいつからか並んで座るようになり、三人はよくお喋りした。

「あなたの職場ってずいぶん封建的ね。私たち助け出してあげなくちゃ」

 E子は、I子と組んで私が勤め始めたばかりの職場を辞めさせて、もっといい環境の職場で働かせようと盛んに気を遣ってくれた。

 そして、私に向きそうな職場を新聞の求人広告などで目にすると、二人して応募するよう熱心にすすめてくれた。

 E子の職場は、進歩的な学生が集まることで有名な大学の事務局で、彼女自身も感化されたのか左翼思想をとうとうとまくし立てた。

 一方、I子の伯父も名前の知られた英語辞書の監修者で、連合国軍総司令部(GHQ)関係の職場で働いていた。

 私も、そんな二人にだんだん刺激され、早く現状を打破しなければ、という思いに捉われるようになり、取りあえず彼女たちがすすめてくれる求人先に応募してみた。

 すると、間もなく左翼系の有名な書店から面接通知が届き、E子が陰で動いてくれたのかと思ったが、それは単なる偶然で彼女もわがことのように喜んでくれた。

 すると、こういう話は重なるものなのか、I子からも求人の話がきた。伯父の紹介で彼女も勤めている連合国軍関係の職場からの話だった。

 彼女自身もそこで人事関係の仕事をしており、新たにスタッフを補充するため採用試験が行われると知らせてくれた。

 あまり自信がなかったが、受けてみると結果は上々で、I子に伝えるととっても喜んでくれた。

 私はひと安心したが、しかし、悔いを残さないためにも先に面接通知がきていた書店のほうも受けてみることにした。

 左翼思想の考え方の人たちも大手を振って歩ける時代になり、E子もわが世の春とばかり浮かれていたが、しかし、そこは共産党本部直属の書店だったため、自由主義体制のアメリカの占領下では将来への不安は拭いきれなかった。それに面接に当たった担当者も、それほど熱心にすすめてくれないので私にも逆に不安が募った。

「将来が安定しているところのほうがいいですよ。この先、いつまで今の状態が続くかわからないから……」と担当者は言った。

 以前、全国規模のストライキが行なわれる、と情報が流れたものの前日になりマッカーサー元帥の一声で中止になったこともあり、そんなことが書店の幹部たちにも動揺を与えていたのかもしれなかった。

 それでE子には悪かったが、迷うことなく私はI子が紹介してくれたGHQ関係の職場への転職を決めた。

 すると、しばらくして共産党に対する弾圧があり、その書店も手入れを受けたことが報じられた。人生における岐路とはこんなことを指すのだろうか、と私は社会の仕組みの不思議さをあらためて知った。

 

 5 〝秘密の翻訳工場〟

 

 戦争のため出版できなかった外国語の本が翻訳され、書店に並ぶようになると、名前を知られている翻訳者は注文に応じるため語学力のある学生や、戦前、外国語関係の仕事をしていた人を抱え需要をこなすようになり、当時、それを〝翻訳工場〟と言ったが、書籍の翻訳でなく連合国軍が占領下の郵便物を検閲するため語学力のある人たちを雇用、それらの作業に当たらせる職場のことは〝秘密の翻訳工場〟と呼ばれた。

 私は〝秘密の翻訳工場〟への初出勤の日がくると、緊張して落着かず早めに家を出た。

 東京駅の中央口を出ると、目の前に丸ビル、右手に国鉄(旧鉄道省)、左手には中央郵便局のビルがあったが、新しい職場となる〝翻訳工場〟は、その中央郵便局のビルの中にあった。

 英語学校で知り合い、この職場を紹介してくれたI子も同じ職場の人事部で働いていたが、高校を卒業するときは、まさかこんな所で働くことになるとは考えてもいなかった。

 案内役の女性のあとを付いて行くと、私は二階の大部屋に案内された。

 学校の講堂を二つか、三つ繋いだぐらいの広さがあり、そこで何百人もの人たちが机に向かって作業をしていた。郵便物のなかに怪しい情報が混じっていないか検閲するのが、その〝翻訳工場〟の主な仕事だった。

 窓を背にした大きな両袖机に監督者らしい外人の女性が座っており、その傍に補佐役や秘書らしき人の机があり、少し離れて翻訳者や、閲読者の机が並んでいた。そして、それらの末席には若い女性が一人、配属されており、それが私も同じ役目を仰せつかる郵便物整理・管理係(PCC)だった。

 ほとんどの人が机に向かって手紙や、通信文らしい物に目を通しているなか、検閲の済んだ手紙を再び封筒に戻し封をするセロテープのカッターの音が忙しげに聞こえた。

 翻訳予備軍ともいえる閲読者が郵便物を開封してまず目を通し、内容に問題がなければ封筒の中に戻し、問題がありそうなら各セクションのチーフと相談、必要なら翻訳者に回すという仕組みになっており、まさに郵便物を検閲するための〝秘密の工場〟だった。

 ところが、そんな職場に作業服を着て郵便物の入った籠を手押し車に乗せてやってきて、郵便物の束をそれぞれのブロックのPCCに配って行く少年がいるのに気づいた。そして、しばらくすると、その少年が再びまた手押し車を引いてやってきて、検閲のすんだ郵便物をPCCから回収して行く。

「あの郵便物が、ここで働く人たちにとって〝餌〟のような物なのよ」

 大部屋に案内してくれた女性が、私に説明してくれた。

 私が、その日から従事するPCCの役割は、少年から受け取ったその〝餌〟を翻訳者や、閲読者に渡し、検閲が済むと再びその〝餌〟を回収、それぞれ何通こなしたか、翻訳の必要のあった物は何通かを分類、集計し、管理することだった。

 

 ところが、まだ仕事に就いて幾日もたたないある日、私は責任者らしい上司に呼ばれ小部屋の一つに入ると、「あなたがここで働いていることを、お母さんが知人に手紙で知らせたようだけど、心当たりがありますか?」と詰問された。

 家庭の経済状態を心配してくれている知人に、「娘がこういう職場に就職したので、ご安心下さい」と手紙で知らせたと母から聞いていたので、私は素直に肯いた。

「今後は、こういうことには注意するよう、お母さんによく言いなさい」

 そして上司は、私から目を反らさず強い口調で言った。

 私は、そんなこと秘密にしなければならないことなのか、と思ったが、同時に膨大な数の郵便物の中から母の書いた、たった一通の手紙も見逃がさない網の目も洩らさぬような仕組みに不気味ささえ感じた。

「通信の秘密は私生活の秘密権の一つで、特定人から特定人への意思の伝達は保証されなければならない。それは信書だけでなく電信、電話も含まれる。日本国憲法も、これを保証する」(二十一条第二項、郵便法第八、九条)――学校で習ったこうした憲法の条項は私の胸中に今も残っており、自分たちが置かれている立場や、状況をどう捉えればいいのか毎日の生活に関わる事柄だけに私は考えてしまった。

 日本中に配達される郵便物の中から、連合国軍はこうして肝心の本人に届く前に情報をかすめ取り、今後の占領政策に役立てるのだろうと囁く同僚もいたが、これだけ大勢の大人がこの職場で働いているのに、こういうことに矛盾を感じる人はいないのだろうか、と疑わざるを得なかった。

 これまでも大人というのは矛盾に満ちた訳のわからない存在だと私は思っていたが、こうした疑問を今度ばかりはぶっつけずにおられない気持ちになった。

 自分にとって大事な職場ではあったが、母の手紙に関する一件は、その後も私の心に釈然としない思いを残した。

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