損害割合がサイタマ十八パーセントのかながわ三十六パーセントでサイタマの圧勝であった。
翌日の十日、かながわ経済主義国の国首今川旬斗はサイタマ総合庁舎の首相室に訪れ友作と会い、編入を決戦の結果より承認し、正式にかながわはサイタマに編入された。
そして同月の十六日、いばらき自由民主国、グンマ国、とちぎ県国、ちば国、シズオカ国、ナガノ連邦、にいがた国、伊豆諸島連邦の八カ国で関東甲信越首脳会談が前橋において開催された。円形のテーブルに、時計回りでグンマ国の矢崎巧、サイタマ国の稲城友作、ちば国の東金照信、いばらき自由民主国の佐竹汰郎、ナガノ連邦の明田仁郎、伊豆諸島連邦の玉江裕拓、にいがた国の発田平、シズオカ国の富見秀人、とちぎ県国の原木誓渡の配置で座った。