翌四日午前、稲城友作は秘書である大吉英仁を解雇。内閣改造を稲城首相が考慮したのは大吉と坂戸が原因のため、その大吉を解雇した事により、内閣改造は白紙となった。
四日の夕方、友作はタクシーで父の住む狭山のアパートを訪ねた。不在であったので、合鍵でドアを開けた。すっきり片付いた六畳間。壁に貼ってあるハ枚ほどの友作と友美と季範の家族写真。友作が四、五歳の頃のものである。
とりあえず友作は畳の上に腰を下ろして、小さな液晶テレビをつけた。小さな画面に映るニュースの数々、友作が秘書を解雇したニュースも大きく取り上げられていた。友作はテレビのニュースに映る自分の姿に思わずクスッと笑った。記者会見で話す自分の身振り手振りが洗練されている所に笑ったのだ。それから友作はテレビを消して、横になり目を閉じた。