翌日、それはいつもと変わらない週はじめの月曜日であった。友作も普通に登校して、自分の席に腰掛けた。
(彼らとも、今週で最後か……)
周りで昨日あったテレビの話をする女子達や、じゃれ合う体育系男子達を見渡し、そう心の中で呟いた。友作は一週間後の土曜日にサイタマ首相の任命式に出て、晴れて一国のリーダーとなる。友作はため息をついた。このことに友作の友人でスポーツ刈りの江藤がツッコミをいれた。
「友作だいぶ疲れてるやん。どうしたの?」
「いや……母さんに昨日、とても叱られまして」
「へえー、友作もママに叱られるんだ。見て見たいなそのすがた」
江藤は友作の異変に気づいていながらも、笑っていた。友作が母に叱られることなんて本当に滅多にないから珍しくていじってみたのだろう。友作は昨日の晩の出来事を思い出し、またもうなだれ、机にひれ伏せた。
「なんだよー。悪かったよぉ」
江藤はそう唇をすぼめて友作から離れた。
友作の頭の中では、昨日の晩の出来事が蘇ってきた。
「友作っ! あんたリーダーになるってどう言うことだか分かってるのっ!」
「いくらね、坂戸さんがね、あんたを推薦しても、私が認めないっ! ただでさえワタシのやっている看護師の仕事も責任重大なのに、国のリーダーとなったら……友作はこの責任という二文字がどんだけ重いものか知ってんの?」
「うぅっ……私の友作、行かないでよ。あなたにこの仕事は早すぎるわ……」
「高校はどうするのよ! 勉強する時間はいつ取るのよ!」
「友作……まだ十四年しか生きてないのに……」
とにかく、秘書が仕事を済まして去った後、友作は母に振り回された。友作の母は友作がサイタマの首相に任命される事に怒って、泣いた。友作は必死に説得したが、意味がなかった。友作も母の気持ちは良く分かっていた。だから友作は彼女にそれを説得するのも正直つらかったのだろう。
結局、午前中の授業はその様な事を思い出していたので一つも身に入らなかった。
「友作、朝からこうなんだよー」
「マミーに怒られてコレだぜ。まったく、エリートさんは叱られるのになれてないねえ」
友作の周りをクラスメートが囲む。
「疲れている、原因ってもうひとつあるけどね」
蘭々が話に割り込む。
「何だい、蘭さん。もしや……ウフフ」
「そんなウフフなことやってませーん。昨日ねえ、友作くんはね、」
「言わないで下さいよ」
友作が止めようとする。
「聞きたいなー。蘭さん続けてー」
「うんっ。友作くんはね、今のサイタマのリーダーさんに連れて行かれたらしいの」
「えーマジで! 何を今度はやらかした。友作は!」
「連行やん。でも今日いるしー」
例の事で盛り上がる友作の友人達に腹がたち、友作は蘭々のスカートを引っ張った。
「あぁん。なにするのよぉ」
「あとで、お ま えは、お仕置きだ」
すると、友作の友人達は目を丸くし、
「きました! きました! お仕置き発言!」
と揃ってはやし立てた。
「蘭々は口が軽いんですよ。前から注意してるのに全く直らない。こりゃもう、お仕置きしかないでしょ」
友作はそう言い捨てる。
「ごめんなさい。だってみんなが聞きたがってたんだもん」
蘭々は、頬を薄っすら赤らめプイと友作から目を離した。
「かわいいな~蘭ちゃんは」
友作の友人の一人が蘭々の幼稚な行為に対してはやす。蘭々は十五にしてまだ行動や言動が幼稚なところがある。女子生徒からは男子ウケを狙っているのではと、うらめしそうに噂されるが、果たしでどうなのか。
「羨ましいね~友作は」
「そうかな?」
「何をとぼけてるんだよぉ」
「彼女とは、幼なじみ。そんなにはやされても何も言えないよ。第一この僕が恋などすると思うかい?」
友作は真面目な顔で、さらっと受け流した。
誰も反論しなかった。
一日の授業が終わり、蘭々は友作と一緒に帰路を共にした。
「ね~昨日の、あの話してよ」
蘭々がこの話を振ることは友作にはすぐ分かった。
「今日の昼のこともあり、ダメだよ。あと坂戸さんと約束で一週間はその事について口を開いてはならない事になっているから……」
「やだやだ。あ、あたしだって友作くんと約束したよ。あとで報告してって」
「坂戸さんと蘭々との約束、どっちが天秤に乗せた時重いと思う?」
「えっ、もちろんあたしとの約束でしょ」
「本気でそう思ってる?」
少し間がおいてから、ふて腐れたような返事がもどってくる。
「坂戸知事より、あたしの方が大事でしょっ? ね、ひどいよ。友作くんひどいっ。でも、あっ、今日、親いないからあたしの家で話そうよ。友作くんが言うまで返さないから」
友作は何も答えず、顎を少し上げ雲なき秋晴れの空を見て蘭々の話を聞いていないフリをした。
「いじわる」
蘭々がふくれた。
結局、友作は蘭々の家に上がり、二階の彼女の部屋にあぐらをかいて座った。真白いベッドと白く塗られた机がバランスよく配置されている南向きの明るい部屋だった。蘭々が菓子と缶ジュースを持って来た。
「あ、ありがと」
友作はつぶやくように言った。
「さあ、言うまで返させないからねっ」
馴れ馴れしい声の調子で蘭々は返し、友作の真横にぴたりとくっつく様に座った。
「近いですよ」
友作が決まり悪そうに言った。
「だって寒いんだもん」
彼女は微笑んでいる。嬉しそうだ。蘭々は缶ジュースをパカと開ける。
「変な冗談よして下さいよ」
友作が消え入る様に呟いた。友作も同じくもらった缶ジュースをパカと開け、一口飲んだ。
沈黙。
「ねぇっ、話してよ」
うつむいて、友作に話しかける。
「隠し事はなしだよっ」
続けて言うが、友作は口を開こうとしない。それでも蘭々がごねるように聞いて来るので、友作は持っていた缶ジュースを盆の上に置いて、目を細めて蘭々を睨んだ。
「蘭々に言うと、ろくな事になりかねない」
蘭々はうつむいたままだった。友作は「帰るよ」と言い、あぐらからの態勢から左の膝を立てて立とうとした。一瞬間、蘭々はその華奢な白い両腕を友作の肩に回して押し倒した。蘭々の足に盆の上の缶ジュースが当たり倒れる。
「なにすんだよ」
反射的に友作が顔をしかめて言った。
「だめっ、行かないでよ」
涙ぐむ蘭々と友作の目が合う。友作は目を離す。
「一人でお留守番なんてさびしいよ」
蘭々が甘える。
友作は思わず、にやけてしまった。
「離して下さいよ」
「やだ……」
「本能的かつ、低レベルな欲求だと思わない?」
「ひどいっ。そんな言い方するなんて」
「だって、マズローの欲求階層説で生理的欲求は一番低い欲求としているんだもの」
「バカみたい。友作くん」
そう言って、さらに友作が逃げられないように身体を密着させた。
「お願いだから、やめてくれ……」
昔から蘭々は甘えっ子で、ストレスが溜まると駄々をこねてくっついてきたのでこう言う事は想定内の事ではあったが、今日は過激すぎると友作は思った。耐えられなくなった友作は蘭々の両肩を手で掴み、思いっきり引き離した。蘭々は横に転がり倒れ、友作はその隙に身体を起こした。
「痛っ!」
危うくおかしくなる所だったと友作は胸を撫で下ろした。
「もう少し大人になって下さいよ」
友作は立ち上がると蘭々に向かって声を少々荒くした。横になったままの蘭々はひどく赤面し、友作を見つめてむせび泣いていた。友作はカバンを持って彼女の家を後にした。友作はなんとか坂戸との約束を守り抜く事ができた。
九月二十八日の金曜日、友作は中学生活最後の日をいつも通りに過ごした。学校の誰にも明日からの事を友作は伝えていなかったので、お別れパーティーとかそう言うものはなかったが、かえって彼にとっては気が楽であった。
放課後、友作は校舎内を廻ってから、学校の外周を一周した。グラウンドではサッカーや野球をする少年達のはつらつとした姿が見えた。武道館からは、ターとかヤーという威勢ある叫びが聞こえる。彼らは皆、幸せそうであった。
(彼らに最高の未来を見せなければ)
友作は心の中で決心し、明日からの気合を入れた。一周すると友作は校門の前で、夕陽に照らされ立派に映える校舎を寂しげに眺めた。
「楽しかったよ」
友作はポツリと呟いた。それから、家への道を辿った。新しく閑静な住宅街を抜け、低層マンションの並ぶ通りを過ぎ、友作の住む住宅街に入る。
何気なく、友作は右を向いた。蘭々の家であった。
(そう言えば、あれ以来彼女と話していないな)
友作はふと、この事に気がついた。心の中ではかなり驚いていた。なぜなら、友作と蘭々は幼なじみで一日に一回は喋る仲であったからだ。だが友作はそこを素通りした。寄る気にもなれなかった。
土曜日の朝、友作は母親に買ってもらった紺色の背広を羽織った。友作にとって初めての背広デビューである。
「似合っているわ」
友作の母は、微笑みを見せた。
「本当にありがとう。母さん」
友作も嬉しそうだ。友作の母も、友作がサイタマのリーダーとなる事について受け止めなければならなかったから、いつまでも息子に対して非協力的ではいけないと思って、友作の背広を買い、友作に社会人としての作法を短期間ではあったが通用する程度に教え込んだ。
外では、既に白銀色の高級車「FUGA」が止まっていた。支度を終えて友作と友作の母が家の外に出ると、車の運転席から二十代後半のスポーツ系の男性も出てきて友作の家の門まで来た。
「おはようございます。僕が稲城友作です」
友作はその男性に挨拶すると、男性は小さくお辞儀した。
「今日からあなたの秘書を務めさせていただく、大吉英仁と申します」
英仁と呼ばれる男性も挨拶を返し、友作と友作の母に名刺をサッと渡した。それから友作と英仁は握手を交わす。スーツをビシッと着こなし、やる気溢れる顔つきの英仁に友作は好感を抱いた。
「秘書までつくのですか」
友作の母は驚いた表情で英仁に訊く。
「もちろんです。若い友作君のお供がいなければ友作君はさぞかし大変でしょうから」
友作は車に乗り込むと、サイタマ国総合庁舎へと向かった。