【第3回】第二章 仕事と仕事、そして仕事と - (1)
2017.01.12 | 黒詠おう美
一夜明けて翌日である。
今朝はまた、最上の当たりがキツい事この上なかった。
朝イチで最上から渡された資料の束。それを次の会議までにまとめろと、そして、そこから作った会議資料を部数もきっちりと次の会議までに用意しておけとの指示である。ちなみに次の会議とは明日であり、それは今日中に仕上げろというお達しなのであった。
普段それらは、宮下と指導中の新入社員へと回される仕事であるが、今日に限って佳へと回ってきたのである。しかし、その作業も佳ならば、半日掛ければできない作業ではない。自分の業務もあるにはあるが、今が丁度、たいして忙しくない時期だけに定時から少しオーバーした昨日と同じぐらいの退社はできそうな分量である。無謀な量ではない。それだけであれば……。
しかし、間が悪いというか、重なる時は重なるものである。
隣のフロアの先輩が急に体調不良を訴えて早退し、その急遽の助っ人という形で佳へとかなりの量の仕事が急に舞い込んだのである。それも、つい最近まで佳が絡んでいたプロジェクトであり、いろいろと把握している適任な人材として、佳に白羽の矢が立ったのだった。
その先輩にも随分世話になっていたため佳も二つ返事で引き受け、先輩は後ろ髪を引かれる思いで早退していったのだが、佳に全てを託すと同僚に支えられ、ふらふらする足取りで病院へと向かったのだった。
こちらの仕事はいろいろと時間の制約があったが、クライアントに持っていく書類関係は既に出来上がっていた。それらの訂正箇所が少々あったのを上司に確認をとりながら修正、それを持参してクライアント先へ。帰社してから、クライアントとのやり取りの報告、それを踏まえての書類の訂正など全てを夕方までに終わらせ、それらを今度は会合へと出る営業に最終的に出来上がった書類を渡し、晴れてミッション終了となるのだった。これも、不意打ちで入って来なければ、全く困難な作業ではない。むしろ、つい最近までこの部署で仕事をしていた佳にとっては今の仕事よりもしれた案件である。
なんといっても、タイミングが悪かったのだった。よりによって、時間制限のある案件が二件。これは一気に残業の色が濃くなる。
また、運の悪いことにヘルプを頼もうとした宮下は新入社員を連れてどこか違う部署でのヘルプにまわっているらしく、いちおう最上にその旨を相談しようとしたが、フロアに見当たらず、こちらは早々に諦めた。どうせ嫌そうな顔で嫌みのひとつやふたつ言われるのがオチなのだ。最上の仕事は明日の午前中までに出来れば良い分、なんとかなりそうである。
佳は覚悟を決め、一人気合いを入れると隣のフロアで作業を開始した。自分のデスクでやるよりも、早退した先輩のデスク周りで作業をした方が効率が良かったのである。そこは一ヶ月前まで自分が仕事をしていた場所であった。
そこの部署の上司に指示を仰ぎながら書類の訂正をし、予定の時間に相手先へと出掛ける。もちろん既に顔見知りだった相手側との話し合いも順調に進み過ぎるほどに進み、あれやこれやと有意義なやりとりの後、若干時間をおしての会社への帰還。すぐさま書類を会合用に作り直し、時間ギリギリではあったが無事に営業に渡し終えてそちらのミッションはなんとかクリアしたのだった。
そして、そのまま古巣のデスクでお昼だか、夕食だか分からない食事をとる。やっと一段落のホッとする時間であった。そんな彼女を見かねて、元同僚達からの甘い差し入れをもらい、ぱくつくとその甘さが疲れた体に沁みる。
これからまだ期限付きのお仕事と自分の今日の業務が残っている事実が軽く彼女をがっかりさせるがそれもしょうがない。これもお仕事である。
なんとか今日中には終わるだろうか、そんなことをぼぉっと考えていた佳だったが、いつまでもここに座っているわけもいかず、「よしっ」そう自分に気合いを入れ直すと自分のデスクへと戻った。
定時少し前、もちろんまだ最上は斜め前に鎮座している。できるだけ視野に入らないようにそっと自分の席に戻ると、一日中沈黙を守っていたパソコン画面を起動させた。
「菊川、一日ふらふらどこ行ってた? 明日までの会議用の書類、出来てるんだろうな?」
もちろん、最上である。気がつかないわけはない。
「すみません、今からやります」
「今から?」
最上の機嫌は一気に悪くなって行くのが分かる。
「お前、自分の仕事もせずになにちんたらやってんだ? 仕事ナメてんのか?」
「……いえ、あの」
どうやら、佳が古巣の部署で助っ人をしていたことは耳に入ってないようであった。あちらの上司もバタバタと忙しそうにしていたし、自分も事前に報告をしていなかったのだから最上が状況を把握してないのは仕方が無い。とりあえず、状況の報告だけはしておかなければと口を開こうとした佳を最上はイライラとした口調で遮った。
「明日までの書類、全然出来てないのか?」
「はい」
素直にそう返事した佳に最上はいきなりのテンションでブチ切れる。
「今できてないならいつ俺がチェックできるんだ? ギリギリに出来上がっても修正あったら困るんだろうが! だから、今回はお前に指示したんだ。分かってんのか?」
「はい、すみません。すぐやります」
「すぐっつったって、すぐにできる量じゃないだろうがっ。この後、俺は会合の予定あんだよっ。ったく……。もういい、明日の朝イチでチェックできるようにしとけ。部数揃えるのは宮下に手伝ってもらって明日の朝イチでやれ。いいな」
「はい……」
「自分が任された仕事ぐらい、ちゃっちゃとやれよっ」
そう吐き捨てるように言い捨てた最上は席を立つ。どうやら最上も今夜の会合に営業と同席するらしい。一方的に言われた事は腹も立ったが、最上が退席してくれるのなら一刻も早くこの場から出て行って欲しい。これ以上言われれば、さすがの佳もキレそうであった。
心を落ち着かせ、画面を凝視することに専念する佳。なんとなく口の中に残っていた甘みが救いであった。