バタバタと急ぎ足で会社を出ると外はしとしとと雨が降っていた。
午後からの会議で使用した書類の出来の甘さを最上に絞られ、自分の残りの業務に手をつけられたのは夕方近くになってからだった。そこからほぼ休憩無しで今日の業務をコンプリートして、ふと時計を見ると定時から小一時間が経過している。
待ち合わせのカフェまで走れば5分。傘もささずにそのまま走り出そうとした佳を傘が遮る。
「傘ぐらい差しなよ?」
どこから現れたのか待ち合わせの相手である、立花孝介であった。
「遅くなってごめんなさい」
「いいよ、仕事でしょ。佳のせいじゃないし」
余裕の笑み。立花は大学時代の2年先輩であった。スラリとしたスタイルに歳の割に仕立てのいいスーツを纏い、育ちの良さを漂わせていて、顔つきも物腰と同じくソフトでそんな分かりやすくモテる男なタイプである。大学時代もいつも女性の取り巻きに囲まれ、華々しくキャンパスライフをエンジョイしていた彼は、実は佳の元カレでもあった。交際期間は短かったのだが……。
「いつからここで?」
「ついさっきだよ。メールもらってからちょっとして来たから。あ、傘は開かなくていいよ。このまま行こう?」
「でも」
佳がそう言いかけたが、立花の意識は違う方へと飛んだのだった。
「あれ? 最上、君も今、帰りかい?」
今まさに会社であるビルから出てきた最上をいち早く見つけた立花はそうテンション高く声を掛ける。しかし、立花に声を掛けられた最上は見て分かる程に嫌そうな顔で見返し、そして、相合い傘で隣に立っている佳もじろりと見る。
「……出入り口で邪魔だ、お前ら」
「あぁ、ごめんごめん。つい、ね」
なにが、つい、なのかは分からないがどこか楽しげな立花に、不機嫌そうにフンッとだけ言って最上はそのまま雨の中を小走りに走ってしまった。
「じゃ、行こうか」
その背中をどこか満足そうにそう言う立花に佳は聞いてみたい気になり口を開く。
「立花先輩と最上チーフって知り合い、なんですよね?」
「うん、そう。あ、食事、一緒に誘えばよかった?」
「いや、それは」
一瞬にして微妙な顔つきになった佳にフッ笑みを漏らしながら立花は
「そう?」
覗き込むようにそう言ったのだった。そして、店に向かい足を進めつつ言葉を続ける立花。
「最上とオレはね、高校が一緒だったの。アイツ、高校の時、野球部だったからずっと坊主だったんだよ。そりゃもうカッコ悪くってさ。でも、事あるごとにオレに突っかかってくるっていうか、喧嘩売ってくるからなんかムカついてね、アイツの好きだった子になんとなく告ったらOKだったからさ、アイツの目の前でわざとイチャイチャしてやったりとか、楽しかったなぁ」
「へ、へぇ……」
残念ながら立花のその行動は安易に想像できた。モテる要素を兼ね備えた彼だったが、残念ながら少々、人を馬鹿にしたような態度をすることがあった。それも、決定的に人を傷つけるようなものではない為に立花のキャラ的な味になっているのだが、それでも、高校時代の多感な時期にそんな仕打ちを受けた最上は立花を嫌って当然といえば、当然なエピソードである。
「でも、その彼女のことは少なからず好きだったんでしょう? 両思いなら、まぁしょうが、」
「ううん、全然っ」
これも多少は想像はできた。立花という男はそうなのである。大学時代のほんの短い間だったが、自分とも付き合った人間である。基本がモテる男。彼からすれば、付き合う、ということも大した意味は持たない場合があった。若気の至り、ともいうが、さすがに今はそんな無責任な事はしてないようだったが……。
「で? 佳は最上とどういう感じなの?」
「どうって、単なる上司、ですよ?」
「でも、今はチーフ補佐みたいなとこなんでしょ? 入社二年目でそのポジションって凄いじゃない。それに、補佐なら最上といつも一緒なんだよね?」
「補佐って云っても仕事上のことだけですもん。それで、書類作成とか整理とかそういう業務の補佐をしているだけで、実際の仕事では他の人間もいますし……。それに、プライベートは全く付き合いとかありませんし」
「え、プライベートで付き合いないの? メルアドも知らない?」
「入社した頃に一度教えてもらった事はありますけど……。でもほとんど使ってないですね。最上さんからメール来る事もありませんし、こっちから送る用件もありませんし。私の同僚はやりとりしてるみたいなので何かあったら彼女に聞けば分かりますから」
「ふ~ん、その子が最上と付き合ってるの?」
「付き合ってる、かどうかは分かりませんけど。でも、うちのフロアでの最上さんのお気に入りっぽいので」
「ふ~ん」
「可愛いんですよ?」
どこかの店員のようにまるでオススメするかのような言い方に立花は少し吹いた。
「そうなの?」
「えぇ」
「佳も可愛いよ」
「いやいや……」
「またそうやって受け流す」
「だって……」
立花はたまにこうやって、佳に『可愛い』などと云ってくれるのだが、佳はそういった言葉には全く反応しなかった。自分を卑下するわけではないが、自分が可愛いキャラではないことは重々承知な事実であり、立花が云う『可愛い』はよく知った大学時代からの後輩に対する親密さ故の『可愛い』だと認識していたのだった。
立花は元カレでもあるが、それよりも、大学の先輩という感覚の方が強い。付き合おうと云われて付き合ってはいたが、別れようと云われて別れたわけでもない。立花の周りにはいつも女の子達が溢れていたし、彼の気まぐれのような「付き合おう」という言葉をまともにとらなかった佳は、ちょっと仲の良い先輩後輩ぐらいのポジションのまま彼の卒業を迎えた。
卒業すると極端に顔を合わせる頻度が減り、佳からは特別連絡もしなかった為にそのままフェードアウトしたかのように思えた縁である。が、佳が会社に入社した頃、今日のように会社の前で偶然に立花と再会したのだった。その時、隣に歩いていたのはその当時、教育係であり、なんとなく良い関係になりつつあった最上であった。それが、丁度、今から一年前である。
思い起こせば、あの日から最上の態度はがらりと変わった。佳にはわけの分からないままによそよそしくなり、そしてその理由を追及する暇もなく配属先が決まった。最上とは違う部署、フロアになり、それから一年間、あまり最上とは接する事もなかったが、一ヶ月前の配属変更でまた最上の下に付くことになって今に至る。
この一ヶ月、様子を見てはいたがやはり最上から疎まれているとしか思えない。それも、これといった原因も分からずだったが、もしや、立花がなにか関係しているのではないか、とぼんやりと今更に佳は思い至るのだった。
立花とはあの偶然の出会いから定期的に食事に誘われ、懐かしさもありこうやって会う事もしばしばである。デートというにはあまりにも緩い感じで、これも先輩後輩の延長、と佳は思っているのだった。