【第1回】第一章 吹きすさぶ北風上司と眩しく照らす太陽先輩 - (1) | マイナビブックス

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【第1回】第一章 吹きすさぶ北風上司と眩しく照らす太陽先輩 - (1)

2016.09.28 | 黒詠おう美

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 髪を括り直そうとして、シュシュを手に構えた恰好でブチンっといい音がした。どうやら中のゴムが切れてしまったらしい。引っぱってもなにをしても伸縮しないただぐだぐだになったシュシュを見下ろし、菊川佳は「あー」と間抜けな声を出した。

 昼からの仕事もあるのに使えないヤツだと思いつつも、随分と長い間世話になったとも思う。単なる髪留めのシュシュだが、仕事の最中に髪を留めるのに勝手が良く、重宝してくれた深緑のシュシュ。ラメ入りで少し派手だが、地味な自分にはこれぐらいが合っていると思い、今日まで愛用してきたのだった。

 思い起こせばコイツとの付き合いも1年を越える。入社時期からの付き合いだったと少々感傷的にもなるのである。が、ハッ!っと我に返るとハンカチとポーチを手に女子トイレから早足で出た。午後からも仕事は詰まっている。効率よくそれらを終わらせなければ今日のミッションはクリアできないのである。夕方からは楽しい食事会だというのに……。

 佳は気合いを入れ直しつつ、自分のデスクに戻ろうと早足でフロアに足を踏み入れた所で横から飛び出してきた誰かに当たりそうになり慌てて避けた。

「すみませんっ」

「あぁ、すま、……なんだお前か」

 明らかに声の主は残念そうにそう言った。謝りかけたことが無駄だったかのような、そんな表情である。佳の上司、最上孝介である。長身の彼が見下ろす様は少なからず威圧感があった。長身にガッシリしたスポーツマン体型、はっきりとした喜怒哀楽を浮かべる表情を曇らせ、あからさまに嫌そうな視線を佳へと落とす。しかし、佳はそこは華麗にスルーするととりあえず、もう一度謝るのだった。

「すみません」

「お前、午後からは大事な企画会議なの分かってるだろうな? チャラチャラした気でいるなよ」

「……はい」

 まったくもって、チャラチャラしている気などないのだが、最上の目にはそう映るらしい。珍しく仕事中に髪を括ってないためにそう見えたのか、単に虫の居所が悪いのか、そう吐き捨てるように言ってから彼は彼のデスクに戻る。

 理不尽な怒りを向けられる事はこれが初めてではない佳は別段に言い返す事も無く、自分も自分のデスクへと戻る。とはいっても、最上のデスクとは斜め前という近さでどうしても顔を見る距離なのだが、それも致し方ない。最上は自分の直属の上司であり、少しだけ曰く付きな人物であり、下手に感情を逆撫ですることは避けたい人物であった。

 今までもいろいろと手を尽くしてはみたが、佳が下手に話しかけたりすると余計に最上の機嫌は悪くなる。何をしたわけでもないのだが、それでも現実、そうなので無意味に刺激しないようにするのが一番だと佳は今までに悟ったのだった。

 それはそうと、現実問題、仕事中に髪を括るのは習慣のようになっていて、ほどいたままではなにかと気持ちがしっくりこない。運悪く、今日は他のシュシュを持ち合わせていないので、どうしても髪を括るとなると、輪ゴムぐらいになる。輪ゴム、でも佳は一向に構わないのだが、最上に注意されて髪を括っているようでそれも癪に障る。どうしようかと考えている所に少し高めの声が響いた。

「最上チーフ、コーヒーどうぞ」

「おっ、サンキュ。誰かに比べて、宮下はいつも気が利くな」

 不機嫌極まりない最上の表情を一瞬にして変えたのは、いつものごとく宮下葵である。その宮下への感謝の言葉さえも佳への嫌みが含まれている気もするが、それでも聞かぬフリで佳はやり過ごす。

 そんな微妙な空気感の中、可愛い系な容姿の彼女はその完全なる笑みでにっこりと返し、空になったお盆を手に給湯室へと戻っていく。その道すがら、佳の肩を優しくぽんっと叩いて……。

 佳の同期であり、女性社員として比べられる事も多い彼女だが、彼女とは意外に上手くいっていて、こういった事でお互いフォローしあって仕事をしていた。実務的な事は佳がバリバリとこなし、宮下は外見のまま女性的なポジションで部署をサポートしている。いわば、お茶汲み、コピー取りなのだが、それも嫌がらずに率先してこなしてくれる宮下であった。

 佳は入社してすぐにとあるプロジェクトに絡んでいたため、新入社員、ましてや女子社員のそんな当たり前の女性的ポジションが事実上できない程に忙しく、そんな中、それらを一手に引き受けてくれていたのは、宮下であった。

 優しげな外見とその女性的なルックスで男性社員からの受けもよく、そんな彼女のサポート的なボジションは歓迎され、今日に至る。今年は新入社員の指導も任され、忙しそうではあるが、それでもこうやって佳のフォローも買って出てくれる良き同僚である。

 通り過ぎる彼女にそっと目配せをし、感謝の意思を伝えると佳はパソコンの画面へと向かうのだった。とにかく、目の前のお仕事というミッションをコンプリートしなければならない。佳は気持ちを切り替え、キーを叩いた。

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