【第3回】ある主婦の要求 | マイナビブックス

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【第3回】ある主婦の要求

2016.08.23 | じゃいがも

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 美津子は、朝食の後片付けをしていた。

 サラリーマンの夫・正は会社へ、中学生の娘・加奈は学校へ、それぞれ向かった。

 今から夕方まで、美津子はひとり、家事をこなす。

 途中、昼寝をしたり、お茶をすすりながらドラマをみたりもするが、すべき事をこなしているうちに、大抵、夕方になっている。

 絵に描いた様な平凡な毎日だが、美津子は、まんざらでもない。揉め事や争い事が苦手な美津子は、この平和な生活に満足しているのだ。

 後片付けが終わると、美津子は洗いあがった洗濯物が入ったカゴを抱え、二階のベランダへと向かった。

 途中、ふと玄関に目をやると、加奈に持たせたはずの弁当が、上り框に置かれている。

 加奈が、置き忘れていったのだ。美津子は、やれやれ、と溜息を吐く。

 洗濯物を干し終えた美津子は、加奈の弁当を自転車のカゴに入れ、加奈の通う中学校へと向かった。

 授業中に母親に弁当を届けられては娘が恥をかくのではないかとも思ったが、幸い、娘のクラスは体育の授業のようで、三階にある教室には誰もいなかった。

 美津子は加奈の机に弁当を置き、教室を出ようとした。

 その時、美津子は足元に、何か黒いニット帽のような物が落ちている事に気付いた。

 拾い上げてみると、それは目だし帽だった。

 そういえば、来月の学芸会で、加奈のクラスは「オペラ座の怪人」をやると聞いている。

 美津子は、何気なくその目だし帽をかぶり、窓ガラスに自分の顔を映した。

 

「何これ。これじゃファントムと言うより、銀行強盗じゃない」

 

 美津子はくすくすと笑い、目だし帽を脱ごうとした。

 その時、教室の外で、何やらこそこそと話し声が聞こえた。

 美津子が恐る恐る廊下をのぞくと、二人組の男たちが、隣の教室の様子を窺っている。

 

「いいか、今から教室に踏み込んで、生徒を人質に取る。身代金をがっぽりとふんだくって、俺たちは外国で遊んで暮らすんだ。ぬかるなよ」

 

 二人とも、一見おとなしそうな青年だが、一方の青年はナイフを握り、もう一方の青年は猟銃を抱えている。

 驚きのあまり、声も出せないまま後ずさりした美津子だったが、恐怖のあまり足がもつれ、引き戸に身体をぶつけてしまった。

 驚いた青年たちは、「誰だ」と美津子に振り返った。

 しかし、目だし帽をかぶったままの美津子の姿に、青年たちは「何だよ、先客がいたのかよ」と、それぞれの武器を捨て、逃げ去った。

 美津子は、へなへなとその場に座り込んだ。下手をすれば、自分は殺されていたかもしれない。

 美津子はナイフと猟銃を拾い上げると、それらをまじまじと見つめた。もしかしたら、このナイフを身体に突き立てられ、銃弾を浴びせられていたかも知れなかったのだ。

 

 その時、異変に気付いた男性教師が、教室から出てきた。そして、目だし帽をかぶり、ナイフと猟銃を持った美津子を見つけ、顔色を変えた。

 男性教師は目を剥き、あわあわと口をぱくつかせ、叫んだ。

 

「凶悪犯だ! みんな、外へ逃げろ!」

 

 美津子は慌てて教室に飛び込み、「違うんです、これは…」と、両手をあげた。

 しかし、突然現われた凶悪犯に、生徒たちはパニックに陥り、悲鳴を上げながら逃げ出した。

 ひとり教室に残された美津子は、目だし帽を脱ぎ捨てた。

 

「何でこうなっちゃうのよぉ……」

 

 美津子は、その場にへたり込んだ。

 その時、窓の外から、誰かが拡声器で語りかけてきた。

 美津子は恐る恐る、窓の外を覗いた。すると、校庭には避難した全校生徒のほか、通報で駆けつけたと思われる大勢の警察官の姿があった。

 警察官は、片手に拡声器、片手にジュラルミン製の盾を持ち、毅然とした口調で語り掛けてきた。

 

「君はもう、すっかり包囲されている。罪を重ねる前に、武器を捨て、大人しく出てきなさい」

 

 美津子は唖然とした。生徒たちの非難の視線と、警察官の投降を呼びかける言葉を、なぜ私は浴びなければならないのか。

 娘の弁当を届けに来ただけなのに。

 そんな思考を、校庭にいた加奈の声が遮った。

 

「えっ? うそ! お母さん? お母さんでしょ? お母さん、何で?」

 

 美津子は我にかえり、娘に事情をしようと、窓から身を乗り出そうとした。

 その時、美津子は自ら脱ぎ捨てた目だし帽に足をとられ、窓枠に倒れ掛かった。そしてその勢いで、美津子の抱えていた猟銃から空に向け、一発の銃弾が放たれた。

 あちらこちらで悲鳴があがり、警察官も「無駄な抵抗は、やめなさい! 武器を捨てるんだ!」と声を荒げた。

 美津子は慌てて身を起こし、叫んだ。

 

「違うの、これは……」

 

 すかさず、警察官も叫ぶ。

 

「何が違うんだ?そうか、何か要求があるという事だな? 出来る限り要求に応えよう!」

 

「そうじゃなくて…」

 

 言いかけた言葉を、今度は正の声が遮った。

 

「美津子ーーーーーっ!!」

 

 会社にいるはずの正が、なぜ急に現われたのか。美津子は呆然とした。

 正は警察官に駆け寄り、拡声器をむしりとると、叫んだ。

 

「美津子、何でこんな事をするんだ! 一体、何が気に入らないんだ! そうか、偶然見つけたお前のへそくりを、こっそり使い込んだ事に気付いたんだな? すまん、私が悪かった、だから武器を捨て、出てきてくれ!」

 

 (……なに?)

 

 夫の安月給を上手にやりくりし、五年かけて貯めたへそくりを使い込んだと、夫は言ったのか。

 ふつふつと怒りのボルテージが上昇した美津子だったが、それどころではない。今は事情を説明し、騒ぎを収めるのが優先だ。

 美津子はかぶりを振り、正に言った。

 

「違うのよぉ、そんな事はどうでもいいの!」

 

 すると正は、観念したように声を絞り出した。

 

「……そうか。気付いてしまったんだな。そうだ、俺は隣の部署の子と、三年前から不倫をしている。今日も、本当はその子とデートをしていたんだ! 私は、彼女を愛しく思っていた。しかし、それは気の迷いだと、今、気付いた! 私が愛しているのは、お前だけなんだ!」

 

「へっ?」

 

 美津子は、間の抜けた声を出した。

 夫は今、何と言ったのか。

 不倫?

 毎日粛々と家事をこなし、良い妻であり続けようと努力してきた。もちろん、夫を裏切った事など、一度たりとも無い。

 そんな妻を尻目に、仕事と偽り、若い娘と懇ろになり、あまつさえやっと貯めた雀の涙程度のへそくりを使い込んだと、夫はのたまったのか。

 

「美津子、簡単に許してくれとは言わない。私に出来る事は、何でもしよう。さぁ、お前の要求は何だ?」

 

 正の言葉に、美津子はぼそりと応えた。

 

「……リコン……」

 

「え?」

 

 一同は、声をそろえ聞き返した。

 

「離婚よっ!!!」

 

 美津子はあらん限りの声で叫ぶと、紺碧の空に再び、銃弾を放った。

 美津子は、朝食の後片付けをしていた。

 サラリーマンの夫・正は会社へ、中学生の娘・加奈は学校へ、それぞれ向かった。

 今から夕方まで、美津子はひとり、家事をこなす。

 途中、昼寝をしたり、お茶をすすりながらドラマをみたりもするが、すべき事をこなしているうちに、大抵、夕方になっている。

 絵に描いた様な平凡な毎日だが、美津子は、まんざらでもない。揉め事や争い事が苦手な美津子は、この平和な生活に満足しているのだ。

 後片付けが終わると、美津子は洗いあがった洗濯物が入ったカゴを抱え、二階のベランダへと向かった。

 途中、ふと玄関に目をやると、加奈に持たせたはずの弁当が、上り框に置かれている。

 加奈が、置き忘れていったのだ。美津子は、やれやれ、と溜息を吐く。

 洗濯物を干し終えた美津子は、加奈の弁当を自転車のカゴに入れ、加奈の通う中学校へと向かった。

 授業中に母親に弁当を届けられては娘が恥をかくのではないかとも思ったが、幸い、娘のクラスは体育の授業のようで、三階にある教室には誰もいなかった。

 美津子は加奈の机に弁当を置き、教室を出ようとした。

 その時、美津子は足元に、何か黒いニット帽のような物が落ちている事に気付いた。

 拾い上げてみると、それは目だし帽だった。

 そういえば、来月の学芸会で、加奈のクラスは「オペラ座の怪人」をやると聞いている。

 美津子は、何気なくその目だし帽をかぶり、窓ガラスに自分の顔を映した。

 

「何これ。これじゃファントムと言うより、銀行強盗じゃない」

 

 美津子はくすくすと笑い、目だし帽を脱ごうとした。

 その時、教室の外で、何やらこそこそと話し声が聞こえた。

 美津子が恐る恐る廊下をのぞくと、二人組の男たちが、隣の教室の様子を窺っている。

 

「いいか、今から教室に踏み込んで、生徒を人質に取る。身代金をがっぽりとふんだくって、俺たちは外国で遊んで暮らすんだ。ぬかるなよ」

 

 二人とも、一見おとなしそうな青年だが、一方の青年はナイフを握り、もう一方の青年は猟銃を抱えている。

 驚きのあまり、声も出せないまま後ずさりした美津子だったが、恐怖のあまり足がもつれ、引き戸に身体をぶつけてしまった。

 驚いた青年たちは、「誰だ」と美津子に振り返った。

 しかし、目だし帽をかぶったままの美津子の姿に、青年たちは「何だよ、先客がいたのかよ」と、それぞれの武器を捨て、逃げ去った。

 美津子は、へなへなとその場に座り込んだ。下手をすれば、自分は殺されていたかもしれない。

 美津子はナイフと猟銃を拾い上げると、それらをまじまじと見つめた。もしかしたら、このナイフを身体に突き立てられ、銃弾を浴びせられていたかも知れなかったのだ。

 

 その時、異変に気付いた男性教師が、教室から出てきた。そして、目だし帽をかぶり、ナイフと猟銃を持った美津子を見つけ、顔色を変えた。

 男性教師は目を剥き、あわあわと口をぱくつかせ、叫んだ。

 

「凶悪犯だ! みんな、外へ逃げろ!」

 

 美津子は慌てて教室に飛び込み、「違うんです、これは…」と、両手をあげた。

 しかし、突然現われた凶悪犯に、生徒たちはパニックに陥り、悲鳴を上げながら逃げ出した。

 ひとり教室に残された美津子は、目だし帽を脱ぎ捨てた。

 

「何でこうなっちゃうのよぉ……」

 

 美津子は、その場にへたり込んだ。

 その時、窓の外から、誰かが拡声器で語りかけてきた。

 美津子は恐る恐る、窓の外を覗いた。すると、校庭には避難した全校生徒のほか、通報で駆けつけたと思われる大勢の警察官の姿があった。

 警察官は、片手に拡声器、片手にジュラルミン製の盾を持ち、毅然とした口調で語り掛けてきた。

 

「君はもう、すっかり包囲されている。罪を重ねる前に、武器を捨て、大人しく出てきなさい」

 

 美津子は唖然とした。生徒たちの非難の視線と、警察官の投降を呼びかける言葉を、なぜ私は浴びなければならないのか。

 娘の弁当を届けに来ただけなのに。

 そんな思考を、校庭にいた加奈の声が遮った。

 

「えっ? うそ! お母さん? お母さんでしょ? お母さん、何で?」

 

 美津子は我にかえり、娘に事情をしようと、窓から身を乗り出そうとした。

 その時、美津子は自ら脱ぎ捨てた目だし帽に足をとられ、窓枠に倒れ掛かった。そしてその勢いで、美津子の抱えていた猟銃から空に向け、一発の銃弾が放たれた。

 あちらこちらで悲鳴があがり、警察官も「無駄な抵抗は、やめなさい! 武器を捨てるんだ!」と声を荒げた。

 美津子は慌てて身を起こし、叫んだ。

 

「違うの、これは……」

 

 すかさず、警察官も叫ぶ。

 

「何が違うんだ?そうか、何か要求があるという事だな? 出来る限り要求に応えよう!」

 

「そうじゃなくて…」

 

 言いかけた言葉を、今度は正の声が遮った。

 

「美津子ーーーーーっ!!」

 

 会社にいるはずの正が、なぜ急に現われたのか。美津子は呆然とした。

 正は警察官に駆け寄り、拡声器をむしりとると、叫んだ。

 

「美津子、何でこんな事をするんだ! 一体、何が気に入らないんだ! そうか、偶然見つけたお前のへそくりを、こっそり使い込んだ事に気付いたんだな? すまん、私が悪かった、だから武器を捨て、出てきてくれ!」

 

 (……なに?)

 

 夫の安月給を上手にやりくりし、五年かけて貯めたへそくりを使い込んだと、夫は言ったのか。

 ふつふつと怒りのボルテージが上昇した美津子だったが、それどころではない。今は事情を説明し、騒ぎを収めるのが優先だ。

 美津子はかぶりを振り、正に言った。

 

「違うのよぉ、そんな事はどうでもいいの!」

 

 すると正は、観念したように声を絞り出した。

 

「……そうか。気付いてしまったんだな。そうだ、俺は隣の部署の子と、三年前から不倫をしている。今日も、本当はその子とデートをしていたんだ! 私は、彼女を愛しく思っていた。しかし、それは気の迷いだと、今、気付いた! 私が愛しているのは、お前だけなんだ!」

 

「へっ?」

 

 美津子は、間の抜けた声を出した。

 夫は今、何と言ったのか。

 不倫?

 毎日粛々と家事をこなし、良い妻であり続けようと努力してきた。もちろん、夫を裏切った事など、一度たりとも無い。

 そんな妻を尻目に、仕事と偽り、若い娘と懇ろになり、あまつさえやっと貯めた雀の涙程度のへそくりを使い込んだと、夫はのたまったのか。

 

「美津子、簡単に許してくれとは言わない。私に出来る事は、何でもしよう。さぁ、お前の要求は何だ?」

 

 正の言葉に、美津子はぼそりと応えた。

 

「……リコン……」

 

「え?」

 

 一同は、声をそろえ聞き返した。

 

「離婚よっ!!!」

 

 美津子はあらん限りの声で叫ぶと、紺碧の空に再び、銃弾を放った。

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