【第3回】1982年11月23日 | マイナビブックス

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ヒーロー達にララバイを

【第3回】1982年11月23日

2016.08.23 | 篠原嗣典

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「次の曲は、新しい曲です。エピゴーネンという曲です。聞いてください」
僕はマイクの前から一旦下がって、ドラムのカウントを待った。
秋も深まり、紅葉していた木々が枝だけになる頃、僕らのバンド、Cause は精力的にスタジオに入って練習をし、秋のツアーと恥ずかしげもなく銘打って月2回のペースでライブをしていた。
正式には、ローマ字表記にして、主張とか、理由とかいう意味がバンド名だということにしていたが、実際にはぼくの曲をやっていることから『こうくんの』という意味で、こうに'Sでコーズなのだとも説明していた。
いくつもの説を流し、確定しないほうが興味は増すという手法は、やっさんの提案が採用されたものだった。
ライブは、毎回30名程度を集客して、そういうカテゴリーの中では十分に人気のあるバンドになっていた。
2学期になってから、突然、ノラさんがマネージャー的なことをし始めて、スタジオ演奏を録音したカセットをダビングして、売ったりもした。これの評判が良くて、予想の何倍も売れたので、バンドメンバーは練習のスタジオ代も払わないで済むようになった。
ノラさんはメンバーではなかったが、コーズのメンバーは助かっていた。ノラさんの家は古くからの商家で、先祖代々の商才があると、大人たちからおだてられていたが、彼の狙いはコーズファンの女子であり、敏腕マネージャーを演じながら女子との付き合い方が上手くなっていくのは、見ていて面白いところだった。

たとえば僕が アイラブユー
ささやいてみても
君は笑って 誤魔化していく
誘ってみても
「今日は駄目、駄目」

明日も その次の日曜さえ
君の返事 変わらない

そう、恋は追いかけっこ
追っていくよ
君は翼広げて 逃げてごらん
いつか追いついて抜かす僕を
君に追わせてみせる

許せないのが 恋なら
僕は愛しているのかな
まるで夢だね SFストーリー
目が覚めるまで 待ってみようか

君が大人になって現れるまで
僕の本音 話せない

さあ 恋は追いかけっこ
追っていくよ
君は自由自在に 逃げてごらん
いつか追いついて抜かす僕を
君に追わせてみせる

エピゴーネンは、後に僕の代表作の一つになるが、初演のライブでも手応えがあった。
エピゴーネンは、ドイツ語で追跡者という意味だということで使用したのだが、後になってから『パクリ』という意味合いで使われるということで、曲名を変更するように指示されたこともあった。でも、言葉の響きも曲の内だと拒否した。
未来のことなんて、漠然としか想像もしていなかった。みんなの反応の良さに、ただ満足していた。
ミディアムテンポで、メロディーラインが美しい曲だった。アレンジはアマチュアそのものだったけど、なかちゃんのベースが引っ張る形で良い感じになっていた。
ライブは毎回、十曲程度とMCで、1時間ぐらいのボリュームで、誰もが疲れず、適度な満足を伴って終われば成功だった。
終わってから、反省会を兼ねた打ち上げをする習慣になっていた。以前は、ハンバーガーショップやラーメン屋で済ませていたが、ノラさんがマネージャー的な役割をするようになってからは、全く違う華やかなものになっていた。
ノラさんはライブのチケット6枚を1セットにして、特別待遇と言うことで一部のファンに5枚の値段で売っていた。簡単にいえば団体割引だ。それを引き受けた人は、割引だけではなく特典として、打ち上げに参加できるようにしたのだ。定員30人のライブ会場を満員にする場合、5セット売れば良いわけだ。
この作戦は大いに受けて、ノラさんの所にはキャンセル待ちができるほど問い合わせがあったらしい。ノラさんは、2倍なら楽勝、3倍の規模の100人の箱でも、コーズなら満員にできると豪語し始めていた。
耀子のように元々熱心なファンは、当然、セットで買って、打ち上げに参加していた。
ノラさんは女子が参加する前提で、それなりのお店の予約を取って、反省会&打ち上げも運営していた。なかちゃんは不満そうだったけど、他のメンバーは、僕も含めてそれなりに楽しんでいた。
その日も、ライブ会場の近くの小さな喫茶店を貸し切るような感じで集まっていた。バンドのメンバー5人に、ノラさんと耀子の他熱心な常連が2人、どういうわけだか花音も参加していた。
反省会も兼ねているので、最初は真面目な話もした。ミスをした部分の原因追及と対策は、バンドにとって大事な作業で、ライブをする意義でもあった。
次のライブの予定と、セットリストなんかの話になると、ノラさんも積極的に参加してきて、他の参加者も発言したりする。
そのまま打ち上げになっていくのだが、全員が高校ということもあって、アルコールを飲むわけではないし、ライブは夕方前に終わっているので、暗くなるまで楽しくお茶をしながら雑談をする時間になるのだ。
毎回、なかちゃんは先に帰り、ちょっと微妙な空気になった。
「エピゴーネン。良かった。大好き」
花音がコーヒーを飲みながら、頬を真っ赤にして興奮していた。ありがと、と軽く頭を下げた。
「新曲。あたしもいいなぁ、と思った。相変わらず片思いっぽい曲だけどね」
耀子も同調した。彼女は、前々から僕の作る曲は片思いばかりだという不満を持っていた。
「それはしかたがない」
「ノラさん。余計なこと言うなよ」
ノラさんが得意な顔をして何か言おうとするときは、危険な兆候だと知っていたので釘を刺した。
「こうくんは、失恋したときにしか曲が作れないんだよね」
黙るしかなかった。実際に、当時の僕はその通りだったからだ。
「なるほどね」
耀子は納得していた。調子に乗って、ノラさんは続けた。
「どういう訳だか、恋の歌ばかり作って、知り尽くしているような顔をしながら、現実では失恋ばかりを繰り返しているのだから、悲しい話なんだよ」
無視することにした。
確かに、好きになって付き合っても、すぐにふられてしまっていた。大好きな人と離れたくない、という気持ちが強すぎたからだ。高校生の恋愛で、四六時中一緒にいたいと迫られたら、多くの女子は逃げる。そんなことがわからないぐらい僕も幼かったのだ。
「失恋、大歓迎ですよ。コーズにはどんどん新曲が必要だからね」
ノラさんは、ますます調子に乗った。
「じゃあさ。この曲はあの失恋という感じで、それぞれがリアルなの?」
耀子が質問をしてきたので答えた。
「リアルではないものが圧倒的に多い。現実の失恋を報告するような曲は辛すぎるじゃんか」
戯けたので、テーブルに笑いが起きた。
「こうくんは、結局、自分が相手に何を求めているのかが、わかっていないんだな」
「そんなにわかっているなら、次からは、ノラさんに曲書いてもらうことにするよ」
ノラさんの言おうとしていることもわかる気がした。
人はどうして、恋するのだろうか? 真面目に考えるほどわからなくなっていた。
夏以降も、3人と付き合って、最短で10日間、最高で21日間で終わっていた。高校2年の1ヶ月は、大人の1年に匹敵するぐらいのボリュームがある。大人になると1年が過ぎるのが早く感じるのは、新しいことが減って、経験したことの繰り返しで、その密度が薄くなるからだという説がある。
大人になってからダラダラと何年も付き合った女性と比較して、21日間しか続かなかった女の子との思い出のほうが圧倒的にボリュームがあった。本を書いたとしても、短編と長編ぐらいの差がある。
付き合った時間の長さではなく、内容が大事なんだと思ってはいたものの、失恋で傷ついた心が癒えるわけではなかった。
ノラさんが指摘するように、何かを探すように次の恋に切り替えるしかなかった。結果として、生傷が絶えないまま、ぼくは傷を深くし続けていた。
「エピゴーネンも、モデルがいるの?」
花音が聞いてきた。風鈴が静かに鳴るような耳に心地が良い声で気持ちが和んだ。
「うーん。いない、かなぁ。頭の部分の『例えば僕が……』という部分が浮かんで、一気に書いたから」
「そうなんだ」
花音は少し嬉しそうに見えた。
「花音はカセットも全部買っているし、バッチリ集客してファンを増やしているし、コーズのことは詳しいよ」
やっさんが補足するように言った。
「全部って…… 3本だけだし、みんな良い曲だなぁ、とは思うけど、詳しいとかじゃないから」
花音が照れて、やっさんがそれをからかった。
ぼくはライブの時も譜面台を置いて、演奏して歌うので、客席はMCの時に見るぐらいでわからないことが多かった。花音が今日のライブで、どこにいて、どんな顔をして聴いていたのか、全く知らなかった。
やっさんは、花音は好きな曲の時の顔とそうじゃない時の顔が全然違うからわかりやすいと言った。
ノラさんが、喫茶店のオーディオにカセットを入れて、頭出しをして、さっきのライブで録音していたエピゴーネンをかけたので、みんなでそれを聴いた。
ぼくは聞きながら、今日のライブでテストとして参加してもらっていたドラムの飯合には、悪いけど不合格と伝えようと決意していた。電気的に音を調整できないドラムは小さな会場ほど実力が出る。強く叩けば大きく、弱く叩けば小さく音が出る人類最初の楽器だと言われている打楽器の上手い下手は、最も残酷に明確に出る。喫茶店に流れる曲のドラムの音は耳障りだった。
飯合はやっさんのクラスメイトだった。麻雀仲間として、少し前から面識はあった。本人の強い希望でドラムとしてテスト採用していた。瞬間的ではあったけど、コーズの平均偏差値は最高になっていて、それは面白いと考えてはいたが、妥協するのは嫌だった。
飯合は短い間に、コーズの曲を覚えて、叩けるようになって、流石、超進学校在校者だと感心させられたけど、根本的な部分で欠陥があった。
『また、ドラムを探さなければ』
楽しそうに打ち上げに参加している飯合を見ながら、テストの不合格を伝えることより次を探すことがブルーだなぁ、と冷めた気持ちになった。

夕方になって、打ち上げはお開きになった。
やっさんと花音とぼくの3人は、JRでS駅まで帰るので一緒だった。ノラさんは、ぼくの家で居候していたが、用事があるからと別行動になった。
JRで移動しながら、ノラさんを筆頭に夏休み以降、入れ替わり立ち替わり居候がいるのだという説明を花音にしていた。
「男子の仲間って凄いね」
「週末とかは、女子も来ているときがあるがあるよ」
「うそ。本当に? 私も今度、お邪魔してみようかなぁ」
「雑魚寝に耐えられるかが、参加基準になるけど、大丈夫?」
ぼくがからかうようにいうと、慌ててやっさんが制止した。
「無理無理。花音は駄目だって。おもしろおかしく言っているだけで、実態は不良の巣窟なんだから」
「やっさんは、外泊許可がでないから、泊まったことがないからね」
今度は、やっさんを茶化したら、花音は驚きながら言った。
「そうなの? 仲間が集まっていて、楽しそうなのに、氏川くんらしいと言えば、らしいね」
やっさんのことを氏川くんと花音が呼ぶたびに、2人は幼なじみなんだなぁ、と僕は感じていた。昔の呼び方は、滅多なことはでは変わらないものだ。
「いずれにしても、花音は出入り禁止」
やっさんはムキになっていった。考えたことがなかったけど、やっさんは昔から花音って呼び捨てにしていたのだろうか? と疑問に思った。彼のキャラクターからすると、話したこともないようなクラスメイトを呼び捨てにするシーンは想像できなかったからだ。
「花音。やっさんは門限が10時だから、それを過ぎてから来れば見つからないよ」
花音は笑いながら、了解です、と敬礼をした。やっさんは、駄目だって、と本気になって止めようとしていた。
S駅で、ぼくと花音は地下鉄に乗り換えだった。やっさんは、いつもS駅まで自転車で来ていた。花音がいなければ、ぼくは1駅だけの利用なので、やっさんと2人で地上を歩くこともあった。距離にして2キロ程度なので、歩いても苦ではなかった。
花音とやっさんの最寄り駅は、更にもう1つ先の駅だ。
JRの改札を出て、地上でやっさんを送った。ギターを背中にかついで、自転車に乗っていくやっさんは、強くペダルを踏んで颯爽と走っていった。
外はすっかり暗くなって、冷たい風が吹いていた。
地下に降りて、ぼくと花音は地下鉄のホームで地下鉄を待っていた。
疑問に思っていたことを聞いた。
「やっさんて、昔から花音のこと、呼び捨てだったの?」
花音は、ぼくを見上げるようにしながら首を振った。
「じゃあ、高校デビューなんだ」
「高校デビューって、何?」
「高校になってから、突然始めたという意味だよ」
「なるほど。じゃあ、高校デビューで間違いない」
本当に風鈴が鳴るみたいな声だなぁ、とぼくはちょっと感動しながら花音を話をしていた。
「今日は、本当に楽しかった。こうくん達って、色々な意味で天才だなって思う」
「どうして?」
「こうくん達と一緒じゃないとできない面白いことが一杯あるから、凄いと思って」
確かに、あの頃のぼくは快楽主義で、失うものはないと高をくくって、若さというエネルギーを燃やし続けていた。
ぼくは、そういうことが永遠に続かないことも、どこかで冷静に理解していた。だから無理ができる部分もあったのだけど、とっくに折り返し地点は過ぎて、終焉が近づいているような恐怖も時々感じていた。
ぼくは黙ってしまった。
花音も黙っていた。
ホームにアナウンスが流れて、地下鉄が来ることが告げられた。
「こうくんて、どうして……」
花音が、突然、大きな声を出した。花音が大きな声を出すのを初めて聞いた。
なんて言ったのか、わからなかったので、
「なんて言ったの?」
と、ぼくも怒鳴るように言った。地下鉄が入ってきて、強い風が2人に向かって吹いた。 花音は、泣き出しそうな顔で、ぼくをしばらく見つめた後、地下鉄が止まるのを待つように言った。
「聞こえなかったら、それで良いです」
敬語になったと思った。それが無性にショックだった。たった1回のチャンスを逃したような微かな後悔を感じだ。
地下鉄のドアが開いたので、2人で乗った。「気になるじゃん。教えてよ」
ぼくはつり革を掴んで窓の方を向いた花音を覗き込むようにして聞いた。花音は、避けるようにして、ドアの横に移動した。
地下鉄は空いていて、空いているシートもあって、座ろうと思えば座れたが、当時の高校生はよほどのことがなければ、電車でシートに座ることなんてなかった。それは小さなプライドだったし、暗黙のルールだった。
ドアの横の角で、背を向ける花音を見つめながら『怒らせてしまった』と焦った。
地下鉄はゆっくりと走り出した。すぐにぼくが降りる駅に着いてしまうことは知っていた。
「謝ろうかなぁ?」
と、背中に向かって大きな声で言った。できれば、冗談で終わらせたいと願いを込めた。 花音は背中を向けたまま、首を何度も横に振った。
女子とこういう状態になるたびに、自分の未熟を痛感させられた。女心はわからない。 手を伸ばせば届く距離を保ったまま、果てしなく遠い背中の前で途方に暮れた。
地下鉄は無情に減速を始めた。
『このまま乗り過ごそう』と決意した瞬間、くるりと花音は回って、笑顔でこちらを向いた。
「うそでした~」
と言ったが、目には涙が溢れていた。
それを指摘して良いのか、それとも、何か別の言葉を言えば良いのか。動揺した。
地下鉄は、駅に着き、ドアが開いた。
花音は強く、ぼくの左腕を掴んで、外に向かって引っ張った。抵抗することは容易かったけど、ぼくはその動きに従って、地下鉄の車両から押し出されるように降りた。
あの風鈴のような声で花音は言った。
「さっき…… どうして『こうくんには彼女がいないの?』って言ったの!」
ドアが閉まる合図のベルが鳴り、ドアが閉まる音がしていて、うるさいはずなのに、まるでイヤホンで聞いているように花音の言葉は明確に聞こえた。
2人の間でドアは静かに閉まった。
角が丸い窓越しに、花音は小さく手を振った。その手に、涙が落ちるのが見えた。
地下鉄は次の駅に向かって走り出した。
ぼくは、ホームに1人だけいるような錯覚に陥った。人類最後の生き残りになったSFの主人公みたいだった。
花音のことはなんとも思っていなかった。
やっさんの幼なじみで、風鈴みたいな声でよく笑って、コーズのことも好きになってくれて…… ただ、それだけだったはずだったのに。
『もう止められない』
ノラさんが、花音だけはやめておけ、と言ったのは一ヶ月ぐらい前のことだった。意味がわからないと思っていたが、それは嘘だ。ずいぶん前から、花音の気持ちには気がついていた。そういうことには慣れっこだったから特別なことではないと考えていた。それで済んでいたはずなのに。
『彼女がいないの?』と聞く花音の苦悩が手に取るようにわかった。彼女がいれば諦めもつく。無理だという現実があれば、片思いは永遠に隠せるからだ。
でも、彼女がいないことを知れば、心の弱いところから何かが漏れていくように、期待をしてしまう。夢を見てしまう。
初めて二人だけの時間が偶然来て、僕が考えて不安になっていたように、花音も唐突に永遠にぼくらが高校2年ではない、と考えたのではないだろうか。
今しかできないことがあると思って、気持ちが口から出てしまった。
花音の気持ちを勝手に想像した。ぼくが恋に落ちたときのわかりやすい思考パターンだった。
新たな地下鉄がホームに入ってきた。
ぼくは迷わずに、地下鉄に乗った。

地下鉄に乗りながら、花音がどこに住んでいるのか、全く知らないことを思いだした。
一つ先の駅と言っても、家から歩いて30分もかからない距離だ。地元の範疇だった。改札が2つあり、地下鉄の出口は、それぞれに3つずつある。
どの出口が最も花音の家に近いのかもわからなければ、家までどのくらいの距離かも知らなかった。
誰かに電話をして聞けば良い、と考えていたら、駅に着いた。
とりあえず、最も近くにあった階段を駆け上がり、改札から出て、公衆電話を探した。
赤いダッフルコートが見えた。
2つ並んだ公衆電話の横に、赤いダッフルコートを着た花音が、ぼくに気がついて、目を丸くしていた。
ぼくは走って、花音の前に行った。
「いてくれて良かった」
心から言った。別の改札に出れば、会えなかった。
「どうして?」
花音は、また、泣きそうになった。大人なら抱きしめてしまえば、言葉はいらないシーンでも、ぼくらにはまだ、そういう選択肢はなかったので、彼女の涙を止めることはできなかった。
「エピゴーネンという感じ」
ぼくは言った。
「ずるい」
花音は涙声で答えた。
「赤いダッフルコート似合うね」
そんなことどうでも良かったのかもしれないけど、ぼくは思ったままに言った。
ぼくは恋愛モードになると、色に敏感になる。それまでも、その後も、全ての恋愛の記憶はカラフルに彩られている。
短めの赤いダッフルコートは、大人になっても、そのときの花音の為のもので、どんなモデルが着たシーンを見ても、このときの花音の輝きをを越えることはない。
「一ヶ月早いクリスマスプレゼントで、父が買ってくれたの。ありがと。今日、初めて着たから、ちょっと嬉しい」
唐突に言ったことにも、花音は真面目に答えた。2人で少しだけ笑った。
それから、2人で地上に出て、目の前にあったファーストフードでチキンナゲットを食べながら、ジュースを飲んだ。
「本当は、反対側の改札を出た出口が家からは近いの」
落ち着いてきた花音は話し始めた。
自分が利用する出口を出ると、たぶん、やっさんが自転車で待っているというのだ。前にも同じようなことがあって、自転車のほうが速いので、S駅で別れたのに、送っていくと待っているのが気が重かったらしい。
ぼくに相談するのも変だと思って、相談できなかったけど、違う出口から出て遠回りして帰ろうと思いながらも、会う可能性があるかもしれないと、時間を潰していたという。
「明日にでも、やっさんに言っておくよ」
「どうして?」
「だって、待ち伏せされるの嫌なんでしょう?」
「ずるい。どうして?」
花音は、また泣き出しそうだった。
「花音は、ぼくの彼女になったからって言うよ」
花音は、結局、少し泣いた。
「ありがと。でも、それはやめて欲しい」
花音は、大きく息を吸って、何かを決意するように続けた。
「2人が付き合っていることは、2人だけの秘密にしたいの」
そういう女の子がいることは理解していたが、そういう形で付き合った経験はなかったので、戸惑った。
「どうして? ついでに、いつまで?」
「理由はいつか説明するけど、今は説明できない。いつまでかは、わたしが良いと言うまで」
「花音って、面白いね。花音がそうしたいのであれば、それで良いよ」
結果として、それは、ぼくの恋愛パターンを一新して、長く深く女性を愛する意味で、ぼくを飛躍的に成長させた。
猪突猛進型で、ひたすらに会う時間を求める恋愛も悪いことばかりではないけど、短期決戦になってしまいがちだった。
秘密にすることで、より濃密になることもあるのだと知った。
ぼくの高校生活で、最も充実した1ヶ月はそうして始まったのだ。

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