【第4回】1982年12月25日 | マイナビブックス

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ヒーロー達にララバイを

【第4回】1982年12月25日

2017.04.17 | 篠原嗣典

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「今日は、ここまでにしよう」
クリスマス当日。コーズの面々はスタジオで翌日のライブに備えた練習をしていた。
スタジオを借りている時間は、まだかなり余していたが、もう十分だと思って、練習終了を宣言した。
なかちゃんは、すぐに帰り支度を始めた。
新しいドラムの女子は、キーボードの女子と同じ女子校だった。学園祭で、別のバンドでドラムを叩いていたのをキーボードの女子がスカウトしてきたのだ。大人しい女の子だったが、ドラムは正確で、かつ、楽曲に合わせて強弱をつけられる技術もあった。翌日のライブが、彼女のコーズでのデビューだった。
不安そうにして、ぼくを見つめていたので
「大丈夫。ドラムは完璧だったよ。明日は楽しもうね」
と声をかけた。
「こうくんが良いというなら良いけど。時間が余っているから、自主練とかも有りだよ」
ノラさんもフォローを入れた。早速、キーボード女子と一緒に、音を出し始めた。
この日は、やっさんが家の事情とかで、来ていなかった。
なかちゃんに続いて、ぼくも防音扉を開けて、ロビーに出た。
「どうした?」
ノラさんも後ろから追ってきた。
「やっさんと、なんかあったのか?」
ぼくは首を振って、無料になっているコーヒーメーカーを手にとって、カップにコーヒーを入れて、ノラさんに渡した。
「オンナと別れた」
ぶっきらぼうに言った。
クリスマスイブは、家族と過ごすからと花音とは会えなかったが、クリスマス当日の今日の午後からは会う約束になっていた。
スタジオに入る前に、待ち合わせの時間を確認しようと花音に電話をしたら、いきなり、もう2度と会いたくない、と電話を切られた。
何一つ、思い当たることはなかった。昨日の夕方も小一時間、電話で楽しく話をしたのだ。スタジオでの練習が終わったら、プレゼントがあるとはしゃいでいたのは、花音のほうだった。ぼくもプレゼントを買っていた。
「花音か?」
いきなり、言われて驚いて、自分に入れていたコーヒーをこぼしそうになった。
「ノラさん。知っていたの?」
「わかるだろう、普通。あんだけ見つめ合ったりしていればさぁ」
「ノラさんと一緒に会ったのなんか、この間の忘年会だけじゃん」
「それにさぁ。俺は24時間、ユーと一緒にいるのよ。内緒の外出があって、明らかに曲ができなくなるのを目の当たりにすれば、彼女ができたな、と思うし、珍しく秘密主義らしいとかまでわかっちゃうでしょうよ」
「奥さんに浮気がばれるのって、こういう感じなのかな?」
「バカ言ってんじゃないよ。それより、明日は大丈夫なのか?」
「そっちこそ、舐めんなよ。失恋の一つや二つで、ライブ飛ばすほど子供じゃないっていうの」
ノラさんとぼくは、ため息交じりに笑い合った。
「ユーの新曲も、必死になってラブラブな雰囲気出していて、良い感じだと思ったのに、もうあんな感じの曲はできないのか」
2週間前に、新曲を3曲書いて、そのうちの2曲を、明日のライブでやる予定だった。失恋ではないテーマで書いた3曲をノラさんは褒めたが、もう全く覚えていないので、不出来だったのだろう。
「ノラさん。ユーって言うのやめたほうが良いよ。気持ち悪いから」
「ユー。わかっていないね。ユーっていうことで、シャイで有名なノラさんが、誰とでも気兼ねなく話せるようになってきたんだよ。簡単にはやめられませんって」
ノラさんは、ピースサインをしてニッと笑った。
思いだしてみると、この頃の僕らは笑顔でいるシーンしか浮かばない。ノラさんがユーと会話で相手を呼ぶのは、この後、疎遠になるまで続いた。
ノラさんはシャイで、口下手だという印象を持っている人はほとんどいなかった。その多くは、ノラさんが影で『ユー』とバカにされるようになってから知り合いになった人で、昔からの仲間は、彼が自分を変えるために必死の努力を重ねる姿を見てきたのだ。
「深く聞いたほうが良い?」
こういうところが、ノラさんの良いところだった。さり気なく、気遣いができる友達というのは、いそうでいない。ありがたいと思った。
「そのうち話すよ」
そう言って、コーヒーを一気に飲んだ。ブラックで飲むのは、明らかにカッコつけの習慣だったけど、こういうときのブラックコーヒーには救われるのだと知った。
「話変わるけど、アドレス帳は見つかったのか?」
ノラさんが聞いてきたのは、あのゲームができてしまう電話帳のことだった。
一昨日。気がついたらアドレス帳が鞄に入っていなかった。持って出掛けてはいなかったので、落としたということは考えられなかった。ノラさんも一緒に、部屋中を探したけど見つからなかった。
ぼくは、当時からかなり几帳面で、ものをなくすということに無縁だった。電話帳のように大事なものをなくすなんて考えられなかった。
ノラさんは、前夜からコンパの流れで家に多数の仲間が泊まりに来ていたことを問題にして、中に犯人がいるはずだと憤ったが、犯人捜しはしなかった。
アドレス帳なんて、また作れば良いと考えたのだ。『花音がいれば、それだけで良い』と思うほど、ぼくは花音に惚れていた。
付き合うほど、花音が好きな気持ちは増した。
もう一度、ため息をついた。
「もうあれは出てこないよ」
確信があった。永遠に続くと願っているものほど、終わりは唐突に訪れる。
「諸行無常だ」
ぼくがつぶやくと
「盛者必衰、か」
ノラさんが続けた。
エピゴーネンを書いていながら、別れを切り出されたら、追いかけないことは絶対だった。それはぼくの恋愛のルールだった。
ノラさんと話して、気が楽になった。心の中で、改行はできないにしても、句読点は打てたようで、少しスッキリした。
「女子2名、内新人1名の練習を見てくるかな」
ぼくはスタジオに戻った。

練習を終えると、ノラさんはロビーで待っていた。女子2人は、待ち合わせがあると言って、急いで街の中に消えていった。
ノラさんは、自動販売機でコーラを買ってきて、1本をぼくに渡した。
「余計なことだと思ったけど、どうしても放っておけなくて、色々と調べた。妙子、知っているよね?」
「ごめん。知らない」

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