【第2回】1982年8月10日 | マイナビブックス

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ヒーロー達にララバイを

【第2回】1982年8月10日

2016.08.17 | 篠原嗣典

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夏休みに入って、ぼくの家はちょっとした合宿所のようになっていた。
高級住宅地の一角、周辺で最も大きなお屋敷がぼくの家だった。庭から回ると、1階のリビングに直接入れるのと、そのサッシに鍵をかける習慣がなかったので、友人たちの多くは玄関を使わずに溜まり場になっていたリビングに直接出入りしていた。
リビングは三〇人ぐらいが余裕で雑魚寝できる大きさがあって、学校の教室よりも少し大きかった。麻雀用のテーブルがあり、大きなテレビとオーディオセット、10人ぐらいが座れるソファとテーブル、一辺の壁は備え付けで、天井までの木製のキャビネットになっていた。
そこには、ぼくの在宅とは無関係に誰かが必ずいた。やっさんが通っていた公立高校の裏門から200メートルでぼくの家だったこともあって、一番多かったのはその高校の生徒で、全く知らないヤツも挨拶なしでたむろしていることもあった。
高校2年の夏休みは、受験を考えると実質的に最後の夏休みという諦めと、自分が主役の思い出作りの夏ということで、ギラギラした男子が空回りしていた季節だった。
夏休みに入ってから、自分の家に帰らずに大きな荷物と一緒に連泊している友人も複数いて、それぞれが自由に過ごしていた。
不文律で、2階には勝手に上がってこないルールはできていて、ぼくは2階の自分の部屋からリビングに降りない時間もよくあった。 楽器を弾いたり、曲を作るのは自分の部屋だったし、付き合っている彼女を呼んだりしても自分の部屋に通した。
振り返ってみれば、そういうことを容認していた両親に色々な意味で感心する。たくさんの仲間がいる息子が嬉しかったのと、外で悪さをするなら家の中のほうが安心ということもあったにしても、同じような年齢になって、改めて考えると、ぼくには絶対に無理だと思う。
「こうくん! 起きている?」
1階から声がしたとき、ぼくは自分の部屋で既に起きて、パジャマから普段着に着替えていた。約束したわけではないけど、やっさんが来ることを予想していたからだ。
時計は十時少し前。やっさんは家が厳しくて気軽に外泊はできないので、前夜の十時頃自転車で帰っていった。十時に帰って、十時に来る。出会ってから、それがやっさんの夏休みのパターンだった。
夏休み直前に彼女と別れて、フリーになっていたぼくは、ちょうど入れ替わるように現れたやっさんと毎日会っていた。
「起きているよ。上がっておいでよ」
声をかけると、階段を上がってくる足音は2人分だった。なかちゃんと一緒なのか、と思ったらノラさんが最初に部屋に入ってきた。
ノラさんは、野田村由起夫という長い名前で、ぼくの高校のクラスメイトだった。大きなリックを持ち込み、試験休みから家に泊まり込んでいた。
「朝まで麻雀していたのに、早起きだね」
挨拶もせずにノラさんをからかった。
「オレは寝ないでも大丈夫な体質だからな」ノラさんは、少し威張って胸を張った。確かに、顔を見ると寝ぼけてはいなかった。
「そろそろ、活動する時期かなぁ、と思ってさ」
ノラさんは、意味深にぼくを覗き込むようにしながらベッドに腰をかけた。
後から入ってきたやっさんは、軽く会釈をしただけで、何も話さずにノラさんの横に座った。
「ノラさん。上か?」
キムの声だった。ノラさんは、勝手に、上がってこい、と声をかけた。
「キムは洗濯当番だからさ」
ノラさんは、ぼくとやっさんに説明した。
洗濯当番というのは、のらさんが最近決めたルールだった。宿泊している連中の洗濯物をコインランドリーに洗濯しに行く当番で、みんなでお金を出し合って、洗剤などを買って、毎晩、じゃんけんをして負けたヤツが当番となっていた。
家の近所にはコインランドリーがなく、最も近いところでも2キロも離れていたので、洗濯物を担いで家の自転車を使って、洗濯係は出掛けていくのだ。
ノラさんは、けっこう細かい性格だったから、洗濯係は涼しい朝の家に行くことや、ついでに朝ご飯も買ってくることなどをルール化していた。
その日の当番を終わらせて、キムこと木村は帰ってきたわけだ。キムは、ノラさんと同じで、ぼくと同じ学校の仲間だったが、家に来たのは前日が初めてだった。
「ノラさん。コロッケパン、買ってきたから、お金ちょうだい」
キムはきょろきょろしながら、ぼくの部屋に入ってきた。
ベッドはかなり大きかったけど、三人の高校生が座ると一杯な感じになった。ぼくの部屋にはベッド以外に座る場所は、机の椅子だけだった。
ノラさんは、ポケットからお金を出して、キムに払って、受け取ったコロッケパンを食べながら聞いてきた。
「今日は何をする予定なの?」
「特に予定はない」
やっさんとギターを弾き合うのも一週間を過ぎてちょっと飽きていた。
「ユミとの傷も癒えただろう?」
ノラさんは付き合いが長いだけに遠慮がなかったし、ぼくのこともよく知っていた。ユミというのは、夏休み前まで付き合っていた彼女の名前で、ノラさんとは何度か会って面識があった。
「まあ、確かに」
できるだけ飄々と答えて、念のため、やっさんに、今日はギターなしでも良い、と聞いたりした。やっさんは頷いた。
「待ってよ。話についていけていないから」 キムは、ユミのことを知らなかったので、当然、別れたことも知らない。ノラさんとぼくは目で合図して、キムを無視した。
やっさんも、キムと同じように知らないはずなのだけど、トップレベルの進学校の頭脳は、ここ数日の色々な会話の端々を捉えて、おおよそのストーリーは掴んでいたのだと思う。
この頃、ぼくらは気がつき始めるのだ。
例えば、ギターを弾くヤツを見つけるのにセカンドグループのぼくの高校より、トップグループの高校のほうが上手いヤツが多く、見つかりやすいのだ。勉強ができるヤツは、他のことも秀でている。努力することが上手で、継続する根性があって、自らを客観視する分析力もあるからだ。
僕らの高校にもギターを弾くヤツは一杯いた。その人数は、どこの高校でも変わらないと思うが、上手いヤツの比率は、学力に比例して多くなる。勉強ができるヤツは他のことをやらせても、ちゃんとできるのだ。
一流は一流を知るのである。
もちろん、例外的に勉強だけしかできないヤツもいる。こういうヤツもいなければ、セカンドグループは報われなかった。
「手帳ゲームするか?」
ノラさんは簡単に言った。ぼくは気が進まなかったけど、やっさんもキムも興味がありそうだった。
ぼくの部屋には、一応、電話機があった。電話回線は一本だったけど、複数の電話機が繋げられていたのだ。だから、電話は一斉に鳴り、早く取った電話機が優先的に通話できて、かけるときも同じで早い者勝ち方式だった。
ぼくは、鞄から電話帳を出して、
「誰からいく?」
と聞いた。
手帳ゲームを始めたのは、ノラさんだ。ある日、ぼくの電話帳が異常に厚いことに気がついて、中身を見て感心したのが始まりだった。普通の電話帳は、一〇〇人程度の電話や住所が書けるようになっていたが、ぼくのは六〇〇人書ける特別バージョンだった。
高校に入って、友人が増えたのと、手当たり次第にナンパしまくった結果、電話帳を特別なものにせざるを得なくなったのだ。
高校に入ってから、ぼくはバイトとナンパに明け暮れた。豪邸に住んでいるお坊ちゃんだったけど、親は自由を与えてくるだけで、お金は自分で稼ぐものという方針だった。新しいギターも欲しい。遊ぶお金も欲しい。バイトをしてお金を稼ぐ、というようになった。
ナンパは、ギターを教えてくれていた先輩に、一生の間に出会える人間は限られているから時間を無駄にしてはいけないと説教されて、覚醒して熱心にするようになった。
生涯で人間が会える人数には限りがある。その中に、自分に合う異性がいると考えるのはご都合主義だと指摘された。少し考えればわかる。街や駅ですれ違うだけの一瞬の出会いも、もしかしたら運命かもしれないのだ。恥ずかしがったりしている暇はなかった。
運命の人との出会いを逃さないために、頑張るのは気分が良かった。声をかければ、ほぼ100%連絡先を聞くことができた。
ノラさんが感心したのは、その数もさることながら、名前でインデックスされていることと、全ての女子の学校や学年、特徴などをぼくが記憶していて言えたことだ。
手帳ゲームは、単純に、女子の名前を想起してもらい、同じ名前の女の子が手帳にいれば電話をして確認するというものだった。
その名前の女子と話できればぼくの勝ちで、その名前が電話帳に書かれておらず、想起したヤツが電話をできれば、ぼくの負けという変なゲームだった。
キムは、説明を聞いて興奮した。やっさんも面白そうだね、と手帳を覗き込んだ。
「ボーリングでもするかな」
ぼくは、せっかく電話するのだから、誘い出して遊ぼうと提案した。
この頃の高校生は、意中の異性の家の電話にかけるだけでも大イベントだったりしたのだから、それを普通にしてしまうぼくは、突出して変な高校生だった。
「おれからいく…… ケイコ」
ノラさんが手を挙げて、いきなりゲームを始めた。キムとやっさんは、変な顔してぼくを見た。ケイコという名前は手帳に複数書かれている。珍しくない名前だ。
「ノラさん。この間のケイコなら無理だって言ったよね」
ぼくはウンザリした声を出した。女子に諦めないアタックすることを否定はしない。ノラさんがいう恵子は、もう2回も、ノラさんの告白を断っている。
容姿はきれいだけど、中身が男っぽい性格の女子は女子校に多くいたが、恵子もそう言う1人だった。超一流女子校の生徒だった恵子は、たぶん、異性と交際することを今する気持ちがないのだと思われた。
ぼくは、来るものは拒まず、去る者は追わずという精神を貫いていた。ナンパして、話をしたら恵子の性格がわかって、その日の内に友人になった。彼女はクレーバーで、友人としてはかなり面白い存在だった。また、あまり男子と接したり、話したりできないので、僕らと会うことにノリが良かった。
ノラさんの顔を見ると、真剣だった。ノラさんが恵子のどこを好きなのかは知らなかった。
「ノラさん。ケイコだったら別にも三人いるけど、あの恵子で良いの?」
「オレにとって、恵子は生涯あの子だけなのだ」
「しょうがないなぁ」
ぼくは思いっきりため息をつきながら、恵子に電話した。
恵子と午後一時にI駅で待ち合わせた。ノラさんも行くけど、新顔も行くから、と話したら笑っていた。豪快な女なのだ。
静かに闘志を燃やすノラさん横で、手を挙げてたのはキムだった。
「ヨ、ヨウコ!」
ノラさんを見ると、知らないフリをしていた。ぼくとノラさんとキムが通う高校の2年のモテ女子トップ3の1人が陽子だった。キムが彼女を好きなのは、本人の隠そうという気持ちとは裏腹にバレバレだった。
キムは嬉しそうな顔で、真っ直ぐにぼくを見ていた。
ぼくは、電話帳のページを開いて電話を引き寄せた。
陽子は彼女のファンがムカつくぐらいぼくと仲が良かった。彼女は可愛かったし、魅力も理解できたけど、友人だった。好きになる理由は言葉にならないけど、好きにならない理由は具体的に言える。ぼくは、陽子を付き合う対象にどうしても思えなかった。だから、彼女とも友人として仲が良かった。
6月から陽子には彼氏がいた。キムも知っている男子だ。2人は隠して付き合っているけど、ぼくは陽子から聞いていたし、ノラさんは男子サイドから情報を得ていた。
そういう事情なので、キムには悪いが陽子は誘えなかった。
「すみません。わたくし、T高校2年の紅野と申します。学園祭のことで相談がありまして、耀子さんがご在宅でしたら……」
別のヨウコに電話をした。家の電話では家族と上手に話をして、好印象でポイントを稼ぐのが絶対条件だった。ナンパ同様、この分野でも、ぼくは天才的だった。
耀子なら、I駅から家が近いはずだし、大学まで付属の高校なので、夏期講座とかもないはずで、部活もしていない。色白で、清楚な感じは、キムも悪い気はしないはずだ。
耀子は、電話に出るなり、遊ぼうよ、と言って来るノリだったので、恵子と同じように待ち合わせた。
話をしていることをよく聞いていれば、ヨウコ違いだとわかりそうなものだが、キムは喜んでいた。ノラさんが、キムと肩を組み、何があっても恨みっこなしが、手帳ゲームの掟だ、と数時間後の対応がスムーズに行くように言い聞かせていた。
そもそも、ノラさんが言い出しっぺなのだから、当たり前だ、と冷めた目でぼくは二人を見つめた。
「やっさん。どうする?」
「絶対に手帳にない名前があるけど……」
ノラさんが身を乗り出した。
「おぉ。イイネ。やっさんはやるヤツだと思っていたよ。ゲームっぽくなってきた」
「で? なんていう名前?」
やっさんは、意を決して言った。
「カノン」
ノラさんが吹き出した。
「タイム、タイム。やっさん。日本人じゃなければ駄目だって。こうくんはエロ本だって外人ものは全然駄目なんだから」
「日本人だよ。花に音って書いて、カオンじゃなくてカノンって読ませるんだよ。中学の時の同級生」
ぼくは手帳を開きもしなかった。そんな珍しい名前を忘れるわけはなく、手帳に名前はなかった。
「参った。名前はない」
一応、頭を下げた。
「やっさん。電話番号は知っているの?」
ノラさんはゲームの主催者らしく、進行するつもりのようだ。
「電話番号は家に帰ればわかるけど……」
ぼくは手帳をめくって、電話をかけた。同じクラスの女子が、やっさんと同じ出身中学だったことを思いだしたのだ。ざっと事情を説明しながら、同時に、やっさんに花音の苗字を聞いた。花音と親しくはないけど、名簿があるからわかると電話番号を教えてくれるのに3分もかからなかった。個人情報なんて気にしない。おおらかな時代だった。
「やっさんが電話するかい?」
電話を切って、すぐにやっさんに聞いた。やっさんは、無理無理、と首を振る。名前がないだろうと浮かんだだけで、同じクラスだったけど話をしたこともない、という。
ぼくは黙って、受話器を上げて、聞いたばかりの番号をダイヤルした。
3回のコール音の後、電話に出た女性の声に驚いた。アニメの女性主人公のように優しくて、耳に心地良い声だったのだ。
本人が出た可能性が高いとは思ったが、念のため家族用の自己紹介をして、花音さんをお願いしたいのですけど、と聞いた。
不思議そうに花音は、わたしですけど、と言った。やっさんこと、氏川康夫を知っているか、と聞くと、知っていると答えた。そこからは話が早かった。
暑気払いボーリング大会をしようと思っているのだけど、女子が1人足りなくなって、やっさんに聞いたら、花音ちゃんの名前が出て、こうして電話したことを説明して、午後一時にはI駅で集合なので、時間があれば来て欲しいと話した。
少し迷ったようだが、彼女も来ることになった。
そこで、初めて、やっさんに電話を替わったら、顔を真っ赤にしてやっさんは何度もゴメンネと繰り返していた。
電話帳に書かれている女子と付き合う気はなかった。新しい出会いが自分を待っていると真面目に考えていた。
自分の分の女子は、現地調達で良い、と考えて、4人の男子は出掛けることにした。

待ち合わせに遅れてくる女子はいなかったし、I駅についてすぐに1人でいた女子をナンパして一緒に遊ぶことで調達にも成功していたので、暑気払いボーリング大会はスムーズに実行された。
キムは想像していた陽子ではなく、別の耀子が来たことで、面食らっていたが、どういう訳だか恵子と意気投合して楽しんでいた。 ノラさんは、2回もばっさりと切られている恵子に妙に遠慮して距離をおいていたせいで、キムに恵子を取られる形になり、これまたどういう訳だが、ぼくが現地でナンパした一つ年下の朱美という少女と仲良く話をしていた。
やっさんは、本当に中学在学時には花音と話をしたことがなかったことが判明した。
やっさんは、花音ではなく、状況が飲み込めていない耀子にギタリスト大好き、と好かれて、結局、ずーっと一緒にいる感じになった。耀子は、バンドがライブをするときにチケットをたくさん売りさばいて、集客に貢献してくれるので、新しいギターであるやっさんに興味を持つのは不自然なことではなかった。
ぼくは、花音がせっかく来てくれたのだからと、気を遣ったつもりで彼女を楽しませるのに全力を注いだ。通っている高校が、同じ公立のグループ高だったということもあり、話題には困らなかった。
やっさんがギターを弾くことは知らなかったと驚いていた。なかちゃんとも同じ中学なので、彼のことも話題になった。ベースをすることになった、と話すと、中学ではギターの弾き語りをして、一部の女子に熱狂的にモテたと教えてもらった。
絶対にライブがあったら行きたい、というので、やっさんから連絡をさせる、と約束した。
彼女はよく笑う女の子だった。
「笑いすぎて、お腹が痛い」
という声は、電話よりも現実のほうが何倍も可愛いかった。ボーリングが終わったあとにみんなでケーキを食べに入った馴染みの喫茶店のマスターも、声優みたいな声の女の子だね、と感心していた。
夏休みの1日は、そんな風に過ぎた。
カップルになって抜け駆けすることもなく、夕暮れ時になれば、集合時点に戻るように駅に全員で戻って、バイバイするという潔さは、青春だからこそ許される余裕だったのかもしれない。
男子4人は、小さな合宿所になっているぼくの家に帰って行く。そこには、おいてけぼりを食った仲間が待っていた。
たくさんの失敗談とほんの少しの自慢話をしながら、麻雀をしたり、ちょっと悪い冒険をするのが、ぼくらの一番楽しい時間だったのだ。

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