【第4回】4 | マイナビブックス

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化粧咲き

【第4回】4

2017.04.07 | 篠原嗣典

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 改めて話をして、タカは変わらないとミユキは思った。

 I駅の地下のテレビ一杯は、平日の午後七時なのにたくさんの人が待ち合わせていた。モニターは大きな液晶に変わっていて、雰囲気は昔とはかなり違っていた。

 ミユキは約十分遅れで着いた。

 タカは文庫本を読みながら壁にもたれるようにして待っていた。高校の制服を着たタカがかぶって見えた。あの頃も、いつも文庫本を鞄に入れていた。

 ミユキが近づいていくと、五メートルぐらい手前でタカが顔を上げた。それも、懐かしかった。いつも、この間合いでミユキに気がついてくれていたような気がした。文庫本を読みながらも、意識は常にミユキを探しているのだと証明しているようで安心していたことを急に思いだした。

 タカは、老眼鏡なんだよ、と文庫本と一緒にメガネを鞄に戻した。その動作が流れるように洗練されていて、タカもミユキ自身も高校生ではないのだと冷静になった。

 冷静になれと自分に言い聞かせなければ、意図しない場所に引き込まれそうだとミユキは思ったが、文字がない厚い本をどんどんめくっていくように、凄い速度でミユキは懐かしさを次々に感じ続けることになった。

 タカは、簡単にこれから行く場所の説明をしながら歩き出した。ミユキは、いつも思っていた。『この人の台詞は、入念に準備をした役者みたいだ』

 本当に変わらなかった。

 必要なことを漏らさず話ながらも、タカは一方的にはしゃべったりはしない。ミユキと対話できるような間をさり気なく作るのだ。ミユキはキャッチボールに詳しくはないが、上手なキャッチボールは楽しいだろうなぁ、という感覚は知っていた。

 それでいて、タカはあまり目を合わしては話をしない。ミユキは前ばかり向いているのに、言葉は自分に向けているタカの横で、こういう対話が、キャッチボールだったんだと初めて知ったような気がした。

 シングルマザーとして息子を育てていく中で、父親代わりにキャッチボールをするべきかを悩んだことがあった。そんな自分を庇うように、母さんとは言葉でキャッチボールができているから良いよ、と大人ぶって息子が言ったことがあって感動した。

 久しぶりのタカとの言葉のキャッチボールは快感だった。

 ミユキが最初にコールバックをしたとき、桜が蕾だったという話をすると、タカは少し北の方にあるゴルフ場は都会より桜前線が遅れて通過するので、車なら追い越すことができて、タイムマシンに乗った感覚になれるという話をした。

 ミユキが興味を持ったと感じると、タカがその話題を広げるのも昔のままだった。

 I駅の東口で地上に出て、小さな看板がインデックスのように出っ張っているビルが連続する大通りを歩きながら、二人は桜の話をし続けた。

 ミユキが知っている桜は、ソメイヨシノと八重桜と枝垂れ桜ぐらいだったが、タカは山桜と呼ばれる野生種の魅力を語った。

 「京都の吉野桜は山桜なんだよ」

 タカが急にミユキの方を向いて足を止めた。『一緒に京都に見に行こうか?』とか聞かれたら、ウンと即答しようとミユキは想像してしまった。

 タカは、ここが今晩の店です、と言いながらミユキをビルの入り口に先に通した。

 エレベーターに乗り、五階のボタンをタカは押した。ドアが閉まると、急に街の喧騒がなくなって静かになった。二人きりにということをミユキは改めて強く意識したことを悟られないように桜の話題に戻そうとした。

 「山桜は見たことがないかもしれない」

 タカは山桜の話を続けながら、ドアが開いたエレベーターから先にミユキを降ろした。

 店にはタカが先に入って、人数などを告げた。

 小さな個室は六人用のようで、二人には十分の広さだった。照明が暗めであることにホッとした。そこだけ明るく照らした掘りごたつのテーブルを挟んで向かい合わせに座って、ミユキもタカも生ビールを注文した。

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