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化粧咲き

【第1回】1

2016.07.29 | 篠原嗣典

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 土曜日の夕方のI駅の私鉄のホームは、男女がスイスイと並んで歩いて行くのが難しいほどに混雑していた。

 東京でも有数のターミナル駅のひとつなのだから当たり前なのだが、ミユキは歩きにくさに閉口していた。この時間にI駅を利用するのは二十数年振りなのだ。知っているつもりになっていても、田舎から出てきたばかりの人と変わらなくなってしまっていた。

 同窓会で再会した友人たちとタイムスリップした気になって、あの頃と変わらないと感じた魔法は駅の人混みでどんどん効果を失っていった。

 「やっぱり二次会まで出るんじゃなかった」

 ミユキは後ろに付いてくるヨウスケに聞こえるように、振り返らずに大きな声で言った。

 「えっ? 何? 聞こえなかった」

 ヨウスケは聞こえたけど、聞こえないふりをした。ミユキがふり返ることを期待したが、無言のままの競歩のような歩行は続いた。

 

 どうしてこんなにムキになっているのか、ヨウスケは不思議だった。

 別に女に困っているわけではない。誰もが知っている有名な一流企業で働いて、レインボーブリッジを見下ろす高層マンションの部屋に暮らす独身貴族だ。中年になってもお腹も出ていないし、顔はハーフか、クォーターに間違えられることがよくある濃さが適当に良い感じに老けて味になってきていた。下手すると自分の子供でもおかしくないような年齢のどちらも遊びと割り切っているステディもいるし、結婚というワードを意図的に避けることが暗黙のルールの十歳違いの恋人もいた。

 同い年のおばさんに必死になる理由なんてないはずだ。

 ミユキは高校三年のときの恋人だった。

 同窓会では、始めは距離を置いていた。ミユキから声をかけてくるまで、こちらから話すことはしないと決めていた。でも、二次会で席が近くなって、自然と話をしてしまった。

 卒業前に別れて、その後のミユキのことは全く知らなかった。話を聞けば、二十歳で妊娠して、結婚したけど、すぐに別れて、その後は一人で子供を育てたと笑いながら話をするミユキに、独身貴族でモテモテなんだとは言えなかった。

 気がついたら携帯の番号を交換していた。話を聞いてくれる男はモテる。ヨウスケはこの十年、この手で何人もの女性をものにしていた。携帯の番号を聞くのは、挨拶みたいなものだった。

 それでも、その時点ではミユキをどうこうしようという気は全くなかったのだ。

 二次会で帰るというミユキに、ヨウスケは俺は次も行くから、とさらっと話して、バイバイしたのだ。交換した携帯に連絡するかどうかも、特別に考えなかった。昔の恋人と再会できて楽しかった、で終わるはずだった。

 主婦でも出席しやすいという考慮で昼から始まった同窓会と二次会が終わったのは夕方だった。夜というには早すぎる時間だ。二次会で帰るという仲間が帰り支度を始めていたときに、アイツは現れたのだ。

 生理的に嫌いで、高校時代に一言も話したことがなかったアイツは、ミユキに近づき、親しげに話をして、携帯を取りだして電話番号の交換を始めた。

 離れたところから男友達と話しているように装って、ヨウスケは二人を見ていた。目が離せなかったのは、高校一年のときに二人が恋人同士だったことを知っていたからだ。

 校内で知らない者はいないというほど隠さずに付き合っていた二人のことをヨウスケは詳細には知らない。ミユキとは一度だけその話をしたが、喧嘩になりそうになったのでやめた。それはタブーになった。

 高校一年の有名な恋愛の後、ミユキは誰とも付き合わなかった。モテなかったわけではない。ミユキはかなりモテるほうの女子だったが、誰もがアイツのお古は嫌だと、大なり小なり思ったからブレーキをかけたのだ。ヨウスケもそんな風に考えた一人だった。

 好きになったと意識してから、アイツのお古という現実と戦った。苦悩するほど、好きだという気持ちが膨れあがった。告白する前にアイツのことをよく知っている友人に二人がどこまでの関係だったのかを聞いたし、ミユキ本人にもさり気なく聞いたりもした。

 友人は二人はそういう関係までいっていたと言ったが、ミユキは自分をバージンだと言った。ヨウスケはミユキの言葉を信じて、告白した。

 二人は付き合うことになったが、結局、ミユキの言ったことが真実かを確かめるまでに関係は深くならなかった。ヨウスケたちが高校生だった頃の恋愛では、それが普通のことだった。

 アイツとミユキの携帯電話番号交換は、なかなか上手くいかない様子だった。赤外線通信がスムーズにいかないシーンは、世代を証明するものだ。『中年が無理してんじゃねぇよ』とヨウスケは思わず笑ってしまった。

 「わたしとは、こういう運命だったんだよ」

 ミユキの声がして、アイツも笑ったのが見えた。

 ヨウスケは、そのまま二人の間に入って引き離し、アイツを殴ってやろうか、という感情を抑えた。突如、目の前が真っ赤になるほど強い嫉妬が芽生えた。

 トイレに行くふりをして、男友達と離れて二次会の店の外に出た。興奮して息が乱れていた。

 どんな運命なのか知らないし、笑顔で笑い合うのも、どうでも良かった。許せなかったのは二人が出していた親密な空気感だった。

 店の外に出ると、夕方になったI駅の西口の駅前はぼんやりと赤く染まって見えた。

 

 ヨウスケには、予感があった。

 同窓会の前に準備会と称した飲み会が盛んに行われた。卒業以来、二十数年振りの同窓会だからなのか、様子を聞くと楽しそうだったので直前の集まりにヨウスケも参加した。

 そこにアイツがいた。

 高校時代は一言も話したことがなかったのに、途中で唐突に横の席に来た。愉快なことではなかった。『話したいことなんて何もないのに、どういうつもりなのだろうか?』

 そういう自分の動揺を悟られないようにヨウスケは十分に注意しながら接した。それが出来る大人にはなっている自信があった。

 「ミユキと付き合っていたよね」

 冷えていない瓶ビールを小さなコップに互いに注いで、軽く乾杯しながらいきなり聞かれた。ヨウスケは、答えを用意していなかった。

 「卒業アルバムに二人で写っている写真があるから、そうなのかなぁ、と思ってさ」

 答えを待たずに、アイツは独り言のように話した。

 「俺もね。一年の時にミユキと付き合っていたんだ」

 そんなことは知っているとムッとしたが、ヨウスケは努めて平静に言った。

 「そうなの? 全然知らなかった」

 負けたくない気持ちが嘘をつかせた。アイツはニコニコしながら、ミユキは同窓会に来るのかなぁ、とのんきに言いながらコップのビールを飲み干して、自分でビールを新たに注いだ。

 嘘は嘘を呼ぶ。ヨウスケは、幹事からミユキの出席を聞かされていたが、知らないと答えた。そして、高校時代に校内で付き合った唯一の女がミユキで、付き合っただけではなく、ヤッタことがある女子もミユキだけだと馬鹿丁寧な嘘もついた。

 「へぇー。それは凄いね」

 アイツは全く凄いとは思っていない様子で感心したようなことを言った。

 『お前のそういうところが大嫌いなんだ』とヨウスケは心の中で毒づいて、呼ばれていないのに別の友人に呼ばれたようなふりをして席を移動した。

 同窓会では絶対に近づかないようにしようとヨウスケは心に誓った。

 

 「高校時代に約束したじゃん。卒業したらヤラセてくれるって」

 店を出て駅に向かって歩き出したら、いきなりヨウスケが現れた。待ち伏せしているとは夢にも思わなかったので、ミユキは驚いた。

 駅前の人がたくさんいる道路で、そんなことをいう神経にも驚いた。

 「三次会に行くんでしょう? じゃあね」

 ミユキは軽く手を振って、ヨウスケの言葉を冗談だとわかっていると、かわそうとした。

 忘れていたことをどっと思いだした。

 高校三年の時の恋人だったヨウスケと、確かにそういう約束はしていた。したいのに強引にはしてこないヨウスケを当時は可愛いと思ったりしていた。

 しかし、一般的に恋人ではなくなった瞬間にそんな約束の効力はなくなっているもので、冗談にもならないとミユキは少し笑ってしまった。

 「待って、待ってよ」

 ヨウスケは後を追ってきた。

 ミユキの職場と家はI駅から電車に約一時間ほど乗る駅にあった。一人で子供を育てている間にも、何度も用事があるたびにI駅には来ている。来るたびに変わっていく。ミユキにとって、I駅は住んでいる街から最も近い大きな駅であり、昔のような地元的なホーム感はなくなっていた。

 同窓会は楽しかった。一次会だけ出席するつもりだっったのに、その場で二次会に行こうと決めたのが何よりの証拠だった。楽しい気分を家に持って帰りたいとミユキは上機嫌だったのだ。

 「一時間だけでいいから」

 ヨウスケは必死になって、横に並んで説得にかかった。どうしても、ミユキとセックスをしないと駄目だと奮い立った。

 「高校時代の唯一の後悔なんだよ。成就させてよ」

 駅構内に入り、切符売り場に並んでも、ヨウスケはしつこかった。ミユキは無視をすることにした。そうすることで、冗談で済ませてあげようと思った。

 キップを買って、帰るのだという意志を明確にしたつもりだったが、ヨウスケもキップを買ってついてきた。

 ミユキは、こういうことになれていなかった。年相応のいい女なら、もっとスマートにあしらえるのかもしれないし、ひょっとすると一回ぐらいならとホテルに行くのもマナーなのかもしれないと考えてしまうほど不慣れだった。

 ヨウスケは、いけるかもしれないと考えていた。ポーズとして拒否するのは、大和撫子の恥じらいで、本心ではないと自分を励ました。

 ホームに入り、ミユキはどんどん奥に向かって歩いた。これ以上、しつこくされたら、こっちが高校時代に付き合ったことを後悔しそうだと言おうかと思ったが、こんな低レベルなことを言い合うのはもっと嫌だと思ってやめた。

 混んでいるホームを歩くのにも慣れていないから辛かった。

 思わず、やっぱり二次会まで出るんじゃなかった、と口に出していた。二次会に出なければ、ヨウスケとも話はしなかったはずだ。嫌みを込めても相手には通じなかった。

 ホームに電車が入ってきて、ドアが開いた。『電車に乗ってくる気なの?』ミユキは不安に思った。電車の中は逃げ場が少ない。かといって、ホームで二人で話しても無駄なような気がした。

 面倒くさいからエッチしましたと、少し前に職場の若い女の子が話していたことを思いだした。面倒くさいのは同じだが、そういうわけにはいかなかった。ミユキは子供が生まれてからセックスをしていなかった。バージンだった期間よりも長い期間していないのだと気がついたのは、ついさっきのことだった。

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