【第3回】八百留の話(1) | マイナビブックス

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迷宮へようこそ ~ホロ苦く、滑稽で、奇妙な七つの物語~

【第3回】八百留の話(1)

2016.08.16 | 武山博

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【第2回】八百留の話(1)


「あたしに商売のコツを教えろ、というのかね?」老人はわたしの顔をつくづくと眺め、苦笑いをするのでした。
広い日本座敷に、五人分の寝具が敷きつめられています。ポツンと、老人とわたしは取り残されたように、窓際の応接セットに腰をかけ、夜のとばりを通して聞こえてくる渓流の音に耳をすませていたのです。
当時、東京の隅田川沿いにある下町で、わたしは「お好み焼屋」をやっていました。いわゆる脱サラで、商売の経験がない上に、いささか安易に計画をすすめすぎたためか、思うように売り上げがあがらず、苦戦していたのです。
そんな時、隣町で、物日には行列も出来るという「もんじゃ屋」の噂を耳にし、出来れば、そこの経営者から繁昌の秘訣を伝授してもらえないものか、と願ったのでした。
けれど単刀直入にうかがうのも無礼千万な話で、あれこれ考えた末、その経営者が、ある飲食業者団体の地区の役員をされているということを聞き知り、その団体に入ることで縁が出来るのでは、と思いついたのです。早速、その仲間に入れて頂き、月に一回の例会へ顔を出させてもらうようにもなりました。
無論、その間も、腕をこまねいていたわけではなく、量を多くしたり、隠し味に工夫をこらすなどしてみたのですが、客足はさっぱり。気はあせるものの、ままよ、と表面上はのんびり機会のくるのをうかがっていたのです。組合に入って分かったことは、老人はすでに一切を息子夫婦にまかせ、悠々自適の人生を送っておられ、趣味の菊造りの腕前は、いくつかの品評会で入選をするほどだそうで、区主催の品評会での審査員もしているとか。住まいの屋上は、さながら植物園のようだ、と人の話です。
恒例の組合員親睦旅行が催されることになったのは、仲間に加わって半年もたった頃でした。いい機会と参加したのでしたが、バスに乗って驚いたのは顔ぶれが殆ど役員さんばかりで、新参の平組合員はわたしだけなのです。
ままよ、と度胸をきめ、車にゆられて行ったものです。宿の部屋わりは五人一室で、運よく老人とは相部屋になったのですが、大人数の中では、とても話を聞けるという雰囲気ではありません。残念ながら空振りか、とがっかりして宴会が終わり、部屋に戻ると、同室のお仲間が二次会へ出かける相談を始めていました。酒が飲めないわたしは遠慮したのですが、老人も健康のためと辞退し、結局、部屋にわたしたち二人が取り残されることになったのでした。
静かになった部屋で、わたしは茶をいれ、テレビに見入っている老人にすすめました。
「ああ」と老人は振り向きもせず、茶をすすっています。つぎ穂がなく、仕方なくわたしは「菊造りって、難しいものらしいですね?」と水を向けてみました。
「ああ、難しい」と、ふり向きもしません。
以前、中山義秀という作家の『厚物咲』という作品を読んだことを思い出し、愛好者同士の微妙なかけ引きもあるようですね、といったところ、テレビを消して老人はくるりとわたしの方へ身体を向けたのです。植物好きの青年と思ったのでしょう。
あんたさんも、なにかおやりかな? と目を細めます。いえいえ、と頭をかきました。
品評会の季節が近づくと、仲間たちが互いに様子をうかがいにくるんですわ、と老人は語りはじめました。勿論、いやあ、どうも今年は駄目だ、とかいって出来の悪いのを見せ、出品作品は隠しておく。敵もさるもので、うなずきながら信用はしていない。目をそらしていると、指先を土につっ込んで、どんな土をつかっているか吟味している、と笑います。菊造りの面白さ、難しさは、華そのものを愛でることもさることながら、そこへ到る過程が面白いのだそうです。
夏が終わると、品評会の終わる十一月末までは旅行などの付き合いは一切断って、生活を菊一本にしぼり込むとか。そんなわけで、この旅行会も秋季と冠をつけながら、十二月初旬になったらしいのです。なにが可愛いといって、尽しただけ華はちゃんと応えてくれる、それに比べ、人間はそうはいかない、と相好をくずします。
老人にとっての華の評価は、華を四とすると、その過程、その土壌など見えない部分を六と見るそうです。
現象だけに目を奪われてはいけない、ということは、なにやら商売にも共通してくるともいえそうです。
そこで、わたしは本題を口にしたのです。
初め、老人は、当惑したような表情で繁々と私の顔を眺めていました。そして真顔であることを確かめ、「さてね……」といいながら、席を縁側の椅子へと移したのでした。
わたしは、ある出版社の校正の仕事をやっていたことを正直に話しました。大学を出てから、しばらくの間、小さな劇団の演出部に籍をおいて、裏方の仕事をしていたのですが、とても食べて行けず、友人を頼って、辞典のリライト、整理、校正の仕事をもらって息をついていたのでしたが、劇団の主宰者が亡くなり、解散。いつの間にか、副業が本業になりました。けれど、本当は脚本家になるのが希望で、それには時間が欲しかったのです。その点、校正の仕事はわりと自由がきいて有難かったのですが、仕事の主体だった青少年向け名作ダイジェストのシリーズが終わり、リストラで解雇の憂き目にあいました。
時間が自由になる、これが飲食業の世界にとび込んだ動機なのです。といって、人づき合いが苦手で「スナック」向きでなく、調理の技術もないので、材料さえ揃えれば、あとは客まかせ、と今の商売を選んだ理由を語ってゆくうち、われながら顔が赤らんだものでした。それに、正直にと申しましたが、隠していたところもあります。というのは、商売を始めたのは家内がのり気だったからで、軌道にのってしまえば“髪結いの亭主”でいられるという魂胆もありました。秘訣を聞きたいというのも、家内の強い希望だったのです。
笑いながら耳をかいていた老人は、リライトとか、校正という言葉の意味が理解できず色々とくだいて説明したものでしたが、とにかく本造りの仕事に携わってきたということは判ってくれ、「ホーッ」と息をもらしました。多分、老人とは全くの別世界を生きてきたことなのでしょう。
しばらく目をつぶっていた老人は、「さてさて……」と口ごもるのでした。
わたしはわたしで、この色の浅黒い、鼻すじの通った、面長、金壺のような小さい目をした、筋肉質でやや大柄な、かわいい福耳をした角刈りの七十五歳の年寄りを眺めているうちに、結局、そんな秘訣なぞあるはずがない、という確信が芽生えてくるのでした。
まず不動産屋の口車にのせられて、安いが一番ととびついた場所の選定が失敗でした。調理技術がいらないという点も、安易すぎます。店の造作もあまり手をかけないですむ上に、現在、若い人に人気がある。なんといういい加減さでしょう。これで、客が入らないから知恵を拝借したいとは、あまりに虫がよすぎます。考えているうちに、われながら情けなくなる思いでした。

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