次の日は土曜日だった。俺はごみを捨てに指定のごみ置き場にいった。
すると佐和子もごみを捨てにきていた。これはチャンスじゃないか! びびっときた俺は彼女に話しかけた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
知った顔ではないが俺のゴミ袋を見て住人だと理解したようだ。
最高の笑顔で挨拶してくれた。
「あの、もしかして403号室の方ですか?」
俺はしらばっくれて尋ねてみた。
「はい。そうです」
「昨夜、大丈夫でしたか?」
「はい?」
笑顔が消え、怪訝そうな表情になった。
「あ、俺、503号室の山室といいます。昨日、下の部屋から咳き込む声が聞こえていて」
咳が聞こえるほどやわな建物ではないのだが、カマをかけてみた。
「あ、そうですか! ごめんなさい。うるさかったですか?」
大成功だ。彼女は俺の話を信じた。
「心配しました。救急車どうしようかって」
ウソ八百。でもこれが意外に効いた。
「そんなに! でも、ありがとうございます。私、最近調子がすぐれなくて」
そりゃそうだろ。あんな部屋で無事なわけがない。
「困ったときはお互い様です。なにかあったら、僕でよかったらいつでも連絡ください。
僕も一人暮らしで……。急病のときとか不安だから」
そういって優しく俺は笑った。
もともと一人暮らしで心細かったところに、原因不明の体調不良。そこに優しく気遣ってくれる男性登場。イケメンでなくとも、いや、イケメンでないからこそかえって安心したようだ。とりあえず俺たちはラインでつながることにした。
やるじゃん俺! なんか急に世界が広がった。隠れてコソコソしていた自分がウソのようだ。
すごいよ。あんな美人によろしくお願いしますなんて言われて。笑顔で見つめてもらって♪ 生きていてよかった! 夢ならさめないでくれ!
と、興奮しきりだったが、頭にあの紫色の腐乱死体が浮かんだ。
「……」
どうすっぺ、俺。
* *
その日の夜、俺の部屋のベルが鳴った。
ドアを開けると青ざめた顔で佐和子が立っていた。
俺は彼女をベローチェに誘った。彼女は暖かいココアを頼んだ。震えていたからだ。
その震えは寒さじゃないだろう。俺は思ったが黙っていた。
「どうしたの? 大丈夫?」俺は優しく尋ねた。
「あの……へんなことを言うかもしれないけど。聞いてくれますか?」
俺はいよいよ魔物が暴れだしたのだと予感した。
「お金は貸せないよ。貧乏だから」
俺はわざとおどけて言ってみた。
「あはは。違います」
彼女は少し笑った。ほっとしたようだ。
「実は……両親に元気でやっているってメールしようとして」
「メール? 親孝行だね」
「で、自分で自分を撮ったら……」
そういって彼女はスマホをとりだした。そしてその中に保存されている写真を俺に見せた。
そこには彼女の顔が写っていたが、目は真っ赤で肌は見るも無残に緑色だ。腐った桃に緑のカビがびっしりはえているようかのように。俺は思わず立ち上がってしまった。
「こ、これ!」
「どう思います? 頭痛や咳もひどくなるばかり。お医者さんも原因はわからないって」
彼女は頭を抱え込んだ。俺はスマホをかえし、座った。
「いや……実は、俺も最近体調が優れなくて……」
ウソ八百。いや千六百。
「気になって不動産屋に行ったんだ。そうしたら自殺があったって」
「え?」
「その……君の部屋で……」
彼女はがっくりと頭をたれた。
「やっぱり……。変な夢ばっかりみるんです。最近」
「そうか……」
これはそうとう危険なレベルじゃないか。もう時間はないと思った。
帰り道、俺は尋ねた。
「今夜、どうする?」
「え?」
「寝られる?あの部屋で……」
聞いた以上、戻るのも嫌になる。
「そうか……」
「俺が一緒に泊まろうか? なんて。その方が怖いか」
彼女は笑った。
「とにかく、俺の部屋のお札をあげるよ」
「え?」
「言っただろ。俺の部屋も変なんだ。だから」
「だって! それじゃあなたが!」
「いいんだよ、俺は。君さえ無事なら」
決まった。決めちゃったよ俺。彼女は潤んだ目で俺を見ている。
王子様登場だ。
「じゃ、今夜だけ一緒にいてくれますか?」
うおおおおお! よっしゃあ! 亡霊様様だあ!
「わかったよ。必ず俺は君を守る」
「山室さん!」
* *
俺は佐和子の部屋にあがりこんだ。胸を張って堂々と入った。
「汚いところですけど……。すみません」
「いや、綺麗にしてるね。さすがだね」
俺は女性の部屋は初めてだという顔をした。あの白いタンスの上から二番目の引き出しに彼女の下着が入っているなど口が裂けてもいえない。
「紅茶しかないんですけど……」
「あ、おかまいなく」
俺は自分の部屋から持ってきたお札をかざした。特に何も変化はない。
「どうですか?」
「大丈夫そうだね……」
と、言ったとたん、お札が謎の発火をおこし燃えてしまった!
「うわ! 熱!」
俺はお札を手放した。彼女はあわてて持っていた紅茶をお札にかけた。
「……」
火は消えたが俺たちも動けない。二人、顔を見合したまま蒼白になった。
その時だった。なにか聞こえる。女の声だ。けど佐和子は黙っている。
「……さい」
「え?」
俺は彼女を見た。やはり黙っている。
「……ください……ください」
なに? ください? 小さい声でそう聞こえる。くださいってなに?
「助けて……くださいってこと?」
佐和子がつぶやいた。いや違う。違うよ。そんなニュアンスじゃない。
もしかして……。
「命をください……」
はっきりそう聞こえた! そのとき、俺たちは急に息が出来なくなった。
「はう! げこっ! かっ!」
ふたりでもがいていたら、俺たちの首に髪の毛が巻きついている!
その髪の先にはあの腐乱死体が首をつっている。あいつの髪が俺たちの喉を締め上げているのか!
「うぐぐぐ!」
俺と佐和子の意識が薄れてきた! マジやばいぞ!
その時、ラップ現象か! ポルターガイストか! 玄関ドアが思いっきり叩かれた!
ドンドンドン! ドンドンドン! そしてドアがいきなり開けられた!
「大丈夫ですか!」
不動産屋のおやじがお札を持って入り込んできた。
おやじ。ぐっどじょぶ。おやじが来なかったら俺たちは生きてなかっただろう。
「いや。私も斡旋した責任がありますので。はい」
おやじには何も見えなかったのか、それだけ言うとお札を置いてそそくさと帰っていった。
虫の知らせってやつかな。とにかくその夜は新たなお札パワーで何事も起こらなかった。
次の日だった。
ちょうど日曜日だったので俺たちは不動産屋に駆け込んだ。昨日のお札がけっこうイケているんで、もっともらいにいこうと場所を教えてもらいに来たわけだ。おやじは快く教えてくれたが一緒に行こうとはしなかった。
で、教わった場所に行ってみた。とある神社だった。俺たちは神様の水で手を清め、口をすすぎ、一礼して境内にはいった。祈祷所で神主さんに訳を話し、御祓いをうけようとしたのだが
「ちょっと。へんなものもちこまないで」
神主さんは佐和子のエルメスのバックを指差し俺たちをとがめた。
「え? ブランド物はだめですか?」
「違うよ! その中! 禍々しい邪悪なものがいる」
「……」
「多分、スマホの写真じゃねーか?」
俺はそっと耳打ちした。そこで彼女はスマホをとりだした。
「やめなさい!」
神主さんはあとずさった。
「無理! 私には無理だ!」
そういうと神主さんは逃げだした。
「おいおいおい! なにそれ!」
俺は神主さんの背中に問いかけた。
「もっとすごい人を紹介する! もう出て行きなさい!」
「ど、どんだけ?……俺たち」
俺たちの不安は最高潮に達した。