【第05回】4 | マイナビブックス

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星の流れに 風のなかに 宇宙の掌に

【第05回】4

2016.06.14 | 澤慎一

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翌朝、僕たちは新宿駅で別れた。
「また、会いたい」
別れ際に、リノアはそう言った。穏やかな光が、リノアの目に広がっていた。
しかし、その後、リノアに何度かメールを送ったが、彼女からの返事はなかった。病院に手紙を送ったが、やはり返事は返ってこなかった。
一週間が過ぎ、二週間が経った。リノアからは何の返事もなかった。リノアから返事が来ないということは、彼女は僕に会う意思がないということなのだろうか。思い出したくない過去の体験を話してしまったことを後悔しているのかもしれない。僕は不安な気持ちでいっぱいだった。そんな時、僕は富士浅間神社のことを考えた。そこの音楽ホールで、リノアの歌を聴いてみたい。そんなことを思いながら深夜、ひとり東中野のアパートの壁にもたれてリノアの手紙を読み返した。僕の手もとに残ったのは、拘置所に届けられた九通の手紙だけだった。それが、この世でリノアと僕を結ぶ唯一のラインだった。
あのころ、一度も会ったことがないのに、僕たちは互いを必要とし、求めあっていた。互いの存在を確かめあうことで、自分を保つことができた。これを書いた時のリノアの気持ちは、もうどこかに消えてしまったのだろうか。今ごろ、リノアは病院でどんなことを思っているのだろう。できたら、病院にまで行きたかった。でも、僕はその気持ちをおさえた。僕は、ただ待つだけで何もできなかった。

僕は、ただひたすら東京の街を歩き続けた。都電に乗り、気まぐれに降りて喫茶店に入り、バスに乗って知らない停留場で降りて、再び歩き続けた。
下町を歩いていた時、仕舞屋風の家の軒先で風鈴が心地よく鳴り響いていた。僕は目を閉じて耳を澄ませた。塀のない庭には紫陽花が可憐な花をつけていた。水色や白、ピンクの花が、星の形をして咲いていた。僕はそんな何気ない風景を見ながら、歩き続けた。
川に沿って歩き、橋を越え、坂を上り、坂を下った。どこにも行くあてはなかった。ただ、歩き続けた。
僕は時々、リノアの透明な視線を思い出した。リノア自身、僕の顔を見つめながらどうしていいのか、わからない様子だった。
僕もどうしたらいいのか、かわからなかった。リノアは本当に、この世に実在しているのだろうか? 手紙だけが、ふたりを結ぶ確かなものとして残っていた。そこに書いてあることに嘘はなかった。しかし、人の心は移ろい変わってゆくものだ。その時の想いは、もうどこにも残っていないのかもしれない。風のように通り過ぎていったのかもしれない。
僕は、死んだ明日風に語りかけた。
――なぜ、生きなければならないのだろう――
僕には、ビルの屋上から飛び降りる勇気も、度胸もなかった。
僕は、誰とも口をきかなかった。話す人はいなかった。行くところもなかった。
風が橋の欄干に腰をかけて、来るはずのない人を待っていた。僕は風に話しかけた。風は微笑するばかりだった。僕は風の輪郭に触れようと目の前の空気を手でさっと切った。その切り口から白い笑みがこぼれた。

リノアを忘れようと思ったのは、六月の終わりだった。日曜日だった。朝から雨が降っていた。部屋にひとりでいる気にもなれず、僕は新宿に出かけた。喫茶店で窓ガラスに伝う雨の滴をぼんやり見ていた。僕は携帯電話をテーブルの上に置き、来るはずのないリノアからの連絡を待ち続けた。
雨が白く濁りながらアスファルトを激しくたたいていた。僕はリノアと西新宿のホテルで泊まった夜のことを、思い出した。
「……おかあさん」
リノアは、あどけない寝顔でそう言った。雨が伝う暗闇ガラスの向こうに、リノアの透き通った目が映っていた。目を閉じると、雨の音に混じって、リノアの静かな泣き声が聞こえた。リノアの涙が澄んだ水となって、僕の中にふりそそいだ。
――生きてやる。けれど、職は見つからず、リノアにも会えなかった。
僕は〝CLUB MISTY〟で、久しぶりにミユキたちに抱かれた。綺麗で美しい、いろんな女の子たちが僕の身体の上を通り過ぎていった。ミユキたちと白く、やさしい時間を過ごしながら、僕はリノアのことを想い続けた。いったい、自分でも何をしているのか、まるでわからなかった。自分が生きているということ。その理由を、見つけることができなかった。あふれるような想い。人間らしい感情。心からの歓び。僕には何も見つけ出すことができなかった。

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