【第02回】1 | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

星の流れに 風のなかに 宇宙の掌に

【第02回】1

2016.05.10 | 澤慎一

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
さみしさは透き通る薄い紫の風です。

リノアが手紙にそう書いていた。

私は病室の窓から、そんな風をいつも見ています。
風は子どものように窓をたたいて私を呼びます。
私は窓を開けるのを少しためらいます。
けれど、やはり開けてしまいます。

そんな詩篇のような文章が綴られていた。僕は、真っ白な陶器を見つめているような気持ちになった。透き通る薄紫の風が、僕にも見える気がした。

窓を開けて、私は風をそっと抱きます。
風を抱くと、私の身体も風と同じように透き通ってゆきます。
私はいたたまれなくなって病室を抜け、冬の庭に出て空を見あげます。
枯れた桜の木の下で空を見あげていたら、
針のような細い枝のまわりに、薄い光が笑っているのが見えます。
暖かなオレンジ色の光が好きです。
いつも影ばかり見つめがちだから、そんなやわらかでやさしい光にひかれます。
私はそんな光に手を伸ばします。
指先には何も触れることはできないけれど、ほんの少し春の気配が感じられます。
明るい光の中にいると、気がついたら、私の頬は薄い紫色にぬれています。

細いペンで綴られたリノアの美しい文字を見ながら僕は、彼女はどんな女性なのだろう、と思いを巡らせる。まだ、顔も年齢もわからない。知っているのは、御茶ノ水の総合病院の精神科に長い間、彼女が入院していることと、彼女の名前だけだ。彼女と僕をつなぐ糸は、そもそも初めから何もないのだ。

リノアから最初の手紙が届いたのは二月の始めだった。上品で淡い色の便箋に、草のつるのような美しい文字が綴られていた。便箋は銀座の鳩居堂や伊東屋で売っているような優美な絵柄が織り込まれていた。
リノアの文章は、僕の琴線に触れるような透明な響きがあった。行間から清楚なさみしさが漂っていた。霧にひっそりぬれたような、冷やりとしたさみしさ。そのさみしさは、リノアの手紙から抜け出して、この部屋いっぱいに広がって香った。僕は呆然と目を開き、冷たいコンクリートの壁にもたれながら鉄格子を見上げ、宙に浮かぶリノアの香りの端を探した。
僕は、東京拘置所の一室にいた。ここには何もなかった。携帯電話は取り上げられ、公衆電話もなく、パソコンもない。外の世界と接触することができるのは手紙だけだった。電子の情報が氾濫するこの社会で、リノアと僕と結ぶ糸は、もう死語となってしまった文通だった。

「リュウジ、彼女がいるのか? 俺にも読ませてくれよ」
源さんがリノアからの手紙をのぞき込むそぶりをするが、無理に手紙の内容を読むようなことはしない。背中の龍の刺青が見事な源さんは、薄い毛布に包まって寝転がりながら、外国人マフィアのLeeさんに、網走刑務所で見たダイヤモンドダストは一生忘れられないな、という話しをしている。
「風のない寒い朝、空気の中の氷の結晶が太陽の光を浴びてキラキラ輝くんだ。薄いピンク色に光ったり、白く輝いたりして、ほんとうに綺麗なんだ」。強面の源さんがうっとりした目をする。
ダイヤモンドダストという言葉が、僕の空想の翼を膨らませた。夜曲の終わりのような、寒さに震える黎明に、まるで星明りの微かな輝きのように空気中に散りばめられたダイヤモンドダスト。氷柱に光が当たるように七色の光を放ち、水晶の雫のような微粒子となって冷たい大気を突き破る。繊細なガラスのような透明な響き。
だが、そんな空想はたちまち現実の世界に戻される。ドスで刺したままだったらまだ弁解の余地はあるけど、腹に突き刺してグイとひねったら裁判で不利になるなとか、裁判官に暴言を吐いたので刑が一年延びたとか、自転車を盗み、検事に向かって「あれは落ちていたんだ」と言い張って起訴されたとか、刑務所から出所したものの身よりもなく、働く場所もなく食べるものがなくてどうしようもなくて食い逃げし捕まったおじいさんの話や、ヤク中で愛人の首を日本刀で刎ねたヤクザの話……つまりは、拘置所でのいつもの会話が続く。
ここは寒かった。開けっ放しの窓から雪が部屋に舞い込んでいた。ここは人間をゆるやかに破壊するための施設だった。僕たちは静かに合法的に抹殺されていた。毎日冷えた揚げ物ばかりで胃を壊し、食事をとることができないようになり、何もすることはなく、ずっと寝たきりなので背中にできものができ、身体が少しずつ変形し静かに壊れていった。
閉塞した環境の中に押し込められ続け、陽の光が差しこまない檻に閉じ込められ、空を見ることもなく、精神を徐々に蝕まれていた。ここにいるのは「クズ」どもだった。社会に適応できない者たちが集まっていた。そして、僕もそのうちの一人だった。
二ヶ月以上も狭い場所に閉じ込められていると、日記を書いたり、本を読んだりする気力が完全に損なわれてしまった。どんな情熱も、やさしさも、人間らしい感情も、僕にはもう心の底から沸き起こってくることがないように思われた。僕の心は石のように硬く、そして、動かなかった。
ここは、夢や希望を持てない世界。自由に人に会いに行くことはできない。電話をすることも、メールをすることもできない。会いたい人がいても、心の中で、その人のことを想うだけだ。僕は、じっと、目を閉じた。瞼の裏にひとつの光景が思い浮かんだ。
二年前の二十六歳だったころ、ミャンマーで子どもたちに日本語を教えている友人を訪ねに行ったことがあった。突然に近くの村で内戦が始まった。軍政府と、自治権の獲得を目指す民族との戦いだった。初めて聞く銃声の凄まじさ。轟き。僕は胸をかきむしられた。ただ、恐怖で僕は震えていた。足がすくんだ。どこにも逃げる場所はない。自分が生きるためには目の前の敵を殺さなければならない。そんな体験をしたのは、初めてのことだった。
軍は無抵抗の村に砲弾を撃ち込み、すべてを破壊し、焼き尽くす。逃げ惑う人々。やがて戦火が収まり、人々が生活に必要なものを取りに村に戻ってくる。その時、彼らを襲う悲劇。あちこちで炸裂する地雷。手足が吹っ飛び、両目を失明した人々。僕の目の前を横切る、マシンガンを抱えた少年兵。その正義心に満ちた美しい顔。恨みと憎しみの連鎖。毎日が、生きることを実感する連続だった。
日本では感じることのできない感覚だった。そして、僕は終わりのない戦争の目撃者になることしかできなかった。僕が後に記者になったのは、その体験があったからだった。書いて、誰かに伝えること。それ以外に、僕ができることはなかった。
夜、皆が静かに寝静まった拘置所の中で、真っ暗な天井を見上げながら、あの少年兵のことを、僕はぼんやり考える。彼には一度でも安心して眠れる夜があったのだろうか。少なくとも、この拘置所では、ミサイルや銃弾が降ってくる心配はなかった。夜は安心して眠ることができた。ここはまだ幸福な場所だ。
看守の足音がコツコツと冷たく響いてくる。看守の見回りだ。看守が近づいてくる気配を感じ、僕は目を閉じた。眠たくもないのに、目を閉じていなければならない。

警察署の留置所で取り調べを終え、刑事裁判を待っている者たちが収容されている場所。それが今、僕のいる拘置所だった。ここにいる者はまだ刑が確定していない、中途半端な立場にいる人たちだった。
刑務所に行くことが分かっている者、凶悪なことをしながら「死刑になどなるものか」と平然と笑っている者、あるいは絶望感に打ちひしがれて青白い顔をしている者、神経質な子犬のようにキャンキャン吠えながら無実を訴えている者、刑務所に行くことはヤクザにとっては東大に行くようなものだと自慢する者、検事や刑事の一方的なやり方に憤慨する者……。そんな者たちが寄り集まっていた。
これまで僕は普通の人よりも特殊な体験をしてきたと思っていた。だが、この拘置所もさらに特殊で不思議な場所だった。話題と言えば検事の態度がどうだとか、犯罪の手口や残された家族や恋人のこと、自分の罪の重さや人生の重さ、絶望と希望が入り乱れ、毎日が波乱に満ちていた。ここでは全員が家族になっていた。ここにいるというだけで生まれてくる不思議な強い絆があった。
檻の中には八人の男が同居していたが、うまく共同生活を送っていた。言い争うことも、殴り合いの喧嘩になることもない。みんなが家族になっていた。ふるさとからの便りにみんなが涙を流すこともあった。
バレンタインデーの日にはチョコレートパンの差し入れがあった。いい年をした大人の男たちが大喜びをしていた。チョコレートパンの差し入れに、人を殺めてしまったヤクザも同じように喜んでいた。誰もがささやかな愛情に飢えていた。
ここには児童を誘拐して殺害した者もいる。彼は二十代後半の痩せた青年で口数も少なく笑うこともないが、見た目は普通の感じの青年だ。
テレビや新聞、週刊誌で報じられる犯人像は、まったく何にも描いていない。千枚を読まなければ感じられない小説を、たった一行で説明しているようなものだった。
どんな凶悪犯人も、普通だった。普通に笑い、挨拶して、食事をする。だが、罪を聞けば、驚くような者ばかりが詰め込まれていた。一瞬の悪魔が、心に宿ったのだ。僕たちはガス室のような場所に固く閉じ込められても、言い争うこともなく互いに協調しあい、相手を思いやりながら普通に生きていた。どうして外ではできなかったのか。要領の悪い者たち、そして、あらゆることに敗れた者たちの寄せ集まりだった、ここは。

「美形だな。背は高いし、シャバではもてただろう」
源さんが僕の顔をまじまじと見ながらそう言った。
背は決して低い方ではないし、痩せてはいるが骨格はしっかりしていた。風俗のボーイやホストまがいのバイトをしたことがあり、女の子から誘われることも少なからずあった。背が高くてほっそりしていて、顔立ちが鋭く端正だと女の子から褒められたことがあった。シニカルな眼差しで、暗い翳りのあるところや、危うさと脆さを併せ持つことが母性本能をくすぐると言われたことがあったが、自分ではあまりよくわからない。
とにかく、ここは寒かった。人間の垢の臭いがする薄い毛布をかぶり、その寒さに耐えていた。
「リュウジは、人を殺ったことがあるか」
源さんが凄みのある真剣な眼で言う。
「ない」と、僕は答える。
源さんは忌まわしいものを思い出すような、暗い眼をしながら、
「一瞬、死の恐怖が相手の眼に浮かぶんだ。天国なんて、本当にあるのか。本当にあったら、あんな眼はしねえ」
新宿でヤクザ同士の大きな抗争があり、源さんは相手の組のヤクザを殺した。源さんは相手の組からも警察の手からも逃げ続けていたが、とうとう捕まってしまった。
「シャバにいるより、ここにいる方が安心できる。夜はゆっくり眠れる。銃に怯えなくてもいい。ここ何年も、ずっと眠れなかった。ヤクザにとっちゃ、刑務所は東大に行くようなものだ。ここに入ることがエリートなんだ」
源さんは深く皺が刻まれた浅黒い顔でニヤリと笑った。
僕はここに来るまでヤクザと関わったこともなく、話をしたこともなかった。確かに彼らは怖い人種の人たちなのかもしれない。だが、素の表情を見ている限り、ごく普通の人間だった。普通の人間と違うところは、心が乾いているということ。愛されたことのない渇きだ。本当の家族愛を知らないから、ヤクザの世界に擬似の家族愛を求めているように僕には思えた。

ここにいる多くの者たちは、面会に来るような家族はいない。
友だちもいない。静かで透明な青い孤独をひしひしと感じる。
この鉄格子の中では、その青さが心に沁みてくる。
誰もが心の根底で、〝女神なるもの〟を求めていた。誰かと繋がろうとしていた。〝女神なるもの〟を求めながら世界と繋がろうとしていた。今、僕にとっての〝女神なるもの〟は、リノアからの手紙だった。
リノアとは、文芸雑誌を通して出会った。拘置所で僕は『あした風』という短編小説を書いた。去年の暮れだった。年が明けて文芸雑誌に掲載され、さらにネットでも紹介された。それを見たリノアが出版社を介して僕に手紙を書いて寄こしてくれたのだ。
『あした風』という短編は、死んだ元カノのことを書いたものだった。元カノは、〝あすか〟という名前の女の子で、漢字で〝明日風〟と書いた。
明日風は二十六歳で、西新宿の高層マンションから飛び降りた。去年の秋のことだった。COCCOの歌が好きな女の子だった。子宮筋腫で子どもを産めない身体になっていた。強がってはいるが、とても寂しがり屋の女の子で、「死ぬ時は白い薔薇に囲まれたい」と言っていた。幼いころに両親は離婚し、彼女が十八歳の時に父親が戻ってきたが、その父親は次の年に病気で亡くなった。
短編は、そんな彼女の過去を振り返って書いたものだった。飛び降りる前の十五分前はどうしていたかとか、一日前はどうだったとか、三ヵ月前は、一年前は、五年前、九年、十五年……と彼女の人生の断面のひとつ一つをすぱっと切り取ったような文章を書き連ねた。
小説の最後で僕は、明日風に呼びかけた。
〝君がその命と引き換えに飛び降りながら最後に感じた風は、君にやさしかったかい?〟
〝君は、あした吹く風のために、本当の風になったのかい?〟
僕の記憶の中で、明日風は細い光のように、ただ微笑むばかりだ。

なぜ明日風とリンクしたのか、わからない。二人とも、どこにも自分の居場所がなかった。
行きたくもないところに行かされるだけだった。自分が行きたいところには行けなかった。怒鳴られるだけ、都合のいいように使われ利用されるだけの人生。自分の価値などどこにも見出すことができなかった。型にはめられるだけ、強要されるだけ、心は抑えつけられられ悲鳴をあげていた。

何も考えないことを要求される。思ったことが言えない。おかしなことを見ても感じても、それをおかしいと思う感情を壊さなくてはならなかった。次第に、僕は何も感じられなくなってしまった。心というものを持たなくなってしまった。僕は誰とも口がきけなくなっていた。会社でも誰ともしゃべらなかった。生きている喜びもなければ実感もなかった。
明日風は、そんな僕を理解してくれる唯一の人だった。僕も、明日風に対してそうだった。明日風と抱き合っているだけで、僕は生きている自信を取り戻した。彼女も同じだったと思う。

風のように微笑し、僕から去っていった明日風。彼女を失い、僕の中であらゆるものがむなしく過ぎ去った。僕は生きている価値を失い、奈落の底であがき続けた。誰も自分を必要としていないし、誰も必要としていなかった。どうせつぶれるのであれば、自分を主張してみようと、思った。一度くらい、本気で闘ってみよう。そう思った。僕はまだ、一度も真剣に闘ったことがなかった。ごく、あたりまえのことを、ごく普通に感じることを主張した。脅迫したわけでも強要したわけでもない。自分が言いたいこと、おかしいと思うこと、汚いと思えること、伝えたいこと、言わなければならないことを、百%主張し、そして僕は逮捕された。

拘置所で、リノアの手紙を読んだ時、自殺した明日風のことを思い出さないわけにはいかなかった。リノアは、僕の短編を読み、僕に手紙を書いてくれた。リノアから届いた最初の手紙の書き出しには、

さみしさは透き通る薄い紫色の風です。

と書かれていた。
まるで詩篇のような文章が連なっていた。冷たいコンクリートの壁と鉄格子の中で、透き通る薄紫色の風が、僕にも見えるような、そんな気がした。

僕はリノアに返事を書いた。美しい手紙を、どうもありがとう、という内容だった。

十日後にリノアから二度目の手紙が届いた。

……お返事をいただけるとは思いませんでした。どうもありがとうございます。
私は精神科に入院しています。もう、この病気との付き合いは長いです。
〝明日風〟の小説は、今の私に共鳴するものがありました。なぜなら、私も、命と引き換えに最後の風を感じようと思っているからです。
私は、今年の七月に二十四歳になります。昔からなぜか二十四という数字に憧れていました。綺麗な数字だな、とそう思っていました。一年、春夏秋冬の四季を、さらに六つに分けた二十四節氣という季節の表し方が、とても美しくて好きなのかもしれません。
二十四歳の誕生日に、私はビルの屋上から風になることを夢見ていました。透き通った薄紫色の永遠の風になることです。
もうずいぶん昔から、私のあらゆる感情も透き通ってしまって、心からいろんなものがこぼれて流れ出てゆきます。心の中にある私の歌がからっぽになってしまう前に、私は二十四歳の誕生日に永遠の風になることを夢見ていました。ビルの屋上から、白い翼を広げて空に出てゆこうと思っていました。

そんな文章が並んでいた。そして、手紙の最後に、彼女は〈追伸〉として、こう書いていた。

私は白ではなく、赤い薔薇に囲まれたいです。死ぬ時は。
リノア


リノアは二回目の手紙で、自分が精神科に入院していることを告げた。差出人の住所には、御茶ノ水にある総合病院の名前が記されていた。
彼女が病院に入院していることを知っても、僕は彼女の病名を聞くつもりはなかった。リノアが自分から言い出さなければ、彼女が精神科に入院していることを、僕は知らずにいただろう。
きっと、リノアは、自分をあるがままに受け止めてくれる人が欲しいのだろう。精神科に入院しています、と記して、それで拒絶するような人なら、仕方がない。彼女はそう思っているのかもしれなかった。
自殺した明日風も、精神科にかかっていた。本や楽譜が読めない、とそう言っていた。文字や音符が本から浮き出てきて、ぐちゃぐちゃになってしまうから、文章も音符も読むことができないのだ。それは、抗うつ剤の副作用によるものだろう。彼女は、どこにも行き場のない、愁いに満ちた目をしていた。助けを求めている目だった。自分の中でもがき、苦しみ続ける彼女を、僕はどうすることもできなかった。

そして、明日風は死んでしまった。明日風はまだ、僕の心にいる。その想いが、リノアを呼び寄せたのかもしれない。目に見えない透明な糸の絡まりのようなものが、リノアに向かってすっと細く伸びていた。何かがふたりを引き合わせた気がした。
僕もリノアと同じように、あるがままの自分を、リノアに伝えようと思った。僕はリノアに返事を書き、自分が拘置所に入っていることを告げた。

「明日風の小説は、拘置所で書いたものです」と、僕は彼女に告白した。

一週間後に、リノアから三通目の手紙が拘置所に届いた。拘置所では検閲や手紙の発送日が決められている。手紙を書いて相手に届くまでに一週間ほどの時間がかかった。

リノアからの手紙が届く。

……拘置所は寒いですか? 身体には気をつけてください。
前に、二十四歳の誕生日にビルの屋上から鳥になろうと書いたこと。初対面の方なのに、そんなことを書いてごめんなさい。
今、私にはぼんやりながらも夢があります。それは、音楽療法士になることです。音楽を通じて福祉施設や病院での仕事に就きたいと考えています。
音楽と最初に出会ったのは三歳のころです。父が厳格な人で、たくさんの習い事をさせられましたが、そのうちの一つがピアノだったのです。小学生のころ、学内の合唱コンクールで合唱の伴奏をしていました。私は引っ込み思案でしたが、音楽を通して自分を素直に外に向かって出せるような気がしました。そのうち、合唱団の友だちから、「歌を歌ってみたら」と言われて、少し歌を歌うようになりました。楽器を通してではなく、ピアノで感情を弾くよりも、自分の身体そのものを楽器にして奏でることの方が、より自分を素直に出せるように思いました。そして、私はだんだん歌に興味を持つようになりました。
中高一貫の女子校に進み、そこで私はコーラス部に所属しました。歌を歌っていると、素直な気持ちになれるし、みんなの中に溶け込めるようにもなりました。歌にもたれていると、とても心地よくて、とてもやさしいのです。
そんな私が音楽に秘められた本当の力を認識したのは、母がウイルス性脳炎で突然に倒れた時のことでした。高校二年生の時でした。手術をしたのですが、母の意識が戻ることはありませんでした。母は病院のベッドの上で秋風みたいに透明になって眠り続けていました。そんな母に、母が好きな音楽を流したことがきっかけでした。母のまつげがぴくんと反応したのです。時には瞳を開けたまま涙を流すこともありました。音楽に秘められた不思議な力を実感しました。母はちゃんと生きている、とそう思いました。身体を動かすことができないだけで、母にはちゃんと聴こえている、ちゃんと感じている、そんなふうに思えるようになったのです。母の入院生活は一年にも及びました。
母が、このまま死んでしまったらどうしよう。毎日そんなことを考えていると、学校に行けなくなりました。自分で自分の感情をコントロールできなくなりました。母はそのまま、意識を取り戻すことなく亡くなりました。

母が亡くなってから、私は自分自身のバランスを保つのがむずかしくなりました。生きてゆく気力を無くし、気持ちが塞ぎこむことが多く、何をする気持ちにもなれなくて、そこで私は精神科に初めて連れてゆかれ、最初にもらった薬を全部飲んでしまいました。それで、私は入院することになりました。父は厳しい人だから、私が弱いからだと決め付けました。仕事ばかりの人で、家政婦を雇い、家族のことはあまり振り返らない人です。
高校は何とか卒業したものの、私は進学することも就職することもなく、かといって家にも自分の居場所はなく、卒業してから半年間、病院にいました。日にちの感覚も、何も感じることなく、ただぼんやり過ごしていました。
一度、退院して就職したのですが、調子が良くなることはなく、また病院に戻ってしまいました。そんなことを、ここ何年も、何度も繰り返しています。そのため、なかなか仕事が長続きしません。
ごめんなさい。暗い話になりましたね。
母が死んでからもう六年が過ぎました。私は自分の人生を、ちゃんと生きたい。そう思っています。
歌だけは、私といつも一緒にいました。歌は、自分さえいれば音楽を奏でることができるからです。喜びを分かち合い、悲しみを分かち合い、私はいつも歌と一緒にいました。私には歌しかありません。歌うことで、いろんな人の心に会いに行きたい。誰かの心に響く歌を歌いたいのです。こんな私でも人の心に響かせることができたって、そんな歌を歌いたいのです。綺麗な歌を歌いたいのです。そして、私と同じように苦しむ人たちの力になりたいのです。音楽の力を伝えることで、石のように硬くなった母の感情を蘇らせたように、歌の素晴らしさを伝えることで、他者と私自身を救いたいのです。だから、音楽療法士になりたいのです。
夜、静まりかえった病室にいると、私は富士山の麓にある音楽ホールのことを思い出します。高校のコーラス部の夏合宿は、いつもそこで行われたのです。そこの音楽ホールは青いステンドグラスが素敵で、響きがとても美しいのです。もう一度、あのホールで歌ってみたいです。ホールの近くには富士浅間神社があります。古くて厳かな神社です。境内は大きな杉に覆われ、昼間でも薄暗いのです。あたりいちめんに、水を含んだ杉木立の匂いがたち込めていて、深い森の、何とも言えない、いい香りがするのです。その神社は、富士の雪解け水が地中の水脈をたどって、初めて地表に出るところでもあるのです。合宿で私たちは毎朝、龍の口から湧き出るその霊水で手を清めて、喉を潤してから発声練習をしていました。澄んだ空気を身体いっぱいに吸い込むと、心も身体も浄化されるのです。
あの神社にも、もう一度行ってみたいです。

僕は、このリノアの手紙を何度も読み返した。朝霧がたち込める富士山麓の樹海の清浄な香りが、僕の想像の上にのぼってくる。僕は静かに目を閉じる。冷たい鉄格子とコンクリートの箱に閉じ込められても、僕の魂は冷たい拘置所をぬけて、富士山麓の森の広がりへと飛んで行った。
僕は今、水を含んだ杉木立の中に、たたずんでいる。富士浅間神社は見たことも聞いたこともないけれど、きっと古くて厳かな神社のような気がする。
富士の雪解け水を、掌ですくってみる。冷たくて、おいしい。僕は、まわりを見上げる。深い森の、いい香り。差し込んでくる日差しが眩しい。
その神社に行ってみたい。

リノアの手紙からは、何かほのぼのするものが感じられた。決して明るい内容ばかりではないけれど、どこか穏やかで、やさしいものが含まれていた。きっと、真面目で、おとなしい女の子なのだろう。この手紙で彼女が二十四歳ということを初めて知った。
孤独な女の子だと思った。孤独が、ふたりを引き寄せたのかもしれない。
僕はひとりだった。父は僕が高校二年生だったころに自殺していたし、そのころ母は別の男と暮らしていた。母とは、ずっと音信不通だった。僕が逮捕され、拘置所にいることは知らない。母も、僕も別々の人生を歩いてゆくのが一番いいのだ。
リノアの手紙だけだった、僕と外の世界を結ぶのは。

僕は早速、返事を書いた。

ありがとう。君の手紙を読んで、瑞々しい森の香りがしました。拘置所の中では自然とふれあうことがないので、君の手紙から杉木立をすり抜けてゆく季節の風を感じることができました。どうもありがとう。
君が最初の手紙で書いていたような透き通る薄紫色の風を、この拘置所で僕も感じることがあります。拘置所の窓からは隙間風が入ってきます。それはどんなに固く閉めても入ってきます。
夜、眠れないことが多く、僕は冷たい風をひとり感じています。眠れない夜は、その富士浅間神社のことを考えることにします。もし僕がここから出ることができなたなら、君をいつか、その神社に連れてゆきたいです。そのホールで、君の歌を、僕は聴きたいです。君ならきっと、人から共鳴してもらえる素敵な歌が歌えると思います。僕は、そのホールで君の歌を聴きたいです。

リノアはどんな女性なのだろう。一度も会ったことはない人だけれども、彼女なら僕の気持ちをわかってくれるような気がした。そして、僕もリノアの気持ちがわかるような気がした。手紙を書きながら、この手紙がリノアのもとに届くのに何日かかるのだろう、と僕は思った。
手紙を受け取る時も出す時も、検閲を受けなければならなかった。

封筒は茶封筒で、便箋は無地のものだった。写真もなければ絵もない。殺伐としたものだった。今どき、どこにも売っていないような事務的な便せんに、黒のボールペンを使って自分の想いを書き連ねた。インクは質が悪く、ところどころかすれていた。まるで戦時中の手紙みたいだ。
しかし、僕はそこに、どこか懐かしいようなものも感じていた。直筆には、相手や自分のその時の感情や個性が滲み出ていた。手書きの文字には、その人の人柄が感じられた。かすれかかった文字の姿には、ちょっとした心の動きや感情が微妙に表れていた。今の電子の時代では感じられない深い意識のつながりが、そこにはあった。
便箋に綴られたリノアの美しい文字に触れると、リノアの心にふれている気がした。手紙の文字を指でなぞったことは、今までなかった。

リノアからはおおよそ、週に一回のペースで手紙が届いた。

拘置所と病院の間を手紙が行き交った。

病院の窓から見える桜の蕾が膨らみ始めましたとか、こちらは鉄格子がついた窓でおまけにスリガラスなので昼と夜の区別しかわからないとか、いつまでも高校生気分でいる四十歳の精神病患者の相手をしていると疲れますとか、拘置所の看守は窓を開けっ放しにして雪が部屋に舞い込んでも知らん顔をしているとか、そんな日常の生活を書き綴ったものだった。

リノアからの手紙を受け取るたびに、僕はリノアの歌を聴きたくなった。そう思うと、僕はここから生きて出られる気がしていた。リノアと富士の麓の森や湖を歩いてみたい。それだけで、生きていられる気がした。
夜は眠くないのに、目を閉じて、じっとしていなければならない。しゃべることはもちろん、起き上がることもできない。一日中、狭い部屋に閉じ込められ、運動することもないので、身体が疲れない。眠くならない。遠いところを見ることがないので、目が痛い。目を見開き、コンクリートの壁を一日中、見つめていた。無音の空白が、僕の心を支配し続けていた。
僕にとっての、生きがいはリノアへの手紙を書くことだった。
何かの役割がある限り、どんな状況であっても、人は生きられるのだ。リノアの気配を感じることで、僕は生きていられた。リノアのことを考えれば、どんな苦痛も平気だった。
そして、リノアも、きっと僕と同じにちがいない。彼女は病室でいつもぼんやりと過ごしているのだろう。僕への手紙が彼女にとって唯一、自分と外の世界をつなぐ回路なのだろう。
僕がリノアへの手紙を書いていると、源さんは無精ひげをなぜながら、「女か。俺にもいたな。どうしているかな」と、天井を仰いだ。
「どんな女性だったのです」
「いい女だ。情が厚くて。リュウジ、もしここを出たら、その女に会いに行ってくれないか」
源さんが普段は見せないような真剣な目でそう言った。
「いいですよ」と、僕は言った。

源さんは指定暴力団の幹部だ。新宿で対抗勢力のヤクザをピストルで射殺した。
「ヤクザにとって、刑務所は東大に行くようなものだ」
源さんは、そう言った。
拘置所に送り込まれた時、最初に僕に話しかけてきたのは源さんだった。
「何をやったんだ。こんなところに来る人には見えないな」
源さんは、僕の顔をまじまじと見た。
僕は黙っていた。コンクリートの壁を見つめ続けていた。
舌を噛んで死のうと思っていた。
僕の顔は暗く、死相が出ていたのだろう。
源さんが、言った。
「生きていたら、なんとかなる。死んだら、おしまいだ」

僕はむき出しの壁にもたれ、茫然と目を見開き、壁を見つめ続けていた。
誰とも口をきかず、うつむいていた僕に、なぜか源さんは、優しかった。
落ち込んでいる人を励まし、冗談を言って笑わせ、いつも楽しかった。
次第に僕も笑うようになった。
笑うのは――本当に久しぶりだった。
「よお、リュウジ。笑うようになったな。笑うことは、高等な動物である証明だ。動物は泣くことはできるが、笑うことはできない」
源さんは、威勢のいい声で、そう言った。
源さんの足首に、ひし型の刺青が彫ってあるのを見ても、あまり驚かなかった。
源さんは、お笑い芸人だと、僕は信じて疑わなかったからだ。
これまで僕は、ヤクザ=悪、警察・検察=正義というように単純に考えていた。しかし、自分が逮捕され、鉄格子に囲まれて、初めて気づいた。
人間は誰でも、いつでも悪魔にも、天使にもなるのだ。

検事は一方的に怒鳴りつけ、感情をむき出しになり、自分の思い通りに調書を書き綴った。
こんなことが世の中でまかり通っているのか、と思った。
僕が言ってもいないことを調書に書きならべ、犯罪者に仕立てあげていく。僕の主張はまったく無視された。
「わたしは正しいと思ったことを主張しました。先に企業側の汚職を捜査するのが筋ではありませんか」
僕がそう主張すると、検事は「黙れ! 反省がない。おまえなど、刑務所にブチ込んでやる」と言って、気が狂ったみたいに声を荒げた。
検事の方が、よっぽどヤクザだった。

あらゆることを奪われても、人間らしさを保つことができたのは、リノアと源さんがいたからだ。
自分のことを、わかってくれる人がいないから、犯罪が起こるのだろう。
自分の心の内を聞いてくれる人がいたら、どれほど心は安らぐだろう。

ここでは、なんでもないことが無性に楽しかった。風呂に入るだけでも、とても楽しかった。
入浴時間は五分間だけだ。源さんと一緒に風呂に入ることが多かった。
源さんは筋肉質で、体格がいい。広い背中には、見事な龍の刺青が彫られている。龍は雲から現れ、玉を口に加えていた。龍には目玉が描かれていなかった。
「目玉を入れたら、飛んでゆくからな」
源さんは、頭を洗いながらそう言った。
「ごちゃごちゃ、しゃべるな」
風呂場の小さな窓から看守が怒鳴った。
湯船にゆっくり浸かることもなく、僕は脱衣場に出た。まだ、着替えている最中だが、再びオリの中に入れられた。
それでも、楽しかった。外の世界で、自由のある世界で、ひとりで暮していた時よりも、閉じ込められた今の生活の方が楽しく感じられるのは、自分をわかってくれる人がいるからだろう。
―――源さんの彼女。
源さんの恋人のことを、僕は今まで考えたこともなかった。
源さんに安らぎを与えてくれる女性は、どんな人なのだろう。僕は源さんの彼女に会ってみたい気がした。

粉雪がひらひらと部屋にしのびこんでくるように、リノアの手紙が拘置所に届いた。

私の歌を、聴きたい、と言ってくれて、ありがとう。
私の中には、ぼんやりとした不安とさみしさがいつも霧みたいにたちこめています。未来が感じられません。すっかり自信を失ってしまい、どこにも行き場がありません。
あなたからの手紙にはいつも妙に心に響くものがあります。〝明日風〟の小説も、とても心に響くものがありました。それは、私自身が風みたいなようなものだからなのかもしれません。私は誰にも触れてもらえない。何もできなくて。学校でも、いつも仲間からはみ出てしまって、ひとり歌を歌っていることが多かったです。
私はなかなか男の人を好きになることができません。女子校に進んだのも、男性と接触することが少ないからです。でも、私は女の子だけのクラスの中でも、みんなの輪の中にあまり溶け込むことができませんでした。皆と同じように男の先生に興味を持つことができなかったし、他の学校の男の子と交流を持とうとも思いませんでした。同じクラスの女の子を好きになったことがありました。その子から嫌われ、そのことがものすごくショックでした。ちょうど母が亡くなった時期と重なったこともあり、精神科で最初にもらった薬を全部飲んだのはこのころです。私は入院をしました。眠れない夜、甘える人がいない夜、さみしさを告げる人がない夜、逢いたい人に逢えない夜、見捨てられてしまった夜、どこにも行き場所がなくなった夜……。いろんな夜がありました。
今はまだ過去を振り返ってばかりで、前を見ることはまだできないようです。けれど、少しずつ気持ちを切り替えてゆけたなら、前向きにとらえられるようになるかもしれません。
私は綺麗な歌を歌いたいです。清らかな光のような歌を歌いたい。そのためには自分の命を引き換えにしてもかまわない。自分が死ぬ時、最期に私は、誰かのために綺麗な歌を歌ってあげたいのです。

僕は、雪が忍び込む鉄格子の部屋で、リノアの手紙を何度も繰り返し読んだ。それから彼女の文字を、そっと指でなぞってみた。リノアの文字に触れると、自分の身体が風のように透き通ってゆく気がした。清らかな光を抱いているような気にもなった。

リノアの手紙を見つめていると、そのうち夕食が運ばれてきた。鉄格子に小さく開けられた差し入れ口から、僕たちは食事を受け取った。食事をしている時も、僕はリノアのことをぼんやり考えていた。ただ、想うこと、考えること以外に、他にできることはなかった。今の僕にはリノアに電話をかけることも、会いに行くこともできなかった。
消灯時間は九時だった。廊下や室内の蛍光灯が瞬時に消え、トイレの室内灯だけが行灯のようにぼんやりともった。また、長い夜が始まった。これから起床時間まで、一切、何もしゃべってはならなかった。僕は呆然と目を見開き、暗くなった天井の一点を見つめ続けた。そのうち、天井と僕のあいだに漠然と重なりあう空気の層を見つめた。空気をスライスみたいに目の前で薄く輪切りにしてゆくと、その断面にいろいろな人の顔が現れた。もう逢うことのない人たちの顔が生まれてきては消えた。生きていても、会えないのなら死んでいるのと同じことだ。僕は目を閉じ、ただ考えた。考える限りにおいて、人間だった。

ここは寒かった。ここは世界の終わりなのかもしれなかった。夜は眠れなかった。夜明けの光がスリガラスに映し出されて白く明るく濁ってゆくのを、僕は薄い毛布にくるまりながらいつも見ていた。夜が明ける時間が日ごとに早まってゆくのが感じられた。季節は確実に春に向かっていた。それがうれしくてならなかった。僕は、リノアが言う綺麗な歌というものを考えた。綺麗な歌というのは、あのスリガラスに薄く広がりゆく白い光のようなものかもしれない。まだ、一度も会ったことのないリノア。彼女のことを、ただ想うだけで、僕はやすらかな気持ちになることができた。

三月になり、刑事裁判が何度か行われた。

四月の始めに、判決公判があった。
強要未遂罪で懲役一年半、執行猶予三年の判決が出た。執行猶予で外に出ることが決まった。その間も、リノアからの手紙が僕のもとに届いた。僕も彼女に返事を書き続けた。
そして、源さんとの別れの時間が近づいていた。源さんは僕の肩をたたき、人なつっこい笑顔で言った。
「どんなことがあっても、死んだらいかん。世界は広い。おまえを受け入れてくれる場所は必ずある」
源さんはそう言って、あるURLを教えてくれた。
「どこにも行く場所がなくなったら、ここにアクセスすればいい。IDとパスワードも教えておく」
源さんは、愛情のこもった目でそう言った。それから彼は、すぐに厳しい顔つきになった。
「俺は、これから刑務所に行く。何年、何十年になるか、それはわからない。お前とも、もう会うことはないだろう」
源さんとは、もう本当に会うことはないだろう、と僕も思った。
「彼女の方に、何か伝えることはありますか」と僕は言った。
「もういい。泣かれたら困る。家族を持つ気はない」
険しい表情で源さんが言った。

拘置所を出る前に、僕はリノアに最後の手紙を書いた。

拘置所を出てゆくことになったということ。僕はこれまで君に慰められ、励まされてきたけれど、それは特殊な環境にいたからだと思う。お互いに会うことはないだろうという暗黙の了承があったから、素直な気持ちをお互いに伝えあうことができたのだと思う。しかし、実際に会うとなれば別な話だ。僕のような前科のあるような者が君に会う資格はないし、きっと君も怖がるのにちがいない。君は男性にあまりなれていないみたいだし、なおさらだと思う。君に会いたい気持ちはあるが、このまま会わない方がお互いのためにいいのかもしれない。僕自身、どうしたらいいのかわからない。短かったけれど、楽しかった。君には生きていて欲しい。これからも綺麗な歌を歌って欲しい。それでも、お互い、この世のどこにも行く場所が本当になくなった時、その時は最後に会おう
――そんな手紙だった。そして、手紙の隅に、僕の携帯電話のアドレスを記した。

リノアから受け取った手紙は、この約二ヶ月の間で九通だった。僕はそれを大切に胸に抱き、鉄格子の外に出た。久しぶりに広い空を見上げた。桜の花びらの向こうに、澄んだ光があふれていた。

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン