【第02回】さらば友よ | マイナビブックス

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さらば友よ

【第02回】さらば友よ

2016.05.23 | 田蛙澄

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警察署の玄関から出たころには夕焼けで空が赤く染まっていた。どうやら帰りの送迎はなしのようだ。私がとぼとぼと歩きだした時、背後からの村上刑事が呼びかけた。どうやら煙草を吸いに出てきたらしい。
「須藤、お前のことだからフィリップ・マーロウを気取って勝手に調べるつもりだろうが、やめておけ。今回の奴はかなりやばい」
胸ポケットから取り出した煙草に火を点けながら、村上刑事はぞんざいに言う。
「そんなことを言ってもな。腹が立つじゃないか。奴のせいでうちの事務所はしばらく使えないし、私のお気に入りの本も血まみれだ。大丈夫さ、何か見つけたらすぐにあんたに連絡するよ。いつものようにな」
「まあ、やめろと言っても聞かんだろうが、せめて捜査の邪魔はするなよ。それさえしなければ好きにしろ」
「わかってますよ、刑事殿」
私は手を振ると、アパートの自室に帰ることにした。しばらくは事務所が使えない以上、これは犯人でもつかまえて懸賞金でももらうしかなかろう。今回の犯人はこれで五人も殺しているのだから、それなりの懸賞金が掛かっているはずだ。
私は部屋に帰ると、本棚からあふれ出した本の間を縫って、椅子に座る。片手には冷蔵庫で冷えていた麦酒の缶が収まっている。缶の口を開けて一気に飲み干す。ひどくくたびれた後の麦酒は美味い。さて、問題は彼女、あの自殺した木崎玲子だ。取敢えず、彼女の母親の話を聞かねばなるまい。今頃は村上刑事たちにかれこれ根掘り葉掘り聞かれているところだろう。
私は椅子に深く腰掛けると、精神【ガイスト】をネットの海にダイブさせる。しばらく潜り込んで、警察の取り調べ室で村上刑事の横に立つ若い刑事の視覚と聴覚を手に入れる。
木崎玲子に目元が似ている女性が村上刑事の前でうなだれている。年のころは六十近くのようだ。娘の突然の自殺を受けてかひどく憔悴しているように見える。
村上刑事は母親を慰めつつも、聞くべきことを要領よく聞いていく。
「では、やはり娘さんは自殺する兆候などはなかったと」
「ええ、そんなそぶりは少しも。ただここ三日くらい、頭の中に自分の声が送られて来るとは言っていました。遮断しようとしても突破してくるから、相談に行ってくるといって……」
「お気の毒です」
「一応、警察の方にも相談したらしいのですが、ストーカー被害という事であまり真剣に扱ってくれなそうだからと言って」
「申し訳ありません。我々の不手際でした」
そこで、私が入り込んでいた若い刑事が木崎玲子の被害届を検索して、おもむろに口を開く。
「いま確認したのですが、確かに木崎玲子はストーカー被害の被害届を出しています。被害内容も自分の声が送られてくるというものでした」
「それで、内容は」
村上刑事に促されて、若い刑事が先を続ける。
「それが、『私を返して』だったそうです」
「私を返して? ストーカーにしちゃ妙だな。そういえばこの間死んだうちの警官も死ぬ前に幻聴が聞こえると言ってなかったか」
「そういえばそうですね。他の二人の被害者にはそういった話は見られないですが、再度聞き込みをするべきかもしれませんね」
そのあとも木崎玲子の母親への聴取は続いたが、新しい情報は出てこなかった。私は若い刑事から離れて、またネットの海を泳ぐ。次に行くのは死者たちが憩う場所だ。ネット上に構築された疑似的浄土。通称、安らぎの庭。そこに私は数年前に病気で死んだ元相棒の神山を訪ねる。突如として私は椅子に座っている自分を発見する。自室の椅子ではない。目の前には白い丸テーブルがあり、紅茶が入ったカップが二つ置いてある。まわり一面青々とした芝に覆われている。少し先の白い建物から神山が歩いてくる。いつも同じようにチェックのベストを着て、丸い眼鏡をかけている。
「やあ須藤、久しぶりだな。茶でも飲みに来たのか」
私の元相棒は柔和な笑みで挨拶をすると、向かいの椅子に腰を下ろす。
「私は生憎まだフレッシュな肉体が残ってるんでね。わざわざこんなところまで茶を飲みには来ないさ」
「相変わらずだな、またなにか事件を追ってるのかい」
「ああ、今話題の連続自殺事件だ」
「例の、会社員と学生と警官が自殺した事件か。会社員と学生が投身で、警官が拳銃自殺だっけ」
神山は美味しそうに紅茶を飲みながら確認してくる。
「その事件の続報だ。つい三時間前にうちの事務所で女が自殺した。おまけに拳銃でな。おかげで私の本は血糊でべっとりだし、事務所はしばらく現場検証で出禁だ」
「半分以上は僕の本だろう。君の本はほとんど君のアパートに積み重なってるんだから」
「あれから事務所の本も増えたのさ。おまえがここで死後の余生を過ごしている間にな」
思えば妙な感じだ。目の前にいる元相棒の身体はすでに苔の下で、今相対しているのは、末期の脳から抽出された疑似人格なのだ。彼らはもはや身体どころか精神【ガイスト】すらもたない亡霊【ゴースト】にすぎないのだ。それでも、私は自分の思考をまとめるときにはよくこの元相棒の疑似人格に相談する。ただ友人が少ないだけなのかもしれない。

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