【第2回】それにしても風太郎は、凄い | マイナビブックス

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妻と子の明日が、幸せでありますように

【第2回】それにしても風太郎は、凄い

2016.10.06 | 岩川大地

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それにしても風太郎は、凄い。
たとえ叱っても、次の瞬間にはけろっとした顔で「遊びにいってきます!」だなんて言えちゃうのだ。
ああ、まっことあのあっけらかんとした気持ちは、こちらが見習わないとなと思う。私たち大人は、犯してしまった過ちをいつまでもうじうじしてしまうから。もう、どうしようもないのに。

「……あなた。あなた、純架の出番ですよ」
「おっとごめん。ぼーっとしていたよ」
「純架、無事にゴールしてくれると良いですね」
「そうだな」
ようやく純架の出番がきたようだ。
純架を含む5人の園児たちが一列に並んで、片手を大きく振りかぶって、走るポーズをとっている。近頃では順位をつけない幼稚園もあるらしいが、娘の純架が通っているこの幼稚園はそうではない。
優しそうな男性の先生が、赤い旗をさっとあげる。それを見て、一斉にかけ出す子どもたち。ああ、この時点で愛娘はすでに一歩出遅れている。
コースはU字型で、1周が40mくらいだろうか。コース半ばにある、大事なU字のカーブ。
少し出遅れたまま、他の園児たちとの距離は変わらずにコーナーへと入った純架は、入り口付近でコケてしまった。
それが私には、時が止まったように感じた。おそらく咲さんもそうだろう。純架が再び立ちあがってくるまでの4、5秒がとてつもなく長く感じて、再起できるかな、そんな風に思ったんだ。頑張って、純架。
たとえ人より遅くたって、純架は必死で走っていた。私のたったひとりの、最愛の妻が愛を注いで産んでくれたたった2人の我が子だから、私はひいき目で見てしまうのだが、やはり世界で一番可愛いと思っている。一心不乱に走っていた姿。それはもう、ただただ見とれる美しさ、可憐さだった。
だけれども現実は残酷で、純架はコケてしまった。これでもうビリは間違いない。まだ6歳と言えども、すでに運動能力には純然たる開きがあるのだ。
それを見ると、どうにも悲しくて、苦しくて、私は純架に謝りたくなる。ごめんね。お父さんとお母さんのあげた遺伝子が、運動得意じゃなくて。得意なアドバンテージを持たせてあげられなくてごめんねと、そう言いたくなる。
でもね、純架に特出した運動能力はあげられなかったけれど、お父さんからは純架に利発な頭脳と寛大な心の度量を、そしてお母さんからは魅力あふれる透明感と美貌を贈っていることを、どうか忘れないで欲しいなと目に涙を溜めながらに思った。
そんな様子を見た咲さんが私の気持ちを察してくれて、優しい言葉をかけてくれた。
「太一さん。気にしなくて良いのですよ。悲しい顔をする必要はないのです」
「……そぅだな」
咲さんの発した声はとてもクリアだったのに、私の返した声は霞んでいて、少し震えていた。私は涙がこぼれ落ちそうになるのをぐっと堪えて、咲さんの目を見て笑ってみせた。
1位でゴールした女の子は、ショートヘアーの似合う綺麗な女の子で、周りからちやほやとされて嬉しそうだ。純架は6歳なりに早くも社会の現実、不条理にぶつかって、無意識にも悲しみを感じているだろう。ああ、そんな顔をしないで。はやく駆け寄って優しく抱きしめたくなる。
純架が私たちのところへ、ぐしゃぐしゃになったお顔でとことことやってきた。
「お母さんお父さんごめんなさい、わたし1番になれなかったよ」
すりむいて軽く血を流している膝小僧が私にはとても痛そうに見えた。
「いいのよ純架。よく頑張ったね。途中で転んじゃったけれど、よく投げ出さずに走り切りました」
「おかあさんっ」
かけられた優しい言葉と一緒に抱きかかえられたことで、もう堪えきれなかったのだろう。純架は咲さんの胸のなかでわあわあと泣きだした。
「……お父さんもな、小さい頃はかけっこが遅かったんだ。それでもそのうち早く走れるようになってさ、ビリじゃなくなったんだよ。だから純架も、そのうち早く走れるようになるよ」と私はフォローを入れた。
咲さんに言わせると「太一さんができるだけ子供にも分かりやすく、そして子供に寄り添ってあげる優しいところが、私はたまらなく大好きなんだっ。そばで見ているだけで、あなたと子供に愛情がどんどんあふれ出してくるの。とっても素敵なあなたと結婚できた私は、なんて幸せなんだろう」だなんて言ってくれるのだ。男冥利に尽きる。
私のほうこそ咲さんが結婚してくれて、いつもそばにいてくれてありがとうと言わなければならない。これほどまで私を褒めあげてくれる妻が常に傍らで支えてくれることに、こちらこそ心の底から感謝をしているのだ。私のほうこそ幸せにしてくれてありがとうと言いたい。そして、言うのだ。
照れもあるが、妻への言葉にする。
目を見て愛情を伝えると、咲さんがとびっきりの笑顔を見せて喜んでくれるから。

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