【第1回】一 | マイナビブックス

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【第1回】一

2016.05.23 | 鯛島慶太

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         一

 

 仕事の都合で大阪に転勤して早二日。大人向けの店が所狭しに並んでいる心斎橋の商店街は、ネオンの光で立ち込めていた。夜だというのに眩しいと感じる程だ。これが大阪か、と先日まで住まいにしていた鳥取の商店街との差に内心驚きを隠せないでいた。そのまま歩き続け商店街を抜ける手前、友人から聞かされていた目当ての店の名を見つけた。暖簾をくぐり須藤眞人の名前が書かれた出欠簿を確認すると、俺は用意されていた赤いボールペンで丸印をつけ、和気あいあいとしている店内へ案内された。店に入るや否や、むかし見知った顔がいくつか襖の奥から顔を覗かせる。

「よう眞人、遅かったじゃねえか!」

「こっちに戻ってくるの何年ぶりだと思ってんだよ。荷物の整理をしてたんだから仕方ねえだろ」

 先週、つまり転勤が決まった三月下旬に高校の同窓会の開催を知らせるメールが元クラスメートから携帯に届いた。俺は若干後悔していた。ハガキで連絡が来なかった段階で気付くべきだったんだ。この同窓会の開催は、暇人たちをおびき寄せる罠といっても差し支えなかったのだ。

 同窓会の会場は想像していた二十畳とは程遠く、たったの八畳。しかも集まったのは十人の男だけときた。同窓会のような細々としたスケジュール調整など、俺の友人たちができる由もなかった。高校の頃に好きだった女の子と巡り会えるかもしれないなんて淡い期待が、現実を目の当たりにして追い討ちをかけてきた。鳥取の大学で知り合い、現に妻である芳奈が抱えていた浮気の心配は前提として不可能だった。良い土産話になるだろう。

 春の夜風にあたったのは、夜も耽けた頃。日付が変わるまでそう時間はなかった。

 同窓会も粛々と終わり、メールであたかも大規模な同窓会をするよう騙した友人を軽く小突くと、俺は芳奈の待つ家へと帰路を急いだ。酒が入って酔いがまわっているのか、夜風がこんなにも気持ちのいいものだとは初めて知った。俺はつい癖で、どこかに旅行に行ったわけでもないのに土産がないかしらみつぶしに探す。もちろん深夜に真っ当な土産屋が開いているわけでもなく、この日は家へと素直に帰ることにした。

 家まであと五分も歩けば着くという距離に差し掛かったとき、右側は木々の生い茂る斜面なのだが、ふとコンクリートで舗装された人一人分程度の幅の階段を見つけた。先は、暗くてよく見えない。俺は階段の先につづく闇をしばらく見つめると、目が慣れてきたように、ぼんやりと像のような物が二つ対に置かれているのを目視することができた。対ということは狛犬なのだろう。「神社、なのか」と誰に聞かせるわけでもなく呟くと、自然に足は階段を上り始めていた。好奇心なのか酔った勢いなのか、俺自身にも判別はつかなかったが、とにかく上りたくなったのだ。

 階段も終わりに近づいたとき、狛犬の像がはっきりと目に映った。そして上りきると全体が見渡すことができた。それは神社などというものではない。小さい祠の前に、申し訳程度に置かれた賽銭箱……。神様が見たら泣いてもいい程に、ここは殺風景な場所だった。神様すらも立ち寄らなそうなのに、狛犬はいったい誰に仕えているというのか。像に触れた指先から感じる石の冷たさに、少々可哀想に思えてきた。

 そろそろ下りようと、祠の前から踵を返した矢先である。その狛犬の像、祠から向かって右側の像の下に死体があった。

 死体と思った理由は、パッと見た感じで五、六歳の黒髪の長い女の子がこんな夜遅くにここに居るはずがない。そして、ワンピースの露出部分から見える肌が異様なまでに白く見えたからだ。

 ここで俺は驚きを隠せなかったのは確かだが、だからといって救急車を呼ぼうとも思わなかった。心が冷たいわけではないと自負している。亡くなっていても本来ならば呼ばなければいけないところだが、そのことを忘れる程に少女の顔からは、どこか懐かしさを感じざるをえなかった。

 片膝を砂利の上につき、少女の胸に手を当てる。心臓の鼓動は止まっていた。念のため首筋と手首の脈にも手を当て確認するが、やはり亡くなっているのだ。

 まだ春先だというのに、しかもこんな寒そうな服装で、可哀想に。

 少女の顔に右手を添え、親指で頬をそっと撫でる。とても亡くなっているようには思えなかった。同時に、この子の親でもないのに愛しさを感じ、親近感が突如湧いてきた。涙が俺の酒で火照った頬を軌跡を描いて流れ落ちる。溢れた雫は少女の手の甲に滴り落ちる。もっと早くここに来ていれば助けられたのだろうか、そんなどうしようもない後悔がフツフツと心ににじみ出てきた。目を閉じて回想する、親が子の死を知ってしまったときのことを。芳奈のなかに生まれた命が消えたときのことを――。

 頬に温かい感触が触れる。小さな、手のひらの感触だった。

 少女が不思議そうなつぶらな瞳でこちらを見つめていたのだ。少女の手のひらは、俺の涙を塞き止めるようにお椀の形をつくり、手のひらに溜まった涙は少女の肘にツーっと流れた。

「ね、え」

 頭が混乱していた。さっきまで亡くなっていた少女が生き返って、俺に話しかけている。そんなことが有り得るのだろうか。考えていても解決しないなら考えない主義の俺は、ひとまず、脈がなかったと勘違いしたのは人為的なミスで、本当は死んでなんていなかったのだと割り切ることにした。

「な、なにかな」

「わたし、だれなのかわかんないよ」

 誰なのかわからない――記憶喪失、ということになるのだろうか。俺はなにかそういう類のファンタジーか、あるいはゲームのなかにでもいるのだろうか。非現実過ぎて脳の処理能力がただでさえよろしくないのに、一層追いつかない。しかし、この子が嘘をついているとはとても考えられることではなかった。

「なあ、君立てるか」

 俺はすこし立ち上がって中腰になり、少女の左手を握ったまま問いかける。

「た、てない」

「そっか。よし背中に乗って。おんぶするよ」

 もう一度少女の前に背中を向けて屈む。少女ははじめこそおどおどしていたが、信用してくれたのか、見えないけれど背中にすこし重みを感じた。ゆっくり立ち上がると、背中のほうから、わあ、と小さく漏れた声が聞こえた。少女の伸びきった髪は俺の耳元をくすぐり、なんだかむず痒い気になる。生暖かい夜風が吹くと、俺の耳を覆っていた髪も後ろになびき、少女も気持ちよさそうに体を捻っているようだと、背中越しに感じていた。

 少女の存在はすでに俺のなかでは腑に落ちていた、もともと近くにいたものだと錯覚してしまいそうなほどに。もしあの子が生まれていたならば、ちょうどこれくらいの年齢なのかなと想像するとなんだか悲しくもあり楽しくもあった。

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