【第3回】●天国 | マイナビブックス

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星空グレー

【第3回】●天国

2017.04.25 | 山下大輔

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●天国

 

「おまえ、よくそれでやってられんな」

 惣菜パンを食しながら、心配そうに金澤(かなざわ)が言った。幸太はその隣で昼食も取らず、たばこを吹かしている。コンビニに出入りする客たちが、時折制服姿の幸太たちをちらちらと見ていた。

「腹になんか入れると気持ち悪くなる」

 幸太は無理に笑って言った。慢性的に呼吸が浅い。

「そーなん?」

「そーなん」

 車が何台か目の前の道路を通る。不意に、その中にパトカーが混じった。背中に退避させてやり過ごす。問題なく、幸太はまた右手を口元に戻した。横目で金澤を横目で見やると、右手をブレザーの内に収めた状態で停止していた。吸おうと思った刹那だったらしい。彼と目が合い、笑った。

「びびりすぎだろ」

「おう……」

 金澤が照れ笑いを浮かべ、口端にたばこを挟んだ。

 最近、二人してわざとコンビニの前でたばこを吸っている。警察に見つかるか見つからないかは日常の細やかなスリルだ。

「5時間目だりーな」

 金澤がそう言って、口元で紫煙を燻らせながら、パンの包装袋を丸めてゴミ箱に投げる。

 はずれ。

「5時間目なんだっけ」

 幸太は尋ねた。頭がぼんやりとしていて思い出せない。

「数学」

「だりい……」

「さぼるか」

 期待を滲ませて、金澤が見つめて来る。

「いいよ」

 幸太はたばこを一吸いして、投げ捨てた。アスファルトの上で熱を上げるそれを眺めながら立ち上がる。

「どこに行こうか」

 そう言って、大きく太陽に向かって伸びをした。どこでもいい。どうでもいい毎日を、幸太は過ごしていた。

 

 

 学校に行っても思い出す。友達とカラオケに行っても思い出す。例えばいつも通る、何でもなかったはずの道でさえ思い出させる。

 どこに居ようと関係ない。何処に居ても残像は消えない。この世の全てに君は居て、この世のどこにも、もう君はいない。

 生きることが、記憶を辿る作業のように感じてしまう。

 家に帰ると、幸太は部屋のベッドに横になった。そこから見えるクマの縫い包み、安い指輪、貰った手紙、誕生日に貰ったCD、借りたままの漫画。

「理恵……」

 幸太は泣いた。いつものように、家族には聞かれないように。

 嗚咽が止まらなければラジオを流した。

 毎日泣いて、毎日吐く。これの繰り返しだった。

 

 

 幸太はまた夜中の屋上に上がった。

 柵の外。月明かりに小さな影を見つけた。昨日と同じ、りゅうがそこにいた。

「よう」

 幸太は少年の後ろから近づいて、そっと声を掛けた。

 柵越しのりゅうが振り向く。その口先には赤い光が灯っていた。

「こんばんわ」

「危ねえガキだな……」

 幸太は苦笑し、柵を登って回り込む。りゅうの隣にゆっくりと腰掛けた。

「へへ……買っちゃった」

 と、りゅうが嬉しそうな声を出して、箱を見せる。幸太はそれに顔を寄せて覗き込み、マルボロのロゴを確認した。

「一本くれよ」

 帰る前に、たばこを切らしている。

「やだ。高かったもん」

「440円だろ? ケチケチすんなよ」

「小学生には大金です」

 幸太は、ちっと舌打ちする。

 りゅうは、煙をふーっと吐き出す。

「なんか様になってんな……」

「へへ……」

 少しの沈黙の後、幸太は切り出してみた。

「また、飛び降りに来たのか?」

「さあ」

 りゅうはその小さな口元にたばこを付ける。もう慣れたのか咳き込むことはなかった。

「お兄ちゃんは?」

「あ?」

「飛び降りないの?」

「考え中だよ……」

「じゃあ、死にたくないんだ」

「死にてーよ……」

 買い言葉のようだった。

 幸太は溜息を吐いた。何だか、調子が狂う。

「僕も……死にたい」

 りゅうが呟くように言った。でもその言葉はずしりと重たい。

「りゅうはなんで死にたいの?」

「お兄ちゃんに言わなきゃいけない義務なんてないよね?」

 開けようとしたドアが勝手に開いて顔面を潰された、様な気分を幸太は味わった。

「痛い……」

「何が?」

「心……」

「ふうん」

「おまえ……やな奴だな」

「なんでそんなこと言うの?」

 怒ってる。幸太は少し可笑しく思い、それを笑みで含んだ。地表に広がる、光の粒に目を落とす。

 綺麗なようで、そうでもない。粘質の闇が下界を覆っている。

「俺らってさ……」

 幸太には思うところがあった。

「この死ぬギリギリみたいなもんで満足してんのかな?」

「僕は満足してないよ」

 躊躇いもない。りゅうの口元から白煙が噴出する。

「だよな……生きていても、もう俺は意味ねえ」

 幸太は恋人の顔を思い浮かべた。天国で、言っている気がした。寂しいよ、と。

「死んだら天国とかって考えてる?」

 見透かしたようなりゅうの言葉で、現実に引き戻された。胸が、捻じ切られそうになる。

「きっと、無いと思うよ? 何もない、何も感じることなんかない世界だと思う」

 そんなことを言うな。

 幸太は、奈落に縋る。飛び降りることを望まれているのに、この体が、足が、びくともしないのはどうしてだ。

 理恵の声が頭の中を反復する。やっぱり、寂しいよ、と。

「いる?」

 りゅうがそっと箱を寄越した。

 幸太は差し出されたそれをしばらく見つめ、やがて手に取る。マルボロを一本、中から抜き取った。

「サンキュ……」

 

 

「死ぬことってなんだ?」

 幸太は隣で、同じようにたばこを吸う少年に尋ねる。

「この世からいなくなること」

「人生って一回きりだよな?」

「そうだよ。この人生が駄目でもって思う人たちが来世とか信じるんだろうね」

「ああ……次があるからいいやってか」

「馬鹿だよね」

 りゅうの言葉に幸太は少し考える。

 二人で、ふーっと大きく煙を吐いた。

「まあ、馬鹿っぽいな……。次があるからじゃなくて今を何とかしろって感じ」

「今を生きてない者に次なんてあるはずがない」

 いい言葉だと思った。

「って誰かが言ってた?」

「僕の名言」

「やるな」

 弾いたたばこの灰が夜空を舞う。赤く燃えてきらりと消える。儚い、一瞬だけの空の星。

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