●天国
「おまえ、よくそれでやってられんな」
惣菜パンを食しながら、心配そうに金澤(かなざわ)が言った。幸太はその隣で昼食も取らず、たばこを吹かしている。コンビニに出入りする客たちが、時折制服姿の幸太たちをちらちらと見ていた。
「腹になんか入れると気持ち悪くなる」
幸太は無理に笑って言った。慢性的に呼吸が浅い。
「そーなん?」
「そーなん」
車が何台か目の前の道路を通る。不意に、その中にパトカーが混じった。背中に退避させてやり過ごす。問題なく、幸太はまた右手を口元に戻した。横目で金澤を横目で見やると、右手をブレザーの内に収めた状態で停止していた。吸おうと思った刹那だったらしい。彼と目が合い、笑った。
「びびりすぎだろ」
「おう……」
金澤が照れ笑いを浮かべ、口端にたばこを挟んだ。
最近、二人してわざとコンビニの前でたばこを吸っている。警察に見つかるか見つからないかは日常の細やかなスリルだ。
「5時間目だりーな」
金澤がそう言って、口元で紫煙を燻らせながら、パンの包装袋を丸めてゴミ箱に投げる。
はずれ。
「5時間目なんだっけ」
幸太は尋ねた。頭がぼんやりとしていて思い出せない。
「数学」
「だりい……」
「さぼるか」
期待を滲ませて、金澤が見つめて来る。
「いいよ」
幸太はたばこを一吸いして、投げ捨てた。アスファルトの上で熱を上げるそれを眺めながら立ち上がる。
「どこに行こうか」
そう言って、大きく太陽に向かって伸びをした。どこでもいい。どうでもいい毎日を、幸太は過ごしていた。
学校に行っても思い出す。友達とカラオケに行っても思い出す。例えばいつも通る、何でもなかったはずの道でさえ思い出させる。
どこに居ようと関係ない。何処に居ても残像は消えない。この世の全てに君は居て、この世のどこにも、もう君はいない。
生きることが、記憶を辿る作業のように感じてしまう。
家に帰ると、幸太は部屋のベッドに横になった。そこから見えるクマの縫い包み、安い指輪、貰った手紙、誕生日に貰ったCD、借りたままの漫画。
「理恵……」
幸太は泣いた。いつものように、家族には聞かれないように。
嗚咽が止まらなければラジオを流した。
毎日泣いて、毎日吐く。これの繰り返しだった。
幸太はまた夜中の屋上に上がった。
柵の外。月明かりに小さな影を見つけた。昨日と同じ、りゅうがそこにいた。
「よう」
幸太は少年の後ろから近づいて、そっと声を掛けた。
柵越しのりゅうが振り向く。その口先には赤い光が灯っていた。
「こんばんわ」
「危ねえガキだな……」
幸太は苦笑し、柵を登って回り込む。りゅうの隣にゆっくりと腰掛けた。
「へへ……買っちゃった」
と、りゅうが嬉しそうな声を出して、箱を見せる。幸太はそれに顔を寄せて覗き込み、マルボロのロゴを確認した。
「一本くれよ」
帰る前に、たばこを切らしている。
「やだ。高かったもん」
「440円だろ? ケチケチすんなよ」
「小学生には大金です」
幸太は、ちっと舌打ちする。
りゅうは、煙をふーっと吐き出す。
「なんか様になってんな……」
「へへ……」
少しの沈黙の後、幸太は切り出してみた。
「また、飛び降りに来たのか?」
「さあ」
りゅうはその小さな口元にたばこを付ける。もう慣れたのか咳き込むことはなかった。
「お兄ちゃんは?」
「あ?」
「飛び降りないの?」
「考え中だよ……」
「じゃあ、死にたくないんだ」
「死にてーよ……」
買い言葉のようだった。
幸太は溜息を吐いた。何だか、調子が狂う。
「僕も……死にたい」
りゅうが呟くように言った。でもその言葉はずしりと重たい。
「りゅうはなんで死にたいの?」
「お兄ちゃんに言わなきゃいけない義務なんてないよね?」
開けようとしたドアが勝手に開いて顔面を潰された、様な気分を幸太は味わった。
「痛い……」
「何が?」
「心……」
「ふうん」
「おまえ……やな奴だな」
「なんでそんなこと言うの?」
怒ってる。幸太は少し可笑しく思い、それを笑みで含んだ。地表に広がる、光の粒に目を落とす。
綺麗なようで、そうでもない。粘質の闇が下界を覆っている。
「俺らってさ……」
幸太には思うところがあった。
「この死ぬギリギリみたいなもんで満足してんのかな?」
「僕は満足してないよ」
躊躇いもない。りゅうの口元から白煙が噴出する。
「だよな……生きていても、もう俺は意味ねえ」
幸太は恋人の顔を思い浮かべた。天国で、言っている気がした。寂しいよ、と。
「死んだら天国とかって考えてる?」
見透かしたようなりゅうの言葉で、現実に引き戻された。胸が、捻じ切られそうになる。
「きっと、無いと思うよ? 何もない、何も感じることなんかない世界だと思う」
そんなことを言うな。
幸太は、奈落に縋る。飛び降りることを望まれているのに、この体が、足が、びくともしないのはどうしてだ。
理恵の声が頭の中を反復する。やっぱり、寂しいよ、と。
「いる?」
りゅうがそっと箱を寄越した。
幸太は差し出されたそれをしばらく見つめ、やがて手に取る。マルボロを一本、中から抜き取った。
「サンキュ……」
「死ぬことってなんだ?」
幸太は隣で、同じようにたばこを吸う少年に尋ねる。
「この世からいなくなること」
「人生って一回きりだよな?」
「そうだよ。この人生が駄目でもって思う人たちが来世とか信じるんだろうね」
「ああ……次があるからいいやってか」
「馬鹿だよね」
りゅうの言葉に幸太は少し考える。
二人で、ふーっと大きく煙を吐いた。
「まあ、馬鹿っぽいな……。次があるからじゃなくて今を何とかしろって感じ」
「今を生きてない者に次なんてあるはずがない」
いい言葉だと思った。
「って誰かが言ってた?」
「僕の名言」
「やるな」
弾いたたばこの灰が夜空を舞う。赤く燃えてきらりと消える。儚い、一瞬だけの空の星。