2007年3月、宇都宮市民を中心とする有志の手で宇都宮城の一部が復元された。本丸土塁の一部と、土塁上に建つ富士見櫓、清明台櫓、および土塀である。
これまで宇都宮といえば、広大な城下町でありながら、城跡らしい遺構が存在しなかった。
もともと、この地には、「関東七名城」に数えられる中世城郭があったが、領主の本多氏が、近世城郭に改修する際に幕府に憚って天守を立てなかったこと、東北の城らしく、築城にあたっては石垣をほとんど用いず、土塁のみの城構えだったこと、さらには、戊辰戦争の折に、新政府軍が撤退するにあたり、二の丸に放火したことで、城全体が丸二日にわたり焼失したことなどによる。