【第2回】騒音 | マイナビブックス

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ゴルフプラネット 第30巻

【第2回】騒音

2016.04.04 | 篠原嗣典

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騒音

 

 不良中年たちは非常にレベルの高い洒落に包まれた仲間たちだった。私は20代の前半、彼らに最後の試練を仕掛けられていた。

 

 その頃、私は既に総ニギリの中のハンディ頭になるという目標をクリアしていた。仲間内のルールでハンディは最大でもエブリワン(ハーフ9枚)までと決められていた。平均スコアが最も悪い人でも90は切っていたので、いわゆるタテと言われるストローク差ではハンディ的に良い戦いになっていたが、私は勝ち続けていた。

 

 それは、ストローク差を上回る別の分野でのニギリのお陰だった。特にバーディが1個に付き、全員から5ポイントずつもらえる仕組みに助けられた。

 

 不良中年たちは、色々な手で私を鍛えてくれた。妨害されても私は課題をこなすように、それがストロークに影響しない術を自らで学んだ。

 

 プレーの妨害をするなんてゴルファーの風上にも置けない、と眉をしかめる人もいるだろうが、全ては仲間内の洒落の範囲であり、私は今でも彼らに感謝している。

 

 タイガー・ウッズが少年の頃、パットの練習中に父親が小銭を急にばらまいたりしてワザと集中力を乱すような妨害をしたことは、今では有名なエピソードだ。それと同じである。私は心構えが出来ているときであれば、かなりの妨害があっても、今でも普通にプレーする自信がある。

 

 不良中年たちが仕掛けた最後の試練は、ボールを止めてしまうことだった。バーディパットが入りそうになると、自分のパターなどを偶然のように落としてボールをカップの手前で止めてしまうのである。グリーン上でのプレーの場合、規則19-1.bでそのストロークは取り消され、再プレーになる(故意の場合は、やった人は1-2.の罰があり、プレーヤーは1-4.で打ち直しか、状況によってはカップインが認められるが、あくまでも洒落で偶然なのである)。

 

 本当に強い選手は、いかなる困難にも不屈の精神と自らの技量で立ち向かうものだと、私は当時から思っていたので、ルール上ではなどとムキにならず、入れ直すことが出来なければ自分が悪いと考えた。

 

 ほどなく、私はその手の妨害があっても次を入れてしまえるようになった。一度打った勝手知ったるラインなら、平常心であれば実は簡単なのである。洒落で済むのは最初だけ、2回目も連続で妨害するのは洒落にならないから妨害はない。そういう意味でも安心だった。

 

 その瞬間、不良中年たちは、私とのニギリに対して、初めて為替ルールを導入した。ニギリのルールの変更にも、洒落で済まされる妨害にも限界があったからで、私は他の人のバーディには5ポイント払うが、私のバーディは3ポイントが入ってくるだけになった。

 

 それでも勝ち続けたので、後に、ポイントは5対2まで落ちた。オリンピックで外から入れるダイヤモンドも、私だけ半カラットということで半分になった。

 

 私はそれを名誉なことだと思ったし、与えられた条件でも勝てるために努力もたくさんした。だから、普通の人になった今でも、不良老人となったかつての不良中年の先輩たちから、上手さという意味では他にも上手い奴はいたが、強さという意味ではダントツだったと回想され、未だに警戒される。

 

 今は、本当は弱いので、警戒されて助かっている。私の貧弱なスコアを目の当たりにしても「撒き餌、撒き餌、騙されないよ」とニギリの誘いはあまりない。

 

 そんなことを思いだしたのは、ある若いゴルファーと話をしたからだ。彼は、昨年の競技ゴルフでの不振を騒音のせいにしていた。

 

 ゴルフは静寂の中のゲームであるが、コース内には静寂ゆえに、たくさんの騒音が存在する。ファスナーを開ける音や、マジックテープを剥がす音のような小さな音もタイミングによっては立派な騒音になる。最近では、乗用カートのエンジン音なども騒音として話題になる。

 

 エチケットでは、そのような音がプレーの邪魔になってはならないと戒めている。しかし、故意でない音を完全に消し去るのは困難だし、偶発的に耳に入る音全てに敏感に反応していていては、プレーヤーはただ混乱を深めるだけである。

 

 私は彼に、それは君の実力にすぎない、と言った。

 

 人がプレーしているときに音を立てないようにするのは、エチケットなのだからゴルファーの義務であるが、自分のプレーに際し、静かな環境にこだわる権利とは少し違うと思うからだ。

 

 例えば、練習場は周辺から文句が出るぐらい本当の意味での騒音を撒き散らしているが、私たちはその中で練習できている。騒音の中でも集中力を切らさずにプレーするのは技術の内だと考えれば良いだけの話なのだ。

 

 音が気になって集中できなかったから…… というのは、自分の未熟を宣伝する惨めな言い訳なのだ。

 

 カラスが鳴く、鴨も鳴く、風が強ければ耳元で空気だって鳴く。自然に罪はない。それもゴルフの内である。

 

 若いゴルファーは、言い訳だと断言した私を憎悪に燃えた目で睨んだ。騒音にもそういう視線で挑んでいるのだろうと想像できた。

 

 騒音に負けない方法を練習場で私たちは知っている。覚悟と無視の問題で、特に苦労せずとも、頭が良ければすぐにでもどうにかなるのだ。

 

 適度な音があるからこそ静寂な世界は美しいのだと、私の尊敬する先輩はゴルフコースを見下ろしながら言った。若いゴルファーに私の意志がどこまで通じたかは分からないが、私の長い話に最後まで付き合ってはくれた。

 

 いつの間にか自分が不良中年と呼ばれるのに相応しくなっている。若い血気盛んなゴルファーを洒落で翻弄する老獪さは身に付いていないが、ゴルフコースの中の騒音すら楽しめるように彼が成長する為に、自分が出来ることはしてあげようと思った出来事だった。

(2007年1月17日)

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