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ゴルフプラネット 第10巻

【第3回】フェアなホール、アンフェアなホール

2014.12.15 | 篠原嗣典

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フェアなホール、アンフェアなホール

 

 ゴルフが日本に入ってきてから101年。歴史を紐解いていくと、関西は英国流、関東は米国流の大まかな伝達経路があったことが分かる。そして、それは今でも様々な形で影響を及ぼしている。

 

 コース設計に関しても、その流れは考え方として二つに別れる。英国流としては、セントアンドリュースがそうであるように、人間が手を加えることなく、あるがままを受け入れるという精神が根底にある。米国流は、人間がコースを作ると言う前提で、フェアであることが非常に重要なポイントとして評価される傾向にある。

 

 付け加えると、米国も初期の段階では英国から設計家を招いて、何事も自然を受け入れる精神に基づいてコースを作った歴史があるので、古いコースはスコットランド風などという形で認められている。しかし、かなり早い時期からフェアであることへのこだわりが全面に押し出されたことは間違いない。海があるから、海に合わせてコースを作っていくのと、海はないから代わりに池を作ろうという発想は、似ているようで全く違うものなのである。

 

 時代は流れて今。

 

 ゴルフの主流は、間違いなく米国である。メジャーと呼ばれるトーナメントの内、3つが行われる国。当たり前と言えばそれまでである。フェアであることが、コースを評価する上でのポイントになっているのである。

 

 さて、日本を改めて考えてみる。

 

 米国流のコースが圧倒的に増えていることは、誰でも分かることであるが、フェアであることが徹底されているかは、微妙なのではないだろうか。もちろん、地域性を考慮すれば、日本流があっても良いと思うし、むしろ、日本流があるべきだと思うが、良い意味での日本流は未だ確立していないというのが現実である。

 

 例えば、ブラインドと言われるコースである。

 日本の場合、かなりの見識者と言われる人も、ティグランドからグリーンが見えなければ、忌々しげに、このホールはブラインドだと言う。

 

 英国流で言えば、それもゴルフであって、プレーヤーが嘆くことではない。リンクスでは、グリーンどころか、フェアウェイすら見えないホールが当たり前にあるのだ。

 

 それが、米国流では少し違う。

 グリーンを狙えるポジションでグリーンが確認できないことをブラインドと言うが、ティグランドからグリーンが見えないことに嘆きはしない。つまり、狙える所が明確であればフェアであり、何処を狙って良いのか分からないのがアンフェアであるということになるのである。

 

 日本人には、フェアという概念が分かりにくいという。多くの場合、過剰になってしまうのである。過保護はフェアとは違う。ティグランドからグリーンが見えるのに、フェアウェイの良い位置からはグリーンが見えないなんてホールが出来上がってしまうのは、フェアとか言う問題ではなく、単に滑稽な話である。

 

 こういうことは、バンカーなどのハザードにも言える。英国では、打つ地点から見えない確認できないが存在するバンカーがリンクスコースを中心にたくさんある。しかし、米国では、その手のバンカーはアンフェアであると言われ、嫌われる。

 

 日本の場合は、上から見た状態である平面図で評価を下そうとする傾向が強い。実際にプレーしてみなければ分からないことが多いことは、知っているのに知らぬ振りである。

 

 とは言え、世界中のコースをプレーし、かつ、日本の国土を知り尽くした日本人のコース設計家が増えていることは、日本流を望む者にとっては嬉しい限りである。米国もそうであったように、日本のコースも大幅な改造により、そのポリシーを確立していく側面もあるのだと期待したい。

 

 最近の米国流ではパー3は打ち下ろしが好ましいと言われている。フェアであれ、という合言葉の前では、なるほどと納得する。でも、それだけが真実ではない、と思いたい。

 

 日本のゴルフは新しい世紀に入った。小手先のテクニックではなく、概念としての日本流が見てみたいと心より思うのである。

 

(2002年1月23日)