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ゴルフプラネット 第9巻

【第2回】2002年1月12日、グリーンに立つ

2014.12.15 | 篠原嗣典

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2002年1月12日、グリーンに立つ

 

 祖父の葬儀と初七日が終わった1月10日。私は翌々日の12日に予定通りに妻と初打ちに行くことを決意した。元々、父の友人たちが集まり、ゴルフをした後に都内で新年会をするという企画だったが、父はゴルフは欠場し、新年会だけは出席するということになった。

 

 当日朝、実は行きたかった父に見送られながら、6時に家を出た。目的のコースまでは1時間であり、余裕なはずだったが、降りる予定の高速出口の前で事故が起きた。渋滞に巻き込まれ約1時間のロス。コースや出席者へ電話を掛けた。携帯電話はこう言う時に便利である。私たちの後方にいたグループは路肩を走行して、私たちより20分ほど早くコースに着いた。私たちは律儀に渋滞の中にいた。

 

 結局、コースに着いた時は8時10分だった。8時14分スタートだったので遅刻した訳である。ところが、コースに着くと、バッグが慌ただしく運ばれた。そのままスタートするという。車を駐車場に入れ、フロントでサインをし、父から渡された菓子折を渡し……ロッカーでシューズに履き替えて、走ってスタートホールに行くと、1組目がティショットを打ち終わるところだった。今までスタートに遅れたことはあったけど、こんなに慌ただしいのは初めてだった。8時20分、2組目の私は今年最初のストロークをした。

 

 朝、練習グリーンでボールを転がさないでスタートすることは、私にとって考えられないことなのであるが、新年最初のラウンドは、まさかの事態となった。案の定、出だしから6ホール連続でパットを外しまくる。上がり3ホールをパーで凌いで、やっと44であった。

 

 新しい武器(パトロンの方は1月14号参考)が、後半になって慣れてきた。出だしをバーディでスタートし、3番のロングホールで2オンに失敗してボギーとするが、5番ホールまではパープレーであった。

 

 祖父の写真を小さく切ったものをサングラスのケースの裏側に貼って持っていった。途中で見たり、話しかけたりはしなかったが、心の支えにはなっていたのだと思う。後半は、久しぶりに構えて打つまでの戸惑いがなかった。

 

 6番ホールではトラブルがあり、ダブルボギーを打った。その後、パー、パーときて、最終ホールでバーディが来た。37は、パットの調子を考えれば上出来だった。

 

 今年最初のラウンドは81だった。パターの調子がもう少し良くなってくれば……。そう考えると、楽しみな1年になりそうである。しばらくは、祖父の写真をそのままにしておこうと思う。

 

 今年のテーマは、飛ばすドライバーとロブウェッジの多様である。

 

(2002年1月15日)