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ゴルフプラネット 第9巻

【第1回】まえがき/もうゴルフ辞めます

2014.12.15 | 篠原嗣典

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まえがき

 

 第9巻のテーマは喜怒哀楽です。

 

 正月明けにゴルフの師の1人だった祖父が亡くなったのが2002年でした。

 

 約10年前に書かれたものです。10年前と現在とは同じようでずいぶんと違います。

 マスターズのテレビ観戦の雑感を読むと日本人は4人も出ています。全英オープンは5人の日本人プロが予選を通過して、最終日のバックナインでは丸山茂樹プロがトップでした。

 あまり評価が高くありませんが、個人的には丸山プロは日本のゴルフを変えた早熟の天才だったと思っています。突出した才能があると周囲にも大きな影響を及ぼして、強い世代が育つことを証明しました。

 

 2002年はサッカーのワールドカップが日韓共催で開催された年でもあります。サッカーはこれを見た子供たちが、現在の日本代表になっていて、素人目に見ると2002年の代表よりも強いような気がします。見事にバトンタッチができている好例だと思います。

 

 10年前の話でも色褪せないテーマもあります。そこがゴルフの良い点で魅力でもあります。

 Golf Planet を書いて2年が過ぎて、書くゴルフの面白さも見えてきたのが2002年です。熱心な古くからの読者はGolf Planet らしさが出てくるのはこの頃からだという人もいます。

 

 ゴルフの喜怒哀楽を楽しんでもらえれば幸いです。

 

(2013年5月)

 

もうゴルフ辞めます

 

 そのプロは雪国で生まれた。家は練習場を経営していた。その環境から、少年のうちにクラブを手にすることは自然な流れで、どこにでもある話であるが、少しだけ普通ではなかったことは、競輪選手の指導で筋トレを取り入れながらゴルフを覚えたことである。

 現在でこそプロゴルファーの筋トレは当たり前であるが、その頃は筋トレでダメになったプロゴルファーの例の方が多く、タブーとする風潮があった。結果として、飛距離というアドバンテージを持った彼は、トントン拍子にプロへの階段を上っていった。

 

 アマとしてナショナルチームで活躍している頃の彼をよく知っている人の多くは、プロとして通用するのか、疑問視する傾向もあった。アマとしての戦歴は大変なものであったが、中間距離のパットへの不安は親しい人の間では有名だったからだ。

 

 しかし、プロ入り1年目から彼は圧倒的な戦績でトッププロになり、そのような不安を一蹴した。当時のレギュレーションであれば、多くのパー5を2打でグリーンに届かせることが可能な飛距離が、パー72のコースをパー68に変えていた。

 

 F1などのレースでも言えることであるが、技術を提供するメーカーの力量を生かすには、レースの体験を的確にフィードバックする能力が高いレーサーの存在が不可欠である。どちらが欠けても良い結果は出ない。彼の場合は、用具を提供するメーカーの力量もさることながら、アドバイザーとして非常に有能な先輩プロの存在があり、その恩恵により、適切な用具提供を受けられたことがスタートダッシュの一因であったと思われた。

 

 飛距離のアドバンテージを持っていたことが、パーシモンからメタルへ移っていく時代の流れに上手く乗るタイミングを逸することになった。時を同じくして、メーカーのアドバイザーだった先輩プロが他のメーカーの所属になる。暗い影は、徐々に、そして、確実に彼を覆い始めていた……。

 

 そして、プロの平均飛距離の伸びは、コースの改造を促した。パー3、パー4の距離を伸ばし、各ホールのグリーンを高速にし、うねらせ、硬くした。飛距離に対するコース改造というのは、個人的には前世紀からの残された課題であると思う。そして、まだ答えが出ていない。

 この問題が難しいところは、飛距離が出る者に対して難しくすることが、飛距離が出ない者に対して、更に難しくなってしまっても良いものか、という点である。

 

 意図的ではないにせよ、飛距離が出る者に対してのコース改造が、彼にプロ生活初めての屈辱を経験させた。2001年、彼はシード権を失った。

 

 クォリファイングトーナメント。2002年のトーナメントに出場する資格を取る為の戦い。2001年12月10日と11日。決勝の2Rに彼はいなかった。前日の12月9日の予選でカットになったのである。

 

 コースを去る彼は、コメントを求める報道陣を振り払うようにコースを後にした。その時、彼は一切の質問に答えなかったが、独り言のようにこう囁いていた。

 

 「ゴルフ辞めます。もうゴルフ辞めます」

 

 彼の存在が日本のゴルフ界に与えた影響は大きい。彼の大学卒業と同時に学生ゴルフに未練はないと大学を中退した者、彼のスケールを手本として飛距離を背景にした強さを身に付けた者、彼がいなければ、現在のプロゴルフ界は違うものになっていたはずだ。

 

 ゴルフを辞めようと口にすることは、尋常ではない。だが、ゴルフに裏切られたと思う心は、それに尽くした者だからこそ感じるものであることも間違いない。多くの者たちが、そうして第一線から退いてきた歴史がある。

 

 彼が今年どのように活躍することが出来るか、それは分からない。ゴルフを辞めると言った彼の言葉が、過去の栄光を捨て去り、新しい自分を見つけるための宣言であったことを祈りながら、彼の戦いに注目しようと思っている。

 

(2002年1月8日)