【第0回】はじめに | マイナビブックス

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 私はやりたかった仕事が3つあって、1つは国鉄(現JR)の車掌。1つは小学校の先生。そしてもう1つはアナウンサーだ。まるで小学生に将来の夢を聞いているようだ。たしかに3つとも人気がある仕事の上位に入っている。時代がかわってもランキングのちがいはあまりない。私はその人気があり、しかもつながりのなさそうな仕事を3つともやってしまった。

 最初から3つの仕事をやりたかったわけではなく、子どものころから高校生までは国鉄に入って車掌になることだけであった。小学校の先生になりたいと思ったのは車掌になって5年ぐらい経った27歳になってからである。大学は出ていない。高校も普通科ではなく工業高校の機械科だ。それでも31歳で小学校の先生になった。アナウンサーになったのは45歳のときだ。

 私の場合は、きらいな仕事をがまんしきれなくなって次の仕事にかわったのではない。好きな車掌の仕事に誇りを持ってやっていた。その車掌の仕事以上にやりたい仕事が見つかったからだ。しかもただやりたいだけでなく、その仕事で私を必要としている人がいるとも思ったからだ。

 ではなぜ好きな仕事を3つともできたのかと言うと、大人になっても好奇心があったのは言うまでもないが『今からはじめても遅くはない』の言葉が頭に焼き付いていたからだ。私は今までに「あのときにはじめていれば、今ごろは・・・」と思ったことが多くあった。たとえば小学生のときにピアノを習いたいと思っていたが、自分は男だし、授業料を出してもらっても練習が続けられるか不安な気持ちもあるし、発表会に出なくてはいけないし、そういうことで迷っているうちに年月が過ぎていった。18歳になって「もし子どものころからピアノを習っていたら今ごろはかなり難しい曲が弾けたのに…」と後悔した。そのとき「今からでも習おうかな。」と思ったが「今さら。」と思う気持ちもあり、ずるずると5年が経過した。またそのとき「5年間ピアノを習っていたら今ごろは・・・」とまた後悔した。大人になってからの5年はあっという間だったので「今は23歳。それから5年経ってもまだ28歳。今日からピアノを習いはじめよう。」もう、迷う気持ちはなかった。ピアノを習い始めてから1年ぐらいでも、かなり弾けるようになった。そのとき1年前のことを思い出し『今からはじめても遅くはない』ということをしみじみと思った。23歳からピアノを習いはじめ、今私は59歳なので、36年間ピアノを続けている。

 27歳で入学した大学は通信教育で、ゼロからのスタートになった。それでもはっきりと目標があったので、スムーズに学習ができた。しかも楽しみながらである。

『今からはじめても遅くはない』以外に『常識にとらわれない』という好きな言葉がある。車掌をしていて、学校の先生になる教育実習を受けるため休暇願いを出したとき「車掌と先生なんか畑違いやな。」という言葉が矢のようにどこからも飛んできた。それでも私は、違いよりも共通を見つけようと思ったり、車掌をやっていたから先生になれると信じていた。

 

 もうひとつ『あきらめない』という言葉が好きだ。好きな仕事をしたい。誰もがそう思うにちがいない。でも実際は好きな仕事をやりたくても「競争率が高いから無理。資格を取る時間もお金もないから無理。転職をするとみんなから白い目で見られるから無理。」というように、最初からあきらめているので好きな仕事ができない人が多いのだ。

 私のときも、人があまっているので国鉄職員の採用はしばらくやっていない。車掌の募集もしていない。小学校教員採用試験は倍率が約20倍。アナウンサーはどうような勉強をするのかも分からない。それで絶対にもあきらめなかったから、どれもやることができた。

 尊敬される仕事をした人は、ほとんどの場合その道一筋ン十年と言われるように、その仕事に一生をささげている人が多い。コツコツと下積みを重ね、業を身につけ、研究に研究を重ねた人が多いかも知れない。伝記等の書物を見ても確かにそういう人が多いので、それは立派なことだ。子どもの頃に夢を持つことはとてもいいことで、小学校・中学校・高校・大学とそれに向かってたくさん学習・研修を積んでいき、努力が実って見事に長年の夢が達成でき、それに一生を奉げるのはすばらしいことだ。

 また先祖代々、仕事が継承されている家に生まれたために子どもの頃からその仕事を手伝っていたので、自分がその仕事をやるのが当たり前になっており、他の仕事のことなど考えることもなく、気がついていたらそれ相当の年齢に達していて、引退という人もあるかも知れない。

 

 転職と聞くと、一般的にはイメージがあまりよくない。仕事がいやになってやめて、次の仕事につく人が多いからだ。しかし、仕事を替えてもその意気込みがあれば、何十年とやっている人に対して決して引けを取らない。

 転職ではないが、プロ野球日本ハムの大谷翔平選手は投手と打者の二刀流として注目を浴びている。私は大谷翔平選手の考え方に大賛成だ。いくら仕事だとは言え。投げてばっかりでは、つまらない。もともと野球は投手も含めて攻撃と守備を交代しながら9人でプレーするもの。打つ、投げる、その他の守備をやっていくことで野球がいっそう楽しくなり、それぞれの成果が期待できる。それぞれの練習の醍醐味も感じることができ、さらに良い結果になっていくと期待する。

 それについては賛否両論があり、反対意見としてプロは甘くないので投手か打者かどちらかに決めないと練習が中途半端になって、結局どちらもプロとして通用しなくなるというものだ。もちろん投手や打者に専念するほうが良い結果を出す選手も多いので、その人の力量等を見ながら判断すればいいし、自分で投手か打者のひとつにしぼって実力を発揮するのももちろんだ。

 自分が本当にやりたい仕事が見つかったとき、『今からはじめても遅くはない』『常識にとらわれない』『あきらめない』と本気で考えたならば、もうその仕事はそのときから始まっている。

 なおやりたい仕事につけても、いつも楽しくてしかたがないわけではない。仕事がなかなか終わらずに1日が24時間でも足りずまた次の仕事が入ったり、徹夜の勤務で体調を崩したり、上司や同僚や保護者との人間関係で悩み、何ヵ月も食事が咽喉を通らなかったこと等、苦しいこともたくさんある。しかし私はどんなことでも、支持されないことや楽しくないこと等が半分で、逆に支持されることや楽しいことが必ず半分はあり、それでバランスが取れていると思っている。

 つらいことが続くと、半分もある楽しいことが見つけにくいかも知れないが、ちょっと見方を変えるとたくさん見つかる。この本の中でもそれらのことをいくつか紹介しているので、やりたい仕事が楽しい仕事につながっていく。

 一番やりたかった仕事ができるようになっても、仕事は仕事である。遊びではないので、つらいことはある。どの仕事も一時は、やめてしまいたいと思うこともあった。そんなときには、誰もやったことがないような気分を晴らす方法を考えて、実行する。それは人に気づかれなくても自分だけ満足していてもいいのである。

 本書ではそのことも多く書いているので、他の仕事でも共通することが多くあるので、仕事を大いに楽しんでもらいたい。