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父親のカタチ

【第1回】

2015.01.06 | 稲森識視

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 子供たちはもう寝ているだろうと思いながら靴を脱いだ時だった。

「あなた、やっぱり何かいつもと様子が違うの、あの子……」

 ただいまを言う間もなく理恵子(りえこ)が駆け寄ってきた。子供たちを起こさないように声が抑えられていたが焦りがにじみ出ている。仕事の疲れから自然と眉間に皺(しわ)が寄った。心の端にあった心配事はこの瞬間に真ん中まで移動した。

「違うってどんなふうに?」

「寝顔が苦しそうなのよ。汗もかいてるし……。どこかで診てもらったほうがいいのかな?」

「ただ悪い夢を見てるだけじゃないのか? それぐらいなら誰にでもある気がするけど。それに診てもらうって言ったって何科になるんだよ?」

「分からないけど睡眠外来か……精神科。説明しにくいんだけど何かいつもと違うわ。嫌な胸騒ぎがするのよ」

 母親の第六感が、感じ取った異変をその表情に映し出していた。

「怖いこと言うなよ。昨日よりひどいのか?」

 悟(さとる)は昨日、出張先のビジネスホテルで理恵子からの電話を受けた。息子が汗を掻いて、うなされているという。時計の針は午後十一時を回っていた。激しくはないが小さな呻(うめ)き声を断続的に出しているらしい。時々、判別できない寝言も発しているという。山積みの仕事を片付けてようやくベッドに転がり込んだ直後だった。

 玄関から寝室まで足早に向かうと、大和(やまと)は確かに理恵子が言うように寝苦しそうだ。

「昨日と同じような感じ。九時頃に寝たんだけど……。しばらくするとこうなのよ」

「心配だな……真帆(まほ)はどうなんだ?」

「真帆は変わりないわ。よく寝てる」

 兄の横で寝ている娘はころんと寝返りをうった。

 鞄を食卓の椅子に静かに置いてネクタイを外す。自分の目で我が子の状態を確認すると不安が掻き立てられた。

「小学校に上がって二カ月だから不安があるのかもな。誰だって環境が変わると知らないうちにストレスがたまるから」

 また息子に目を向けた。大和の状態はさっきと比べると悪くはなっていないようだが、良くもなっていなかった。ここ三カ月ほどは寝顔しか見ていない。仕事だとは言っても子供たちへの申し訳なさがつのる。不安が疲れを凌駕(りようが)して休むことを許さなかった。

 大和の中で何かが起きているのかと思うと不安で落ち着かない。自然と質問が増えた。

「昼間は? 起きてるときはどうなんだ?」

「昼間は特に変わった様子はないわ。ただ、八時ぐらいに寝ないって何回か言ったのよ」

 昨日まではただ悪い夢を見ただけだろうと思っていた。だが、二日続けて同じ状態の大和を前にすると何かあると考えずにはいられなかった。悟の脳裏に、ある文章が記憶の倉庫から引き出される。 

 スーツ姿のままでパソコンの電源を入れた。

「ちょっと! また仕事する気? 大和がこんな時に! 心配じゃないの?」

 理恵子の声は怒りで幾分大きくなった。悟は向けられた言葉の心配していないという部分に腹が立ったが、できる限りやんわりと答えた。

「心配に決まってるだろ。仕事じゃない。見てもらいたいものがあるんだ。昨日、電話の後に大和の症状についていろいろ調べたんだ。気になる記事があるんだよ」

 昨日、電話をきった後に二時間もネットでその症状について調べていた。遠く離れた場所でできることは調べることぐらいだった。

「最近のビジネスホテルはどこもネット回線が敷かれてる。便利になったよ」

 しばらく二人は無言でパソコンが立ち上がるのを待っていた。

 悟は昨日見つけたブログを手早く表示して画面を指差した。促されて理恵子は悟の肩越しにモニターを覗き込んだ。そこには大和より二つ年下の男の子を持つ父親が書いた記事があった。食い入るように読み始めたのは文の先頭に書かれていた症状が大和のそれと酷似していたからだ。

「こんなこと信じられない。怪しいわ。だってこんなの治療でも何でもないじゃない」

 理恵子は呆れた様子で悟を見た。すると悟は黙ってキーボードを叩くと別のブログを表示してさっきと同じように画面を指差した。

「これも同じような内容なんだ。俺が二時間ネットサーフィンして育児に関するサイトを見ていたら、良く似た記事を三つも見つけたんだ。俺も最初は信じてなかったけど、この人たちは皆それで儲けようってわけじゃない。ただ自分たちに起こったことを日記に記しているだけだ。ほら、これだって広告やよくある販売サイトへのリンクが無いだろ?」

 確かに悟の言う通りだった。しかし、だからといって簡単に信じられる内容ではなかった。

「でも、やっぱり病院で診てもらったほうがいいと思うわ」

「うん。俺も病院で診てもらったほうがいいと思う。安心だしな。俺だって完全に信じているわけじゃないんだ。でも大和の状態によく似てるから気になって……」

「私も昨日調べたの。岡坂総合病院に睡眠外来があったわ。ちょっと遠いけど明日学校を休ませて行ってみようかしら」

「そうだな。頼むよ。明日はできるだけ早く帰ってくる。子供たちが寝る前には……やっぱり、一緒に晩飯を食えるようには帰るよ」

「そうしてあげて。もう二時よ。心配だけど今日はもう休んで」

 悟るは返事をすると重い体を引きずってシャワーを浴びた。

 いつものように大和の隣に寝転んで汗ばんだ頭を撫でた。小さな手を握るといつも一緒にいてやれない歯がゆさが込み上げる。何事もなかったらいいと思いながら眠りについた。