謙信、出陣する
この永禄四年(一五六一)には、関東を巡る情勢は著しく変化した。
まず、三月に上杉謙信は関東管領職として、関東の諸大名を引き連れ、十万の軍勢で北条氏の小田原城を包囲したが、攻め落とすことが出来ずに、鶴岡八幡宮に参拝して、越後に引き上げている。
一方、武田軍は、北信濃の最前線基地として、山本勘助に海津城を築かせ、そこに高坂彈正を駐屯させ、謙信の背後を脅かしつつあった。
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この永禄四年(一五六一)には、関東を巡る情勢は著しく変化した。
まず、三月に上杉謙信は関東管領職として、関東の諸大名を引き連れ、十万の軍勢で北条氏の小田原城を包囲したが、攻め落とすことが出来ずに、鶴岡八幡宮に参拝して、越後に引き上げている。
一方、武田軍は、北信濃の最前線基地として、山本勘助に海津城を築かせ、そこに高坂彈正を駐屯させ、謙信の背後を脅かしつつあった。