佐久侵攻戦
この「幻の戦い」の原型は、おそらく、天文十六年の八月の信州・佐久地方の志賀城攻めの際に行われた「小田井原の合戦」であろうと見られている。
もともと、武田家は信虎時代から、佐久地方に侵攻し、一日に三十六もの城を落とすなどの破竹の快進撃を行なっていた。
この地域のうち、南佐久を治める在地領主の大井氏は、早々に恭順の意を示したことから、信虎を追放して家督を継いだ信玄は、侵略の矛先を佐久から諏訪に変更した。
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この「幻の戦い」の原型は、おそらく、天文十六年の八月の信州・佐久地方の志賀城攻めの際に行われた「小田井原の合戦」であろうと見られている。
もともと、武田家は信虎時代から、佐久地方に侵攻し、一日に三十六もの城を落とすなどの破竹の快進撃を行なっていた。
この地域のうち、南佐久を治める在地領主の大井氏は、早々に恭順の意を示したことから、信虎を追放して家督を継いだ信玄は、侵略の矛先を佐久から諏訪に変更した。