第三章 老練のルーキー、謎の手腕──実力の見せ方
はじめに
これまで、我々は山本勘助サイドから、武田家への就職の経緯について眺めてきた。
しかし、就職後の勘助の活躍をトレースするにあたり、実は勘助の就職前の武田家側の事情や状況を把握しておかなければ、彼がどういう役割を期待されていたのかを、正しく理解することは出来ないだろう。
そもそも、戦国時代において、素性の知れない他国者が国家の中枢に仕官することは、今日の我々が想像する以上に困難だったに違いない。
なぜなら、たった一つのその目的のために、勘助の半生は?50年近くも虚しく費やされてきたのである。
特に、駿河では今川家への仕官を求めて、9年間も滞在し続けた背景には、その可能性を信じ続けることが出来る一縷の望みが存在していたゆえだろう。
その望みが絶たれた時、勘助は今川家を見捨てて、甲斐の若き国主の信玄(晴信)に賭けたわけであるが、当時の勘助の身になってみれば、果たして、信玄が信頼するに足りる人物かどうかは、実際に逢ってみて、自らが判断するしかなかったのである。
よく、就職は「お見合い」に例えられるが、信玄と勘助の面談は、結果的に双方にとって、幸運な出会いとなった。
その幸運には、双方のニーズの合致があって、初めて成立する巡り合わせに他ならない。
この章では、勘助を召抱えるに至った、武田家側の事情を解き明かすと共に、そうしたニーズを捉えて、新人の勘助がいかに自分の持てる力を発揮したかについて、客観的に眺めてみたい。
人は、自分を必要としてくれる環境にあってこそ、仕事に全力を尽くせるものである。
勘助が武田家において、いかに働けたかについて、重点的にウオッチしてみたい。