夢中になって、これからも何かをつくっていきたい―阿部 淳也|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

夢中になって、これからも何かをつくっていきたい―阿部 淳也

Era Web Architectsの今回のゲストは、株式会社ワンパクの代表取締役でクリエイティブディレクターをされている阿部淳也氏。企業のコミュニケーション戦略立案からものづくりにつなげてWebサイトやアプリなどを開発。今回は、自動車メーカー時代から広告代理店時代まで、自身のキャリアとものづくりとの関係を遡り、ワンパクを創業するに至ったいきさつについて語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

阿部淳也 プロフィール

野山を駆けまわり、フィジカルなものづくりに夢中になった幼少時代。機械や工業高校で工学系を学び、自動車メーカーに就職。20代半ばN.Yに留学中の友人宅で見たFlashに衝撃を覚えて、自動車メーカーの中でWebや映像制作の仕事に携わる。そこから広告代理店系プロダクションでFlashや映像コンテンツづくりに熱中したが、とあるクライアントとの出会いから事業やサービス、メディアづくりのほうに興味を持ち始める。その後、クライアントと一緒に考え、ものづくりまでワンパッケージでできる会社ワンパクを自身で創業する。


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フィジカルなものづくりに興味がありました

坂本:学生のころは何されていましたか。家にパソコンはあったんですか。

阿部:高校を卒業した18歳まで宮城県に住んでいました。子供のころから独立心が強くて早く社会に出たかったので工業高校に入り、大学へは行かず、東京の自動車メーカーにエンジニア職で就職しました。高校時代は特にやりたいことや、なりたい職業があった訳ではなかったのですが、バイクや車が好きだったので、工業高校で学んだ電気・工学系を活かせると思って入社しました。

父親が物理の高校教師だったこともあり、家にパソコンは置いてありましたね。当時はカセットテープで記録するやつですが、雑誌の片隅に載っていたベーシックプログラムで簡単なゲームをつくったりはしていました。しかしながら親がファミコンを買い与えてくれなかったというのもありますが、子どもの頃から機械が好きだったので、家にある電化製品をバラして怒られたり、不要になった家電を分解して遊んでいるほうが好きでした。それと、裏にある父方の実家が看板屋だったので、子供の頃からその工場で遊んでいて、看板に文字を描くのを手伝ったりたり、余った廃材で犬小屋を作るとか、とにかくフィジカルな遊びばかりしていたことを覚えています。釣りするならルアーをつくるとか、なにがしかつくりたくなっちゃうんですよね。

自動車メーカーでインターフェースをつくる

坂本:メーカーに入ってからパソコンで仕事するようになったんですか。

阿部:僕が自動車メーカーに入ったときは、手書きの時代から徐々に2DのCADが普及してきた時期で、UNIX端末でコマンドを打ってCADを立ち上げるとかはやっていたので、Windowsが普及する前からパソコンに触れる機会は比較的多かったと思います。もちろん手書きでも図面も引いていましたね。機械・プラント製図の国家資格ももっています。 入社当時は部署にMS-DOS端末が数台あり、一太郎をフロッピーディスクから立ち上げる時代です。入社して3年目くらいのときに社内にもWIndows端末が揃ってきましたが、まだOfficeが普及する前で、ドキュメントを作る仕事は、UNIX端末上でJStarというアプリでやっていました。

坂本:CADの仕事で何をされていたんですか。

阿部:車室内のコックピット周りの電装部品やハーネスの図面を書いていました。いわゆる人が操作するスイッチなどの設計です。配置場所やスイッチ自体のフィーリング設計など、言い換えると車の操作を司る部分=インターフェースの設計とデザインをやっていました。当然ながら図面を書いただけでは終わらず、試作品をつくって試作車に組み込んで検証、それを改善するところまで担当していました。

当時は車というハードウェアと人とのインターフェースを作っていましたが、今はWebやアプリ、イベント・映像など、つくるものは違えど、企業と人、人と人であったり、人とデバイスをつなぐための、インターフェースをつくり続けている感覚で、僕からするとやっていることは変わっていないんですよね。
 

Flashとの出会い

坂本:インターネットにはどういうふうに関わっていくんですか。

阿部:はじめインターネットは仕事や日常で触れることのほうが多かったです。会社のイントラやドキュメント管理で「ロータス・ノーツ」を使い始めるとかでしたね。会社でMacも使っていましたが、自分では牛柄の箱のWindows端末をボーナスで買って、ダイヤルアップでつないで、いろいろなサイトを見ていた記憶があります。

本格的に面白いなと思ったきっかけは、20歳からやっていたダンス仲間でシステムエンジニアの友達がいて、彼がニューヨークに留学に行っていたときに、彼の家に遊びに行ったんです。そのとき彼が現地のアルバイトでFlashアニメーションを作ったのを見て「こんなことが個人でできるんだ!すげー!」と思いましたね。

当時からHIPHOPやクラブカルチャーが好きで、フライヤーづくりとかグラフィックとかは少しやっていたんですが、インターネットとグラフィックが融合したFlashというツールで自分がつくったグラフィックが動くのを見て衝撃を受けました。まあ、この辺りは同性代の方は同じ感覚の方も多い気がします。

坂本:その後、自動車メーカーの中で異動されますね。

阿部:当時、色々な企業の中で情報システム部門の前身のような部署が起ち上がっていました。転職も考えたのですが、在籍していた会社もIT部門を起ち上げるという社内公募があり、そこで経験を積んだ方が良いという判断をして異動しました。当時はインターネット上にもそんなに情報はありませんでしたので、社内で詳しそうな人やオタクを寄せ集めていた部署でした。みんな試行錯誤して仕事の中で勉強していきました。Webの仕事もありましたが、展示会のパネルのデザインや映像制作などいろいろやりましたね。さらに、社内システムの開発など、情シスのような役割も担っていました。

当時はどんどん新しい技術やアプリケーションが出てきて、XVLやCult3DなどWeb3D技術が流行った時期がありり、研究開発で自動車の組み立てや整備を3D化できないかなど予算を取ってやっていましたね。まだまだネットワークや端末のスペックの問題もあり、結果的には実現できなかったのですが、インターネットの表現の面白さとサーバーやアプリケーションなどの仕組み面白さの両面を学ぶことができました。そこでの経験が僕自身の基礎になったことは間違いありません。
 

濃密な広告代理店時代

坂本:なぜそこから広告代理店に行かれたんですか。

阿部:高卒で入社して設計部門でもそれなりの経験を積めたし、IT部門に異動する際に入社10年を節目に転職を考えていました。子どものころからCMとか好きでしたし、当然ながらWebの可能性に魅力を感じていました。自動車メーカーでは出来ることに限界もあり、もっといろんな人に見てもらえるコンテンツづくりができないかと思い転職を決意しました。

当時、ビジネス・アーキテクツ社の信蔵さんや勇吾さん中心にどんどん新しいものを作っていたのを見て、自分もこういうのをつくりたいと思って、いろいろな会社の採用面接に行ったのですが、10社くらい落ちました(笑)。そんな中、唯一拾ってくれた広告代理店系の制作プロダクションにお世話になることになりました。

坂本:そこでは、Flashでのコンテンツ制作が中心だったんですか。

阿部:いえ、元々アパレルのクライアントが多く、簡単なスライドショーやアニメーションを使ったFlashサイトはつくっていましたが、とある野球チームのi-modeの公式サイトの構築・運用やミュージックビデオの制作などもやってた会社でした。

ただ、Flash全盛時代でもあり、様々な制作会社が尖ったコンテンツをいろいろとつくっていた(競っていた?)時期でしたので、僕自身もそういう仕事をとっていくようになりました。経験もコネもないところからスタートだったので、当時の仲間と一緒に寝ずに仕事した4年間でしたが、結果、人生の中でもかなり密度の濃い時間になりましたね。

坂本さんとの出逢いのきっかけにもなった、リクルート社の「スゴイ地図」は、個人的にも転機になった案件です。Flashの地図情報サイトを作ろうというもので、世界初のFlash地図サイト(サービスアプリケーション)をつくったという自負があります。GoogleがAjaxで地図サービスをやりはじめた時期に、Flashで地図サービスを作るという無謀なことに挑みましたが、表現的にも技術的にもハードルを乗り越えながらチームでつくっていくプロセスが本当に楽しかったし良い経験になりました。
 

一緒に考えながらものづくりをする会社

坂本:そこから創業のいきさつを教えていただけますか。

阿部:広告キャンペーンなどの短期プロジェクトが多い中、不眠不休でつくっていたこともあり、自分たちのクリエイティビティがすり減っていく感覚がありました。 その中で出会ったクライアントとある程度の期間をかけながら、事業・サービス立ち上げ、そこから改善しながら育てていくという仕事をやらせてもらいました。そこから、「あ、自分がやりたいことはそういうことなのかも」と思い始めたんです。社会の課題や企業のビジネスを解決する事業やサービスをつくるほうが、自分には合っていると思うようになりました。

当然ながら、そういう仕事はつくるだけでは成立しなくて、最近だとUXとかサービスデザインとか言われていますが、併走しながら一緒に事業・サービスを考え、そこからつくりあげていく、運営していく、そんな、ものづくりができる会社をやろうと考えました。

あと、起業当時は、Flashなどで尖ったサイトをつくる会社は当時めちゃくちゃあったんですが、そうした人達にずっと張り合い続ける自信はないなと思ったんです。マーケティング的に言えばレッドオーシャンです。そこで勝負していくのはしんどいなと考えました。

当時はUXやCX、サービスデザインなどの言葉も存在しておらず、コミュニケーションやサービス戦略から、ものづくりまで「ワンパッケージでやれる会社」にできたらと考えました。そのためには、プロセスをデザインできること、戦略や要件をメソッドを使って決めていけること、さらに、フィジビリティを踏まえたクオリティの高いものづくりをした上で、世の中に出し、きちんと育てていくような会社になればと思い、ワンパクを起業しました。
 

夢中になって、これからも何かを作っていきたい

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

阿部:これから活躍していくであろう、20~30代の若い人たちからすると、僕らの世代はもうおじさんなのですが、もう少し僕らの世代と、若い人たちがつながるような場をつくりお互いの価値観や考えを共有できたらいいなと思っています。今回のEra Webのプロジェクトも、世代が違う人たちを集めるようなカタチになるといいなと思います。

Webに限らず、何かに夢中になれることは素晴らしいことだと思っています。僕らのときには、たまたまWeb黎明期でFlashがあったりして情報には不自由な時代だったのですが、熱量とか集中度とかは無駄に半端なかったかと思います。

何かに夢中になって、悩んでもいいし失敗してもいいので、何かをつくるということをどんどんやっていけばいいかなと思います。僕もまだまだ負けたくないので、いろいろチャレンジしたいなと思います。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #20(ゲスト: 阿部 淳也)
https://www.youtube.com/watch?v=hSOnunr9v8U

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。