2021.08.24
スペクタクルの悪いほうから抜け出さないといけない―上野 学
Era Web Architectsの今回のゲストは、ソシオメディア株式会社でデザインコンサルタントをされ、ご自身でもデザインされている上野 学氏。アメリカの大学に留学したときの経験から、DTPからWebデザイン、そして現在のOOUIにつながるキャリアの変遷と、当時の数々のエピソードを語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)
上野 学 プロフィール
大学はアメリカに留学。ファインアートを専攻し写真を撮っていたが、Photoshopの存在を知り衝撃を受ける。帰国後、父親の印刷会社でDTPを担当し、Webの世界に見せられアクセス株式会社に転職。そこでアップルジャパンのWebサイトを担当し数多くの経験をし、篠原氏とソシオメディアを立ち上げる。大手企業のユーザビリティ調査やデザインコンサルとして従事し現在に至る。著書『オブジェクト指向UIデザイン』などがある。・Twitter (https://twitter.com/manabuueno)
・Facebook (https://www.facebook.com/manabuueno)
漫画家になりたかった
坂本:どんな学生だったんですか。
上野:明治時代まで遡ると、ご先祖は伊賀者(忍者)だったらしいです。曽祖父さんが実は活弁士だったらしく、明治時代に有名な浪曲師である桃中軒雲右衛門の門下だったらしいです。お祖父さんは戦争ですぐに亡くなってしまい、父親は戦災孤児みたいになってその後は、文房具屋や印刷関係の仕事をしていたみたいです。
なので、ありがちなんですが、小学校のころは漫画家になりたかったんです。漫画を書くためには道具が必要と知り、どうしてもほしかったのが羽箒です。父親に買ってきてもらい、これで漫画家になれる、羽箒を持ってる俺、という小学生時代ですね。
あと、プラモデルもやってましたね。当時、父親が1年くらいかけてゆっくりプラモ(艦船)を作っていたんですが、大破する事件があったときに父親が「プラモは作っている間が楽しいんだから」と強がりを言ってたのを覚えています。反対に、とにかく早く作る友達がいて「丁寧に作ってたら、なかなか出来上がんないからつまんない」と言ってましたね。作るっていうのは面白いなと思いました。
アメリカに留学して、病みました
坂本:大学とかはどうでしたか。
上野:映画が好きだったこともありアメリカに行ってみたいと思い、高校卒業してアメリカの大学に留学しました。インディアン(アメリカ先住民)に興味があったのでインディアナ州に行ったんですが、留学して病みましたね。高校出てすぐのタイミングで外国に住むのは難しかったです。
ファインアートを専攻して写真を撮っていたんですが、当時はアナログで現像したりもしていました。本当は、バンドマンか小説家になりたいと思っていたので、日本から日本文学の本を大量に取り寄せて、ずっとそれを読んでいましたね。夏休みとかが長かったので、そのときだけ日本に帰国していろいろバイトはしていたんですが、留学しているときに父親が亡くなったので、それを期に帰国しました。7年くらいいましたね。
帰国してDTP要員に
坂本:帰国してから進路とかは迷われましたか。
上野:25歳くらいで帰国して、父親がやっていた印刷系の会社に拾ってもらい入りました。ちょうどDTPを導入する時期だったのでDTP要員としてです。たまたま会社にパソコン関係の掲載誌が全種類あったので、全部読んでましたね。
坂本:インターネットにはいつごろから関われるんですか。
上野:DTPをしていてモヤモヤしていたことが、QuarkXPressで作っているんですが、プレビューでしかなくて実際の仕上がりはわかりませんでした。コンピューターでデザインしているけど最終的なカタチが見えてこないことがすごく嫌で、パソコンでインターネットにつないでWebを見たときに、作る環境と見る環境が一体のほうが自然だしわかりやすいと思ったんです。
そのときに見ていたアップルジャパンのホームページで、当時制作会社の名前(アクセス株式会社)がページの下にクレジットされていたので、そこに入りたいと思っていきなり連絡して転職しました。
アップルジャパンのホームページ担当
坂本:それでアップルジャパンのホームページを担当されることになるんですね。
上野:Webのデザイナーとして入りました。当時は、デビット・シーゲル氏のWebデザインの手法など本でよく勉強していました。Webに特化した会社でもあったので、みんなすごい人たちばかりで、いろいろ教わりました。アップル好きだったこともあり、アップルジャパンのホームページ担当に入れてもらいました。
今でこそ、ワールドワイドでプロモーション用の画像リソースとかが統一されていますが、当時はなかったので日本独自の画面をつくって公開していたりもしていましたね。テキストをきれいに画面で表示させたいとかになると当時はみんな画像にしてたんですが、アップルのあの感じをカタカナにしないといけないと思い「Apple Garamond」に合う書体を選んで、自分たちでデザインを作ってましたね。
坂本:一番覚えていることはなんですか。
上野:iMacのプロモーションを一番覚えていますね。プロモーションの画像リソースが本国から届かないということになり、自分たちで本国サイトからコピーして作ったりしていましたね。リリース時には、アクセスが集中してFTPで本番サーバーにファイルがアップロードできない、という状態でした。
あのときは道歩いてても「アップルのサイトは、俺が作ってるんだぜ」といつも思っていましたね。
ソシオメディアの立ち上げ
坂本:そこからソシオメディアに行かれるんですか。
上野:アクセス社が事業縮小することになったので辞めたんですが、同僚だった篠原さんといっしょに、そういうユーザビリティとかインフォメーションアーキテクチャの会社をやろうと思って作りました。当時の大手企業のWebサイトは全部やったんじゃないかと思うほど、ユーザビリティ調査とかエキスパートレビューとかをしていましたね。
坂本:執筆とかもされていましたね。
上野:篠原さんが、シロクマ本の翻訳本を出したりとかニールセンの専門書を出したりして、啓蒙活動をやっていました。2001年でソシオメディアをはじめたときは、会社のプロモーションもあったので、何本も連載を抱えたライターのような仕事をしてましたね。一番書いていたのは『Web Site Design』です。トキワ荘みたいにみんな好きなことを書いていました。我々としては、デザインのジャンルがあるんだよ、ということを当時から啓蒙してきたわけですが、今はそれが認知されてデザイン市場ができたと思いますし、時代が追いついてきた感じがしますね。
オブジェクト指向UIデザインの本
坂本:OOUIの本を書くキッカケや経緯を教えていただけますか。
上野:2020年に『オブジェクト指向UIデザイン』(技術評論社、2020/6)という本を出しました。UIデザインをオブジェクト指向でやりましょうという内容なんですが、20年前から仕事の中でもずっと言ってきたことでもありますし、考え方自体は1970年代からパソコンが生まれてくる歴史の中で言われてきたことなので、新しい話題でも新しいノウハウでもありません。
これだけUIデザインとかデジタルプロダクトのデザイナーが増えたにも関わらず、あまりそれを自覚されていないことに気づいたんです。また、巨大な業務系システムや社会インフラの現場にはそういうデザイナーがいないことを目の当たりにしてきたので、これはまずいでしょうと。当時、「WEB+DB PRESS」で記事を書いたときに執筆依頼があり作りました。
ミュージシャンから作家に転向したい
郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをするでしょうか。
上野:たぶんコンピューター系はやらないかなと思います。もともとあまり興味はなかったのと、たまたまWebデザインの黎明期にフロンティアを見つけることができてやってきた流れがあるので。どっちかと言うと、そのフロンティアみたいなものがないのであれば、別にやんなくていいのかなと思いますね。作る、創作する、制作をする、という仕事をするとは思いますが。
やっぱり、音楽家、バンドマン、ミュージシャンになりたいですね。「いろんな芸術の中で、音楽こそが本当の芸術である」というようなことも萩原朔太郎は言っていて、だからこそそれを生業にすると身を持ち崩すので危険だと。音楽は一番純粋な体験ですし、音楽を聴いたときに影響される直接性って、ほかの表現系にはないものだと思うので、音楽を仕事にするというのはすごく憧れます。でも音楽だけだと廃人になるので、そこから作家に転向するというのが理想のキャリアパスですね。自分が若い頃にひたすら心酔していた文学作品みたいなものを書くような立場になれたらいいなと思います。
スペクタクルの悪いほうから抜け出さないといけない
坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。
上野:デザインとはこうあるべきとかの話題をSNS等でよく見かけるんですが、何のためにデザインするかというところが大事だと思うんです。ユーザーが無意識に誘導されるようなナッジ的な情報も多く、事業者はものすごい勢いで研究し実装されてきています。ほとんどの一般の人はそういうことを知らないで、盲目的な消費サイクルに取り込まれていると思うんです。これはまずいんじゃないかなと思いますね。
高度資本システムの社会の中では、なにか面白そうものや楽しそうなものにはスペクタクルがあると言います。デザイナーは事業者から仕事を請け負ったり雇用されるので、そういった悪いスペクタクルを作る側にいるんです。本来デザイナーは、そうしたデザインに対してダメですよとか言えないといけないし、それを言うのがデザイナーの本来の役割じゃないかなと思います。デザイナーになりたい人は、そういうスペクタクルの悪いほうから抜け出さないといけないと思います。
この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #33(ゲスト:上野 学)
https://www.youtube.com/watch?v=3tfajitcwrc&t=3922s
Era Web Architects プロジェクトとは
『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。
・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)
インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。
郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。