人が使うものを作りたい―佐藤伸哉|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

人が使うものを作りたい―佐藤伸哉

Era Web Architectsの今回のゲストは、UXや情報設計のスペシャリストとして大規模なWebサイト構築やグローバル戦略案件での経験が豊富な佐藤伸哉氏。海外での学生生活や外資系企業への参加、メーカーからスタートアップまで幅広く活動されている佐藤氏に、これまでのキャリアの変遷について語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

佐藤 伸哉 プロフィール

中3から高2の夏までベルギーで過ごす。現地でApple IIcの魅力に触れ、プロダクトデザインを学びたくて神戸芸術工科大学に入学。工業デザインのほか視覚情報デザインも学ぶ。OKIに入社し、海外視察を機に退社し、インタラクティブデザイン会社の設立に参画。その後、デジハリの米国サンタモニカ校に留学し、CGモデラーを志す。2000年に帰国し、複数の外資系Eビジネス構築企業を経験してから日本のWeb制作会社ビジネス・アーキテクツ(bA)に転職。大規模案件の経験を経てソニーのクリエイティブセンターに転職し、Android開発やモバイル戦略を行う。その後、米国のスタートアップに参加したのち個人でも起業しながらAKQA、ボストンコンサルティンググループなどを経て現在に至る。


・Twitter (https://twitter.com/nobsato)

Apple IIが欲しかった

坂本:パソコンとの出会いとかそのあたりはいかがですか。

佐藤:小6のときに『こんにちはマイコン』という漫画があり、パソコンに興味を持ちはじめました。中学に入って裕福な友達が「Apple II」を持っていたので「ウィザードリィ」とか「ウルティマ」とかのゲームを見て感動してました。そのころからそういう本とか雑誌を見ていました。お年玉でNECのパソコン(PC-6001 mkII)を買い、雑誌『I/O』の巻末のプログラムを打ち込んでゲームを動かしたりもしていました。当時渋谷にあったJ&P(PCショップ)にApple II J-plusがあったので、毎日のように通って遊んでました。

中3のとき、親の赴任で急に海外(ベルギー)に行くことになりました。英語が全くできなかったので毎日とにかく大変でした。高1ではコンピュータクラス(プログラミング)が必須だったのですが、すでに触っていたこともあり、その部分では楽でした。数学やアートではAdvancedクラスも取っていてスイスのアートセンターの推薦をもらえるくらい評価はしてもらえてましたが、高2が終わった夏に再び突然帰国になりました。
 

アートではなくデザインがしたかった

坂本:大学からデザイン系に行かれるんですか。

佐藤:はい。現地の高校ではApple IIeとか触っていて、ドイツのフロッグデザインがApple IIGSとかApple IIcというカッコいいデザインをしていて、そういうのを見ていたのでプロダクトデザインに興味を持ったのかも知れないです。なので、美大でアートをするのではなくて、とにかく「デザイン」がやりたいと思って、神戸芸術工科大学という新設の大学に行きました。バイトとかは、学校のコンピューターラボと図書館でしていました。コンピューターラボにはMacintosh やソニーのNEWSがあり、生徒がいなければ触り放題でした。

大学2年のときに、視覚情報デザイン学科の選択授業も受けるようになり、そっちの学科に入り浸っていました。当時はマルチメディアや仮想現実が盛り上がっていたこともあり、卒業制作はバイトでお金を貯めて買ったMacintosh SE/30で映像編集をしてインタラクティブなコンテンツを作りました。工業デザイン学科の先生方にはまったく評価されませんでした(笑)。
 

アメリカ視察とWebデザイン会社立ち上げ

坂本:そこから就職するんですね。

佐藤:ソニーに行きたかったのですが、残念ながら落ちてしまい、結局、OKI(沖電気工業)のデザイン会社に3DCADデザイナーとして入社します。CAD/CAMとかしていました。Macにも強かったので、社内の情シスみたいなこともしていました。高度な3Dソフト(Aliasなど)を見る機会もあり、当時何千万もするシリコングラフィックス社の3Dシステムの導入計画もしていました。

入社2年目に、他社メーカーの部長さんたちとアメリカに企業視察に行くことになるんですが、ヤバかったです…。10年くらい日本が遅れていることを肌で感じました。MITメディアラボやBoston Dynamics、TimeWarnerのインターネットテレビの実証実験とかを視察しました。SIGGRAPHやMacWorld EXPOにも参加しました。帰国後、数千円のソフトの更新費用が社内稟議で通らず「このままじゃダメだ」と思い、会社を辞め、その会社の先輩とインタラクティブデザインの会社をはじめました。

起業してベンチャーやったというより、CGを主軸にインタラクティブなデザイン業務をしていた感じです。当初は4人でしたが、CD-ROMを作ってMacWorldエキスポに出したりとかもしていました。94年末からネット系の仕事をやりはじめて、95年には日本初のECサイトに携わったりしました。開発もすべて全部自分たちでやっていたので楽しかったです。ただインターネットをしたかったわけではなかったので、会社を成長させることと自分がやりたいことが合わなくなってきたのがストレスで会社を辞めました。
 

外資でIAを体系的に学ぶ

坂本:そこからどうされたんですか。

佐藤:デジタルハリウッドが、サンタモニカに3DCGの学校を作ると知り、杉山先生に直接相談してアメリカに1年間行くことになります。Aliasが使えるということで、親にお金を借りて1年間学びました。卒業制作の作品はSIGGRAPHをはじめ様々な賞をもらったので、CGモデラーになるため追加で1年間粘りましたが、就労ビザの関係もあり諦めて帰国します。

ちょうど帰国した2000年に、iXLが日本にオフィスをつくるというので入社しました。iXLには全世界でIAが400人くらいIいたんですが、イントラには各オフィスのIAプロセスの資料があり、当初プロジェクトが少なかったので、ずっとそういうのを見てました。

そこから、次に競合のセピエントに行くんですが、そこはもっとしっかりしていて、IAに関する手法や方法論、プロセスなどはほぼすべて整理され尽くしていました。その後、レーザーフィッシュに入ったときには、そういった知識をもって各国のオフィスとやりとりしだしてネットワークができてきた時期です。そのころ、IAサミット(国際会議)が始まるんですが、登壇者が同僚だったりしていたので情報も直接入る関係性でした。
 

bAで大規模案件に従事

坂本:そこからbAに行かれますが、キッカケはあったんですか。

佐藤:代表の福井信蔵さんのイベントの後に直接コンタクトをとってガイドラインを見学しにいったのですが、行ったら「いつから来れるのか」という話になり、IA勉強会をすることになりました。まずは僕から今まで学んだことを棚卸ししてお話したんですが、結局二回目が開催されることなく入社することになりました。bAには5年半くらいいて、大規模案件を担当していました。

グローバルのサイト戦略や、世界数十各国・数百サイト規模の実装プロジェクトを担当していたんですが、bAはWebの会社だったのでWebの領域以上ができないというジレンマに襲われ悶々としていました。海外の大学院に行くか転職するか悩んでたのですが、知人からソニーに誘われる機会があったので転職します。
 

ソニーでの経験

坂本:ソニーではどういうことをされたんですか。

佐藤:ソニーのクリエイティブセンターでは、配属されてすぐにアメリカに出張で3カ月くらい行ってました。アメリカではWindows Phoneのプロダクト開発に参加してモバイルアプリの設計に関わっていたんですが、途中でプラットフォームが終わり帰国します。ソニーグループ全社を立て直すプロジェクトに参加することになり、事業戦略やプラットフォーム戦略に関わりました。

ソニーがGoogleと協業してAndroid関連の開発をしていたこともあり、外に出ないとわからないことばかりでしたので、「日本Androidの会」のコミュニティに参加したりして吸収していました。Xperiaが出て落ち着いてきた時期に、当時Seesmicというサンフランシスコの会社の日本語版アプリの開発を個人的に手伝ってたこともあり、ソニーを辞めてSeesmicにジョインします。

その後、個人で起業した後にAKQAの東京オフィスの立ち上げに参画して、海外プロジェクトを日本から手伝ったりしました。
 

スタートアップ的にやってるんじゃないかな

 郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをされるでしょうか。

佐藤:多分、同じようなことをやってると思います。ただ、「インターネット」って特別なものではなくて、たまたま(当時は)あったのでそれをやっていただけだと思います。

「(特別な)技術を使ってものを作る」とか「人が使うもの(技術)を作る」という部分で、自分がすごいアウトプットを出せるとかに長けているわけではないので、それを作るチームのサポートとか、プラットフォームの仕組みとか自分ができることをやる感じだと思います。

昔に比べると、会社を作るのは楽(若くても簡単に起業できる)なので、スタートアップ的にやってるんじゃないかなと思います。お金も(当時に比べて)ぜんぜん集めやすいし、ベンチャーというか自分が考えていることでやって失敗して(またやる)っていうのをやってるんじゃないですかね。
 

他人と違うことをしてがんばってほしい

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

佐藤:「やりたいことをやったらいいんじゃないですかね?」今って、すごく情報とか簡単に手に入るので、自分で使ったりしっかり理解していない状態で、表面的な部分だけでわかった気になっている感じもするので、そうじゃなくて自分でトコトンやるというか、もっと吸収してやったほうがいいのに、と思います。

あと、ネットでもよく見かけるんですが、(間違っていても)声の大きい人が正しいみたいになってしまっているのがもったいないです。誰かがこうしたから自分もそうするとかじゃなくて、他人と違うことをがんばってみて、10年後や20年後に役立つようにすればいいんじゃないかと思います。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #31(ゲスト:佐藤伸哉)
https://www.youtube.com/watch?v=fmtWXhG1y3A

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。

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