たくさんの映画や小説に触れて欲しい―住 太陽|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

たくさんの映画や小説に触れて欲しい―住 太陽

Era Web Architectsの今回のゲストは、SEOの第一人者である住 太陽氏。SEOコンサルタントとして、集客の問題解決から地方企業の支援を中心に活動している。Web制作やコンサルティングの仕事をする一方で、映画好きや小説など違った一面も覗かせる。今回は、ご自身のキャリアの変遷をWebの歴史と合わせて振り返り語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

住 太陽 プロフィール

千葉県出身。小学生のときから映画を見まくる無類の映画好き。フリーターをしていたときに骨折して入院し、そのときに勉強したWebを仕事に単身大阪へ。独学で学んだ検索エンジンについて、日本ではじめてのSEO本を書き、執筆や講演も多数。SEOを中心としたWeb制作の仕事から、マーケティングなどのコンサルティング領域にシフトしていき、外部顧問や社外取締役なども務める。現在は関東に戻っている。小説『他人の垢』で第19回堺自由都市文学賞を受賞。



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映画と小説を見まくる日々

坂本:どちらの出身でしたか。学生のころはどんな感じだったんですか。

 住:千葉県出身です。Webの仕事をし始める頃までは千葉にいました。映画が好きでよく見ていました。コレといった偏りもないので、数千とかの単位で映画を見まくっていました。小説も同様で、千葉大の近くにあった古本屋さんの「5冊100円」コーナーにあった本を端から買っては読みふけっていました。
 

交通事故、骨折が転機に

坂本:その会社では何をされていたんですか。

 住:長らくフリーターでした。倉庫内でアルバイトをしていたときに交通事故で骨折してしまい、長期間バイトを休んで自宅療養することになりました。そのときに焦ってWebを勉強したんです。(骨折などの怪我で)動けない時期があってもできることを見つけないとヤバい、というのが動機で勉強し始めました。

当時はWebと言っても、テキストエディタとブラウザがあればできてしまう世界だったので、独学で勉強しましたね。当時はWebを教える学校がないことはもちろん、有用な本などもほとんどなかったため、テレホーダイの時間帯に海外のサイトにアクセスして勉強しました。毎日徹夜です。
 

Webの仕事がはじまり大阪へ

坂本:そこからSEOを仕事にするようになった。

 住:SEOに出会ったきっかけは、あるときクライアントに「自社のWebサイトがロボット型検索エンジンに表示されないので表示されるようにしてほしい」と依頼されたことでした。当時主流だったロボット検索のうちInfoseekやLycosのインデックスは登録制で、URLを申請すると翌日から数日後に反映されるような仕組みでしたので、検証を繰り返して上位を狙っていくというような感じでしたね。

Web制作の仕事で独立して半年くらいのうちにこんな状況になりましたので、Webの仕事といえばSEOというくらい、僕にとっては切っても切り離すことができないものでした。それから徐々にWebの仕事が増えてきたので法人化し、大阪の親戚の空き家が借りられるタイミングでもあったので、思い切って大阪のほうに引っ越すことにしました。
 

SEOの本を執筆

坂本:SEOの本を書かれたのもそれくらいの時期ですか。

 住:はい。当時まだ「SEO」という言葉はなく「Search Engine Placement」とか「Search Engine Positioning」という言葉が使われていました。 日本で最初に「SEO」というタイトルで本を出したのは僕で、著書タイトルは『アクセスアップのためのSEOロボット型検索エンジン最適化』(エーアイ出版、2002/9)です。

まだSEOそのものの存在が知られていなかった頃でしたので、書籍の編集者ですら理解しきれていませんでした。そこで、当時の技術を駆使してデモを披露したんです。具体的には、特定のサイトの検索結果が見えるようにして、技術とその効果を表現しました。それが刺さったらしく本を執筆することになります。

その本が出た頃から、講演や執筆の仕事など、Web制作以外の仕事も増えていきましたね。
 

Web制作からコンテンツマーケティングへ

坂本:仕事はどういうことをされていたんですか。

 住:講演や執筆なども幅広く手がけてはいたものの、仕事の中心はごく普通のローカルな中小企業のサイト制作でした。業者を探す手段が職業別電話帳からWeb検索へと移り変わっていった時期でしたので、昔であれば電話帳で集客していたような業種のローカル企業の仕事では、特に大きな成果が得られました。

会社は人も増えていきましたし、仕事の内容は、Web制作中心からマーケティングなどのコンサルのほうに徐々にシフトしていきました。企業の外部顧問や社外取締役などをしたりして人脈も広がっていきました。

その後、会社は解散して、今は関東のほうに戻ってきてコンサルタントをしています。
 

そのときにできることをしている

 郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをされるでしょうか。

 住:僕がWeb業界を選んだ理由は、骨折などで身体が自由に動かなくてもできる仕事であることと、業界の歴史がなく業界内に偉い先輩がいないこと、というものでした。もしこれから仕事を選ぶという場合でも、同じ基準で選ぶ可能性は高そうです。Web業界は現状すでに情報量も多く、諸先輩方もたくさんいるので、今からなら選ばないと思います。

どんな仕事を選ぶかは、仕事を選ぶ時期にどんな新しい仕事があるかによって変わってくると思いますね。
 

人間に対する想像力を鍛えておいてほしい

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

 住:僕は、映画をたくさん観た時代があったからここまで来ることができたというのがあると思うんです。小説もたくさん読み、自分でも書いて小さな文学賞をもらったりもしています。映画や小説の共通点は、人間に対する想像力が鍛えられることです。ある人物が、特定の状況に置かれたとき、どう行動するか。こうしたことを緻密に想像する力が、今の仕事にも活きています。

ですから若い人には、たくさんの映画や小説に触れて欲しいと思います。もちろん、ただ漫然と映画をたくさん見るとか本をたくさん読むのではなく、多様な登場人物がそれぞれの行動に至る背景や動機について自分なりに分析しながら見たり読んだりすることが大切です。また、働き始めてからだと、どっぷり漬かるだけの時間は持てないと思うので、働きはじめる前からやっていることが重要でしょうね。
 

この記事は、オフラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編は非公開となります。ご了承ください。

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。