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Era Web Architects プロジェクト

Webの領域はひとつの素養として活用してほしい―井登友一

Era Web Architectsの今回のゲストは、株式会社インフォバーンで取締役/デザイン・ストラテジストの井登友一氏。サービスデザインやHCD-Netなどでも活動され、ご自身でも学会や研究会での発表が多数。今回は、音楽漬けの学生時代からご自身のキャリアの変遷を振り返り、現在につながる取り組みや経験について語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

井登友一 プロフィール

中学、高校と吹奏楽部。映画で観たジャズにあこがれ大学でもジャズ研に。一方で、高校でジャーナリストを志し、同志社大の新聞学専攻で今につながる社会調査などを学ぶ。その後、先進的なデザイン会社に入社してマーケティング・リサーチなどに従事し、米調査会社から「ペルソナ」について学ぶ。市場がWebにシフトしていく中でできたさまざまな繋がりと、転機となったインフォバーン京都支社、デザイン専業部門であるINFOBAHN DESIGN LAB.(IDL)を立ち上げ。学会や研究会での発表も多数あり、現在に至る。

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音楽ばっかりやってましたね

坂本:学生のころは何されていましたか。打ち込んでいたものとかありますか。

井登:中学、高校と吹奏楽部で楽器をやっていましたね。音楽ばっかりやってました。原体験は、父親と観に行った角川映画です。中1のときに映画館で栗本薫さん原作の『キャバレー』という映画を観たときに、野村宏伸さん演じるサックス奏者の主人公が孤高な感じでカッコいいなあと思って。そういう大人っぽい音楽をしたいなと思って、当時レンタルレコードを借りてジャズを聴いてました。それでどんどん音楽が好きになっていって、大学のときにはジャズ研に入りました。
 

ジャーナリストっていいなと思ったんです

坂本:文学にも明るいイメージがありますが、学生時代からですか。

井登:高校時代、古本屋に行くのが好きで、偶然ある日、本多勝一さんのルポのシリーズを読んだんです。いろいろ読んでいくうちに、ジャーナリストっていいなと思ったんですよ。でもジャーナリストになるにはどうしたらいいかわからなかったので、当時の高校の先生に相談したときに同志社大学には新聞学専攻があると聞いて決めました。文学部、社会学科、新聞学専攻だったので、社会学領域の勉強をしていき興味を持ちましたね。そこからです。社会調査士の資格向け講義とかフィールドリサーチみたいな座学とかも学んでいきましたので、今やっているところには繋がっているかも知れないですね。
 

マーケティング領域の仕事を見つける

坂本:就職時に情報収集でインターネットとかは使っていましたか。

井登:インターネットはまだないですね。ニフティサーブのフォーラムとかはあったんですが、自分ではパソコン持ってなかったです。大学の図書館でDOSのコンピューターはあったので触ってはいましたが、いわゆる情報検索ができるレベルではなかったですね。社会人1年目のときにWindows 95が出ているくらいのタイミングです。

就職活動は遅くて、当時はまだ新聞記者になりたいという気持ちもあったので、何社かは新聞社を受けましたね。でもまわりが優秀だったので1社も最終面接までは行けなかったです。そんな中、雑誌で求人情報を集めていたときに、面白そうな仕事ないかなと思ったのがマーケティング領域の仕事だったんです。企業のブランドプロモーションだったり刊行物作ったりといった仕事は面白いなと思って、応募して新卒で入ったのが現在の株式会社mctです。

坂本:どういう役割で仕事をされていたんですか。

井登:新卒で入って数年は営業的なことや企画を持ち込んだりしていたんですが、Macの環境だけは当時からすごくて、デザイナーはみんなMacで仕事をしていて、市場が一気にDTPに流れていく以前からDTPの環境の中で仕事をしていましたね。

DMのデザインパターンをいくつか作って、効果がよかったパターンを採用するということを今でいるA/Bテストのようなことをアナログでやっていました。マーケティングリサーチの専門会社は当時もあったんですが、制作会社が効果検証をして次の企画に活かすようなことは他の会社ではやってなかったので結構需要はありましたね。そこで、リサーチを活用したデザイン部署を立ち上げるという話になり、そのあとのペルソナデザインを持ち込むような取り組みに繋がります。
 

Webの仕事にシフトし、HCD系のつながりもできました

坂本:ご自身でもデザインをされていたんですか。

井登:インターフェースのデザインまではしてなかったですが、情報設計(当時でいうワイヤーフレームのようなもの)をして検証ポイントをパターン化したりはやっていました。2000年に入るくらいには、カタログのDTPデータをマルチメディア化して、その情報をWebサイトにしていく流れは自然にありましたので、初期段階のWebサイトの企画や設計をしていましたね。
はじめは、デザイナーが手探りでHTMLとかを勉強していたんですが、手に負えなくなってきてWebやデジタルに強い会社と組むようになったんです。それくらいの時期にコンセントの長谷川さんとも会っていますね。

坂本:コミュニティと繋がりができたのがその時期ですか。

井登:当時、Forrester Research社のレクチャに参加するんですが、そこでデザインペルソナを教えてもらい、日本でもデザインペルソナを活用すれば根拠のあるデザインができるなと思い勉強をしはじめた時期でした。日本におけるHCDの初期でしたので、いろいろ知り合いが増えていき情報交換をしていきました。bAとかへも行ったり、ちょっとずつコミュニティに参加していった時期ですね。
 

デザインペルソナからインフォバーンへ

坂本:どんなプロジェクトをしたか事例はありますか。

井登:ペルソナを起点にデザインしていくプロジェクトを日本で広めていこうと思っていたとき、早い段階から興味を示してくれた某住宅メーカーがありました。建築家がデザインした規格型住宅をWebで販売するという、当時ではチャレンジングなプロジェクトだったんですが、万人受けする訴求ではダメなので、僕らのペルソナを活用したHCDデザインの考え方とぴったり合致した事例でしたね。

坂本:そこからインフォバーンに行くキッカケは何だったんですか。

井登:当時、音楽仲間がいて、その彼がインフォバーンにいたんです。あるとき居酒屋で雑談していたときに、当時から知っていた代表の小林弘人さんの話になり、関西支社を計画しているという話で盛り上がりました。ちょっとしてからすぐに連絡があり、実際に話してみませんかという流れになり会いに行ったんです。

当時の僕にとって小林弘人さんはアイドルでした。『WIRED』日本語版の創刊をされていたことを知っていましたし、雑誌の装丁もカッコよかったのを覚えています。
 

インフォバーン京都支社の立ち上げ

坂本:インフォバーンの京都支社の立ち上げがありますね。

井登:当時、仕事に不満はなかったのですが、当時は数年間東京で単身赴任をしていて、そろそろ関西に戻ろうかと思っていたことや子供が幼稚園に入る時期だったこともあり、小林さんとの話を機に転職を決意しました。今思えばすごいことですが、イチから拠点をつくる機会もそうそう巡ってこないと思ったので、いい機会に恵まれました。ただ、おかしかったのが本当にゼロからで、関西エリア周辺でのお客さんをつくるところからでしたので、紹介してくれた友達と2人で営業からはじめましたね。支社をつくってから3カ月目くらいではじめてお客さんに請求書を出すまでは、夜も眠れず不安な日々を過ごしました。

坂本:学会とか論文とかは昔からやられていたんですか。

井登:昔からじゃないです。山岡俊樹先生(当時は和歌山大)とのご縁で、その後京都女子大での非常勤講師などもさせてもらっていますので、感性工学会とかデザイン系の研究会での発表をする機会をいただけたのと、HCD-Netでの活動に参加しだした時期からですね。

先行研究も理解したうえで実務に活かし実務で経験したことを成果として発表することで、両方できるようになりたいなと思ったのがキッカケです。
 

歴史都市で文化に浸かって生活してみたい

 郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをされるでしょうか。

井登:20歳のときはいろんな興味があったけど音楽ドップリだったので、今その頃に戻れるのならいろんな人や情報に触れたいですね。貪欲になっていると思います。

あと、留学したいですね。歴史都市みたいなところ、ヨーロッパとか中東とかトルコとか。ローマとかミラノとかの最先端の都市より、歴史のある街のほうがいいです。古い街にある学校で学んでその街で文化にどっぷり浸かって数年生活するというのを20歳であればやりたいです。やっぱり文化の違いに面食らうというか、普段なかなかできない経験をしたいですね。
 

Webの領域はひとつの素養として活用してほしい

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

井登:今は、Webをはじめとするデジタルがあるのは当たり前であり当然あるものだから、Webやデジタルだけということではなく、これからの情報伝達やコミュニケーション、データがもたらす価値を通して、社会をよりよくしていく観点で考えていってほしい。Webの領域は一つの素養として活用していただきたいなと思います。

勉強という言い方がいいかわかりませんが、当時よりも今は進化して深まっていると思います。身につけたり学びやすくもなっているとは思うし、実践という意味でも間口は広がっていると思うので、どんどん試していってほしいですね。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #27(ゲスト: 井登 友一)
https://www.youtube.com/watch?v=cnoyC-Z5QFg

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。

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