インターネット的な社会を実現したい―和田嘉弘|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

インターネット的な社会を実現したい―和田嘉弘

Era Web Architectsの今回のゲストは、インテリジェントネット株式会社の代表&WebSig24/7の代表をされている和田嘉弘氏。会社では、大手企業のデジタルマーケティングやWebサイト構築の支援をしつつWebプロフェッショナルのための「気づき」が見つかるコミュニティ「WebSig24/7」のコミュニティ活動もされている。今回は、自身のキャリアからインターネットとの出会いや起業するに至った経緯について語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

和田嘉弘 プロフィール

北海道出身。1994年、筑波大学日本語・日本文化学類に入学し地方史、近代史を研究。大学後半にWebチャットを自分で開設するなどインターネットにハマっていく。大学卒業後、起業の誘いを受けインテリジェントを創業。同社でWeb受託に本腰を入れるタイミングで、WebSig24/7というWebプロフェッショナルのコミュニティを有志と立ち上げ、現在も運営を続けている。

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パソコンとの出会いは早いが高級ゲーム機に

坂本:どういう学生でしたか。パソコンとの出会いはいつごろですか。

和田:中学2年生のときに初めてPCを持ちました。当時、まわりの友達何人かがパソコンでゲームをしていて。プログラミングの勉強をするから!など、あれこれ理由をつけて、「PC-98Do」というPCを買ってもらいました。結果、なかなか勉強は進まず「イース」などで遊ぶことが多く、結果的には高級なゲーム機になってました。

坂本:北海道を出たのは大学からですか。

和田:18歳のときに筑波大学に入学して、北海道を出ました。日本語・日本文化学類というちょっと変わったところに行き、地方史や近代史を勉強したりしていました。94年の大学初期のころはまだインターネットも当時は一般的ではなかったので、授業以外だと、ものすごく麻雀をやってましたね。当時の筑波大学は陸の孤島と呼ばれていて、最寄り駅から車で2、30分くらいかかりました。全員宿舎に住んでいたので、街に遊びに行くなんてことはなく、必然的に誰かの家に集まり何かをするようになっていました。
 

卒論を書くPCがインターネットマシンへ

坂本:インターネットとの出会いはいつごろですか。

和田:卒論を書くために97年にPCを買いました。当時はまだ大学のレポートは手書きも多かったし、卒論もワープロの時代だったんですが、私はインターネットにも興味があってPCを買いました。そこではじめて自分でインターネットにつないだのが最初です。筑波大学は学内LANなどが早いタイミングで整備されていたこともあり、なんとなく興味を持っていました。
 

坂本:進路はどう考えていたんですか。

和田:僕がいた学類は言語専攻と文化専攻に分かれ、言語だと日本語教師になる人が多いんですが、僕は文化を選んでいて近代史を研究していました。そうすると、就職のテーマに紐付かなくて。まわりの進路先とか聞いても自分の中でぜんぜん納得感が得られなかったんです。

一応、4年で卒業はするんですが、やってきたことを活かして働くイメージがわかなくて、在学中に就職活動はまったくしませんでした。両親が教師だったのもあり教育には興味があって、親には教職免許を取ることを理由に、卒業後にもう2年間大学に残らせてもらいました。
 

自己実現と起業という選択

和田:98年の卒業の頃には、卒論のために買ったPCは完全にインターネットマシンになっていて、ネットにハマりまくってました。キッカケは、ネットにつないで自分でも何か作ってみようと思いWebチャットを作ったことです。フリーのCGIプログラムを落として改造して作っていきました。

自分でコンテンツを作るというより、人のコミュニケーションをコンテンツにしようと思い作って、割と人気がでて24時間、誰かしらいるようになり、自分自身もチャットに入り浸るようになりました。そこでリアルでは出会えないいろんな人とつながるようになり、インターネットの世界が面白いと思うようになりましたね。
 

坂本:そこからすぐ就職できたんですか。

和田:卒業後にプラス2年残り、教員免許も取り終わってしまったので、さすがにこれ以上大学にいるわけにもいかず、「自分は何をやりたいんだっけ」ということを改めて深く内省していきました。あれこれ考えたのですが、マズローの欲求段階を引っ張り出してきて考えたりもしました。(https://note.com/yoshihiro/m/m7435acb08fbe

当時師事していた先生から、この分野での研究者はヒモになる覚悟があるくらいでないとなれないと釘を差され、そこまでの覚悟はないなと大学に残ることは諦めました。じゃあ、自分で研究できる余力を持てばいいかと考えて、そうなると下位欲求はできるだけ早く満たそうと。そう考えていくと普通に就職する道じゃないんだろうなと考え、当時インターネットビジネスを追いかけるようになっていて、ビットバレーが視界に入ってきたこともあり「起業」を考え始めました。

もう1つ、働く上で自分が学んできたことをなるべく活かすことできるかが大事な要素でした。日本は歴史編纂があまり上手じゃないのですが、ネットはこれまでの歴史編纂と違い、生のログがきちんと残ることがすごいことだなと。2chのログのようなものでも、今で言うビッグデータのようなものは歴史的観点でもすごく意味があるものになるはずだと考えました。

「インターネットは文化である」。日本の歴史を考える中で「ログが残る歴史」ということはとても意義深いことだ。こう考えるとインターネットに関わる仕事は悪くない。若干こじつけながら、納得感は出て、インターネット分野で起業することを決めました。その後、筑波大生が多くいるインターネット関係の会社に一時期バイトで入るんですが、そこでの出会いが会社の創業メンバーと知り合うキッカケにも繋がります。
 

インテリジェントネット創業とWebSig24/7の立ち上げ

坂本:会社のスタートは2000年ですよね。ECをやろうと思ったんですか。

和田:自分の経験からコミュニティを作って広告モデルとするものや、One To Oneマーケティングを実現するメール配信システムなどを考えていました。とはいえ、スタートはこれという事業に投資をしてもらうというのではなく、人にエンジェル投資を受けたカタチでした。

あれこれ小さくはやっていたのですが、なかなか形にすることができず、2年目くらいにはお金もなくなってきて、運営資金を作るためにも、Webを作る受託を本腰いれてやろうと決めました。その後は、一緒に立ち上げたもう1名の前職である大手メーカーの仕事を筆頭に、割と早く大きな仕事をもらえるようになっていきました。

坂本:WebSig24/7の立ち上げは何かキッカケがあったんですか。

和田:90年代後半から2000年前半くらいのタイミングでは、生の情報源は主にML(メーリングリスト)でした。書籍『プロフェッショナルWebプロデュース』の著者(Jules Yoshiyuki Tajima氏)が主催しているMLに参加していて、その勉強会に参加したときにWebSig24/7の初期メンバーと出会いました。その後、そのMLが閉じることになり、せっかくだから自分たちで新しくやろうと思いWebSig24/7を立ち上げることになりました。ちなみに「WebSig24/7」という名前は、Jules氏に名付け親になってもらったものです。
 

インターネット的とは民主的なこと

坂本:その後、会社のほうも人が増えていくわけですよね。

和田:そうですね、受託も好きでしたし、本格的に行こうと腹を決めてからは仕事も順調に増えていきました。もともと、マズローの欲求段階で整理したような通りにはいかなかったこともありましたが、会社を経営するということを深く考えるようにもなり、2007年という、結構早いタイミングで経営理念、ビジョン、クレドの策定をはじめました。できれば会社もインターネット的な会社にできたほうがいいと思い、今でもいろいろ模索しています。

坂本:インターネット的とは何を指していますか。

和田:インターネット的とは、「民主的」という意味で使うことが多いかもしれません。私がインターネットに興味を持ったキッカケのもう一つに「東芝クレーマー事件」というのがあるのですが、個人の情報発信の力が企業の情報発信の力とイコールになり、情報のオープン性みたいなのを強く感じたんです。

今でも「参加型」をキーワードにしているのは、ヒエラルキーのある場を作るのではなく、民主的な場を作りたいと思っているからです。コミュニティでも僕が主体というよりも自立分散型のコミュニティ活動がしたいし、会社でもできればそうした組織を作りたいと考えています。それをインターネット的と言っています。
 

インターネット的なサービスにジョインしてたかも

 郷:もし今2021年に20歳だとしたら、何をされていたでしょうか。

和田:やっぱりインターネットに関わっているんだろうなと思います。インターネットの出来事は、インターネット革命と言われているくらいとても大きなことだと思っていて、近未来を考えたとしてもインターネット以上にインパクトが大きい出来事はあんまりないんじゃないかと思っています。

ただ、今のビジネスを自分で立ち上げることはなかったかも知れません。今自分でやりたいなと思ったり嫉妬しちゃうサービスは世の中にいっぱい出てきているから、そういうところにジョインさせてもらうとかは今20代だったらやってたかも知れないですね。
 

もっといい社会になっていくことに携わっていける

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

和田:インターネット的な社会は、今よりもよりよい社会になっていくと思っています。20世紀で解決しきれなかった不条理をインターネットがちょっとずつ解決していっています。インターネットに関わるということは、僕らは意義深くて、楽しい業界に携わっていると思います。

2000年にこういったビジネスを始めたもっと早く世の中が変わると思ってたんだけど、変わったところももちろん多いけれど変化が遅いと思っていました。けれど、このコロナ禍で幸か不幸か社会変化が早くなっているので、これから楽しくてもっといい社会になっていくことに携わっていけると思います。一緒にワクワクして楽しんでいければいいなと思います。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #22(ゲスト: 和田 嘉弘)
https://www.youtube.com/watch?v=CB7uiRVGeeE

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
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インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。