公共性に意識を向けてほしい―石橋秀仁|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

公共性に意識を向けてほしい―石橋秀仁

Era Web Architectsの今回のゲストは、ゼロベース株式会社の代表取締役をされている石橋秀仁氏。Webの受託開発をメインにしており、ソフトウェアの製品開発にも携わっている。「World IA Day Fukuoka」のイベント企画・運営もされており、今回はご自身のキャリアとアーキテクトとしての考え方について語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

石橋秀仁 プロフィール

国立久留米工業高等専門学校制御情報工学科で制御工学・情報工学を専攻。2000年、当時日本最大級の就活コミュニティJobwebのプログラマーとなり、メーリングリストやウェブのシステムを開発。2004年、インターネットサービス開発企業ゼロベースを設立。Ajaxメーリングリストを主宰し、ウェブのユーザー・インターフェイスに関する情報を発信。様々なウェブ開発プロジェクトに従事(コマーシャライザー、ポンパレなど)。2008年、マネジメントの危機を乗り越えるためにセルフマネジメント・テクノロジーZaを開発。2005年から2020年まで、ベンチャーキャピタルGMO VenturePartnersの顧問(デザインフェロー)としてスタートアップ支援。


・Twitter (https://twitter.com/zerobase)

機械やコンピューターが趣味のような感じ

坂本:学生のときから文学とか興味を持っていたんですか。

石橋:学生のころは、工業高専で理工系でした。プログラミングは好きでやっていたのと、電子工作とか機械工作とかロボットの学科にいました。メカトロニクスというか、ロボット制御みたいな勉強をしていましたね。同級生は全国のロボット大会とかにも出ていました。

坂本:パソコンとかはいつから触っていたんですか。

石橋:中学のときに、PC-98シリーズ(9801)のパソコンを譲り受け、プログラミングしたりパソコン通信したりしていましたね。機械とかコンピューターが趣味のような感じだったので、その流れで高専に行くことになりました。最初はN88-BASICなど、本に載っているプログラムを打ち込んだりしていました。まわりに詳しい人はいなかったので、本とか図書館に行ったりして、自分で試したりしていましたね。

坂本:Webとかインターネットにはいつごろ触れたとか覚えていますか。

石橋:高専はインターネット回線が速かったので、先生の研究室にお邪魔してNetscapeでいろいろ見たりネットサーフィンしたりしていました。当時は割と、ネットカルチャーへの興味よりもプログラミングの情報とかUNIXの情報とかを見ていた覚えがあります。パソコンを使うことよりも、パソコンそのものに興味がありました。

MS-DOSよりLinuxのほうがイケてる、と思っていましたね。
 

ビットバレーのタイミングで上京し就職

坂本:バイトとかで、コンピューター系とかプログラミングをしていたんですか。

石橋:一度バイトしようと思ったことはあるんですが、(インターネットは)産業としてまだ盛り上がっていなかったですし、コンピューター系の就職先もあまりなかったですね。なので、最初の仕事が就職先でした。
 

坂本:上京するときに、めぼしい会社とかはあったんですか。

石橋:2000年くらいにネット就活がメジャーになった時期で、ネット上でいろんな情報が入手できるようになってきたんです。匿名掲示板とかメーリングリストとか。就活向けのMLに入っていたので、当時「ビットバレー」が流行っているなどは福岡にいるときに知りました。

そんなときに、早稲田大学で「Zaiya.com(ザイヤドットコム)」の立ち上げイベントがあることを知り、ネット業界でも著名な方が多く参加されることを知ったので参加しました。そこで、2、3社くらいから声がかかり、入社することになりましたね。上京して働くときまでにPHPとかを勉強して覚えたりしました。
 

当時から起業したいと考えていました

坂本:東京の会社に入ってからがWebとの関わりだったんですか。

石橋:プログラマーとして入社したんですが、いきなりデータベースがOracleとかだったので、Oracleの本とかも身近になかったので、改めて勉強をしたのを覚えています。データセンターにラックを借りていましたね。資金調達してこういうサーバーを買うのかと思っていました。
 

坂本:自分で(会社を)やりたいと当時から思っていたんですか。

石橋:起業したいというのはあったんですが、起業するネタがないという状況でしたね。2000年くらいは、自分でなにか作って、自分の製品やサービスで勝負しようと考えてはいました。

2001年くらいに、職場とか業界内のコミュニケーションにMSNメッセンジャーを使っている人が多かったので、APIをハックしたミドルウェアを開発して、チャットボットで起業できないかと考えたときもありました。業界内のコミュニティでは評価してもらい、雑誌の連載でも取り上げてもらったのがうれしかったです。
 

ゼロベースを開業

坂本:ゼロベース社を立ち上げたのが2004年くらいですね。

石橋:会社務めを2年半やって独立して、フリーランスで1年半くらいして会社にしました。ゼロベースを創業するまでには考えが変わっていて、2002年~2003年にかけて『発想する会社』とか『誰のためのデザイン』とかを読んで勉強していく中で、今でいうグロースハックとかに関心があったので専門的に勉強しました。

今後は、エンジニアリングよりデザインとかマーケティングのほうが重要だと思うようになり、ユーザビリティとかをきちんと勉強していこうと思いました。自分はそのあたりの訓練を受けていないので、優秀な方と組んで組織がつくれないかと考えました。

坂本:勉強は独学な印象ですが、お世話になった本とかありますか。

石橋:2000年とか2003年に独立したときにも、情報アーキテクチャとかUIデザイン系とかユーザビリティ系とか割と本があったので、独学でなんとかなっていました。一人で広範囲にできていた時代でしたね。

バイブルのような本はなくて、いろんな本をつまみ食いしていました。実際に流行っていたものの研究や分析のほうが多かったと思います。FlashのActionScriptは少しやりましたが、GoogleのAjaxとかJavaScriptとかオープンなほうにコミットするにようになっていきました。LAMP(Linux, Apache, MySQL, PHP)が好きだったので、インターネットのオープンなほうを選んでいきましたね。
 

マネジメントの失敗から見えたこと

坂本:経営もしてプログラミングもしてかなり広がった時期だと思うんですが、葛藤はなかったんですか。

石橋:教育機関に入って学び直すとか留学するとかは30歳くらいで考えていたのですが、そういうタイミングで会社のマネジメントに失敗して、経営危機が訪れてしまい社員が半分になるということがあったんです。経営危機といっても財務的には堅調で仕事もどんどん面白くなっていくときだったので、純粋にマネジメント(ヒューマンな側面)の失敗ですかね。その後、そもそも経営のやり方を変えることで、なんとか会社を続けるようにはしたんですが、そういうことを考えていた時期だったので、学び直すとかの余裕はありませんでした。

自分としてはやっぱり、2000年ごろのネットバブルに業界に入って以来、一人でほとんどやるというか、一人が全体を見るみたいなプロダクトマネージャー兼プログラマーから始まっているので、自分のマインドセットは当時のママで、全体を把握する人が一人いるというマインドがずっとあるんです。

それが「アーキテクト」という名前と一致するんですが、まさに建物を建てるときのアーキテクトは、全体のコンセプトから施工まで全部見るみたいな人で、エンジニアリングやディテールはパートナー企業がいるような。そんなイメージで、ソフトウェアでもデジタルプロダクトでもアーキテクトの役割は必要だと思っていて、自分がそういう存在でありたいと思っています。
 

やっぱりメカトロニクスなんだと思う

 郷:もし今2021年に20歳だとしたら、どんなことをするでしょうか。

石橋:今20歳だったら、多分デジタル・ネイティブなんですよね。親も世代が違ってて教育も違っているので、今の僕になっていないと思うんです。なので、タイムトラベルとして考えると、20才当時の自分が今をどうとらえるかという話になるので、やっぱりメカトロニクス(機械・電気・電子・ソフト)いずれかなんだと思うんです。

どれが一番面白いかという問いだとすると、当時よりは今はハードウェアスタートアップが熱いと思うんです。ハードウェアのスタートアップ行ってソフトウェアの仕事をするとかあり得るので、どっちにしてもプログラミングはやっているんだと思います。ただ、いわゆるインターネット企業とか通信とかコミュニティとかソーシャルメディアというよりは、もうちょっとハードウェア寄りに行っている可能性はあるかもしれないですね。

坂本:学び直すタイミングとかあったらどうですか。

石橋:20年前の僕は、大学とか大学院とか海外留学の価値はわかってなかったので、進学は選択肢にはありませんでした。今20歳でもそっちには行かないと思います。面白そうな会社に入るとかはあると思いますね。
 

公共性に意識を向ける人が増えてほしい

坂本:Webやインターネット業界に対してメッセージをいただけますか。

石橋:悪い意味で、スタートアップの一攫千金的なカルチャーに毒されていると思うんです。ビジネスが大きくなるとかイグジットすることが最優先になりすぎて、いろいろな問題や事件がありました。ソシャゲで過剰に課金するとか、嘘の医療情報の記事が検索上位に出てくることになったり。

ああいったものは自然に出てくるわけではなく、あれを作る人がいるから出てくるわけです。そういう悪いものを作ることに加担しているってことに関して、社会への影響とか「公共性」に意識を向ける業界人が増えてほしいと思っています。
 

坂本:World IA Day Fukuokaを開催されていますね。

石橋:World IA Dayは、情報アーキテクチャ(IA)のコミュニティを盛り上げるために毎年開催されている国際的イベントで2012年から始まりました。東京開催も2019年までありましたが、福岡開催を2020年に企画したのが経緯です。情報アーキテクチャの公共的な議論ができる場がほしかったし、ないなら作ろうということで開催しました。
2021年は、人が集えない時代において集うことにどうアプローチできるか、場所とか集いとかをテーマにしています。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #18(ゲスト: 石橋秀仁)
https://www.youtube.com/watch?v=tiFFoj4RLT4&t=203s

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。