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Era Web Architects プロジェクト

私が作れるんだから、絶対誰にでも作れる―矢野りん

Era Web Architectsの今回のゲストは、バイドゥ株式会社でアプリ「Simeji」の開発と運用を担当されている矢野りんさん。現在は、制作チームのマネージャーとして部署間を繋ぐ役割を担われています。今回は矢野りんさんのアートやデザインとの関わり方、キャリアの変遷について語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

矢野 りん プロフィール

北海道から美大に行きたいと上京し、美大で「ネットカフェ」を立ち上げる。プロバイダーの会社でWebページを作りながら、マルチメディアアートの世界にはまり込み、自身でもグラフィックを勉強する。音楽スタジオでプロモーション活動を手伝いながらライターの仕事もはじめ、バンコク在住時に出産。帰国後「Simeji」の開発を開始し、現在も多数のデザイン関連書を執筆されている。

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・Facebook (https://www.facebook.com/rin.yano)

学祭でネットカフェを立ち上げる

坂本:どのような学生だったんですか。また、インターネットやデザインへはどこから関わりましたか。

矢野:北海道出身で、高校卒業するまで北海道にいました。中学、高校と美術部の部長をしていましたね。数学が苦手で絵に関わるしかないと思い、ずっと美大に行こうと思ってました。結果、美大に行くことができたので上京してきた感じです。相模大野をずっと東京だと思っていました。

大学のときにはすでにインターネットに触れていました。MosaicやNetscapeを使って喜んでいましたね。当時、インターネットプロバイダーが増えはじめた時期で、丸紅が立ち上げたプロバイダー事業が大学の教授と関わったことで、専用線を引いたりマシン提供をしていました。

そんな中、海外で流行ってきた「ネットカフェ」の存在を知り、よくわからないけどカッコいいと思っていたため、学祭でネットカフェを立ち上げることになったんです。それがインターネットに触れたはじめのタイミングでした。コンテンツがなかったため、美輪明宏さんのインタビュー記事などをコンテンツにしてネットで公開していたりしましたね。
 

マルチメディアアートに憧れがありました

坂本:ネットカフェからその後のキャリアがつながったんですか。

矢野:当時お世話になったプロバイダーに勤めることになり、サーバーについてなど教わったりしていましたね。バックアップの方法をイチから教わったり、インターネットについていろいろ教わりました。丁稚奉公のようでした。カラーとかデザインについては勉強していましたが、Webに変換するようなことを当時はできる人がそんなにいなかったので、プロバイダーの回線契約時に必要になるWebページの作成を手作りで対応していましたね。

坂本:そのままプロバイダーの会社でWebの仕事を続けたんですか。

矢野:仕事を続けつつも、学生なのでいろいろなメディアに触れるようになりました。当時は、CD-ROMがメディアとして目立ってきた時期で、デジタルのマルチメディア的なところがカッコいいと思っていましたし、シナジー幾何学のCD-ROM(「GADGET」とか)の表現に憧れていました。ラジカルTVの新しい映像表現とか、アーティストがテクノロジーを活用していろいろ表現することが多くなってきた時期でしたね。

そうした背景があったので、(自分でも)表現みたいなこともしてみたいと思うようになってきて、当時Photoshopの書籍にグラフィックアートを出している方の事務所に出入りしながら、自分でも試しつついろいろやっていた時期がありました。
 

インターネットがないと生きていけない

坂本:創作活動もされていたんですか。

矢野:当時、Appleのユーザーズグループにも入っていました。初期不良のあったMacを借りたりして、Macを使う環境が家にあったので、FirstClass(グループウェア)とかでネット通信して友達と話していたりしましたね。オフラインでも夢を語ったり家でもオンラインで会話を楽しんでいました。

坂本:かなり早い段階からインターネットと関わっていた感じですね。

矢野:ふつうにインターネットっていいなあ、インターネットがないと生きていけないなあと最初から思っていました。

(技術でいうと)ハイパーテキスト(Hypertext)がすごいなと思っていました。HTMLのフレームタグを使って再起的に分割するページのネタで作品を作ったり、後輩とかといっしょにやってましたね。友達とCD-ROMのコンテンツをMacromedia Director でオーサリングもしていました。当時は、ただただコーディングとかオーサリングを楽しんでやっていました。それに憧れがすごくありました。

アメリカかぶれのところがあって、当時、デイヴィッド・ブレアが作った『WAX』というハイパーテキストで書かれた小説があって、それが異常に面白いなと思っていました。パラグラフごとに分かれていて、読み手の意志で自由に進めることに喜んでいましたね。
 

たくさんの人に伝われば、みんなできるようになる

坂本:プロバイダーの会社から次のステップに行くのはどういう感じだったんですか。

矢野:3年くらい、プロバイダーの会社にいました。その中でグラフィックのこともいろいろ教わり、いろいろな技ができるようになっていきましたね。その後、音楽スタジオでアーティストのプロモーションのお手伝いをしつつ、結婚をしました。一時期タイのバンコクに住んでいたこともあり、1年くらいで帰国しています。日本に戻ってきたときはすでに子供がいたので、ライターのような仕事をしたほうがいいと思い、日経BPなどで机をもらって仕事をしていました。
 

坂本:デザインに関する本をたくさん書かれていますね。そのときから増えた感じですか。

矢野:書く仕事は楽しかったです。若いときから書かせてくださいとお仕事をいただいていて、2001年ごろに『ウェブデザインの教科書』を出させていただきました。当時の担当編集者からは「このままだと売りモノにならない」と言われ、だいぶ直していただいたりもしました。

何冊かデザインに関する本は書かせていただきましたが、「デザインなんてもんは私が作れるんだから、絶対誰にでも作れるだろう」と思って書いていました。きちんと文章にして書いて共有したら、たくさんの人ができるようになるだろうと思っていましたね。
 

Simejiの開発へ

坂本:そこから「Simeji」の開発につながるわけですね。

矢野:2011年くらいにAndroidでアプリが作れるようになってきて、仕事とは関係なくコミュニティに遊びに行ったりしましたね。その開発コミュニティに参加したキッカケですが、「ITpro」(IT系ポータルサイト)でライターをしていたときにGoogleに取材に行ったんです。Googleの開発コミュニティの方にもお話も聞いて、そこから参加するようになりました。

当時はアプリという概念もなかったですし、「Android Dev Phone」という限定配布の開発用端末を使って、開発をやっていたのを見ていました。

坂本:Simejiはどれくらいで作られたんですか。

矢野:開発してからストアに投稿するまで半年くらいでしょうか。ほかになくて不便だから作ったんですが、今もたくさんの方にとくに若い人にも使っていただいてすごく嬉しいです。ソフトを開発する人がハードに関わるのは非常に難しいのですが、タブレットやそのほかのデバイスが増えれば、必ず入力システムが必要になるので、そこをやることができれば今までリーチできない不特定多数の方にも喜んでもらえるだろうという思いで作りました。
 

作ることは好きなので、人が喜んでくれることをしている

 郷:2021年に当時の20歳だとしたら、何をするでしょうか。

矢野:デジタルとかインターネットとかインフラのほうには気は向けず、ふつうに農業みたいなのをやりながら、それらの恩恵を活用しようとしている気がします。作ることは好きなので。

今は、いろんな人に囲まれてコストを下げながらモノを作っていく命題に駆られ日々悩んでいるので、もう少し小さいチームで(モノづくりを)やるほうが楽なんじゃないかと思いますね。「隣の芝は青い」とかではないですが… (笑)。

坂本:アートに行くとかはありますか。

矢野:アートのほうに行くとかはないと思います。 アートは自分を喜ばせることで結果的に人が喜ぶことになると思うんですが、私は、人が(家に)来ても、自分が食べるより、人に食べてもらうほうが楽しいと思うタイプなので、誰かが喜んでくれるなら動くということは変わらないと思いますね。
 

時間をかけたりお金をかけたりすることではない

坂本:Webやインターネット業界など価値の変遷とかについてはいかがですか。

矢野:たとえば、90年代はタイポグラフィを使ったデザインが流行っていたのですが、今見るとそのグラフィックを古く感じるんです。同じようにテクノロジーで作っても音楽とかはそうならないのですが、どれだけコストをかけてもビジュアルは古くなるんだとショックを受けました。

また以前は、ROI(投資対効果)を強く意識はしてこなかったのですが、最近はコストを下げて良いものができたほうがいいに決まっていると思うようになりましたね。そういう心境の変化があります。

たとえば、YouTubeとかでも声が割れていても見られていたり、ビジュアルが汚くても話題になっているのを見ると、今までこだわっていた「良いものを作るには、時間がかかるしお金がかかる」と思っていたことが「そこじゃないな」と最近は思うようになりました。

「作るために時間をかけたりお金をかけたりすること=良いこと」から一歩引いてものごとを考えるほうがいいのかなと思います。そのためには、いろいろな人や立場の人と話をしなくてはいけないなと思います。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #13(ゲスト: 矢野りん)
https://www.youtube.com/watch?v=bTV8ytYPhzU

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。

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